076 江戸幕府のしくみ
前回は、江戸幕府最初の3人の将軍について話をしました。今日お話しする江戸幕府のしくみは、家康・秀忠・家光この3人の時代に整えられていったものだということになります。
江戸幕府の仕組み
それでは、まず幕府あるいはその幕府と藩というしくみについてみていくことにしましょう。
幕藩体制
まず、江戸幕府のしくみは、幕藩体制といわれます。この幕藩体制っていうのは幕府(将軍)と大名(藩)が、土地と人民を支配する体制のことをさします。つまり、幕府と藩によって構成されている体制のことを幕藩体制といいます。
大名
征夷大将軍の説明はもう大丈夫ですよね?将軍というのは、日本の治安を守るために天皇によって任命されるのが征夷大将軍でした。そして、征夷大将軍を中心とした臨時政府(軍事政権)のことを幕府って呼ぶのでした。じゃあ、大名っていうのは何ですか?う〜ん、いまいちピンとこないですよね。大名っていうのは、将軍と主従関係を結んだ武士の中でも領地の広さが1万石以上の土地(米のとれ高1万石分の領地)をもつ武士のことを大名といいます。そして、この1万石以上の武士の領地のことを「藩」というわけですね。だから、自分の「藩」を持てるのが大名ということになります。そして、大名には親藩(しんぱん)・譜代(ふだい)・外様(とざま)と呼ばれる大名がそれぞれいます。まず親藩とはなにかというと、俗に御三家といわれる尾張藩・水戸藩・紀伊藩など徳川家やその親戚筋にあたる松平家など徳川一門の大名のことを一般的にさします。次に、譜代とは、関ヶ原の戦い以前から徳川氏に従った大名のことです。例えば、本多平八郎忠勝の本多家とか、井伊直弼の祖先である井伊直政の井伊家とか、戦国大名の時代の家康の家臣だった大名のことを譜代といいます。最後に外様というのは、関ヶ原の戦いをきっかけに徳川氏に従った大名のことです。石田三成と戦ったときに、じゃあ私は家康に味方しようといったように「じゃあ、私は」組ですよね。元々は戦国時代では家康の家臣ではなかったのですが、関ヶ原の戦いで東軍と西軍どっちにつこうか、じゃあ私は家康側につこうとした大名のことを外様といいます。
直参
さぁ、そして大名ではない武士で直参(じきさん)というのがいます。直接参じるとかいて直参、これは将軍と主従関係を結んだ1万石未満の領地をもつ武士のことをさします。日本の各地で藩を持っているのが大名であるのに対して、直参というのは将軍から直接領地をもらっている将軍直属の家臣団となっていくわけです。直参の中でも将軍さまと直接面会(お目見え)が可能な武士のことを旗本といいます。つまり、領地の多い少ないに関係なく、将軍さまに会える立場であればお目見え以上といい、旗本といわれるわけです。じゃあ、将軍に会えない立場であるお目見え以下の武士のことを御家人といいます。理系のヒトなんかから、「以上とくれば未満だろ!」ってツッコミが入りそうですが、そこは気にしないでください。まぁ昔からそう言われているだけのことですので。
幕府の職制
それでは、この大名や旗本・御家人たちは幕府の中で仕事分担が割り当てられるわけですね。ですので、仕事分担の中身についてみていくことにしましょう。
では、上の組織図について一つ一つみていくことにしましょう。
大老
大老はいつも置かれているわけではありません。臨時の最高職です。ではいつも置かれている常置の最高職とは何なのでしょうか?
老中
この難局をなんとか乗り越えたいってときの臨時の最高職ではなく、平時のいつも置かれている最高職が老中ですね。
若年寄
今度は若年寄(わかどしより)という名の職があります。若いの?年寄りなの?どっちなの?って感じですが、そういう年寄りではなく、年寄りってのが戦国大名時代の名残りで徳川家の一つの役割だったので若年寄という役職のネーミングになったそうです。この若年寄ってのは何なのかというと、老中の補佐や旗本・御家人の統轄をやっていました。
大目付
目を付ける、目を光らせる役職です。じゃあ、誰に目を光らせるのかというと、暴れられてはこまる存在、そう大名ですね。大名を監督し、監察するってのが大目付です。見張り役ですね。
目付
今度は目付ですが、これは御家人に目をつける見張り役のことをさします。
寺社奉行
そしたら今度が◯◯奉行ってのがたくさんありますので、奉行を整理していきましょう。まずは寺社奉行ですね。これは読んで字のごとく、寺社つまり宗教関係のことを統制します。
町奉行
町奉行ですが、これは江戸の司法・行政を担当します。俗に江戸町奉行とよばれるのがこの町奉行です。
勘定奉行
大名の領地は藩でいいから大名にお任せでいいのですが、全国各地あるいは関東一円にある幕府の領地(天領という)を支配するのが勘定奉行です。この勘定奉行の下に、幕府領を支配するお役人さんでたとえば郡代とか、お代官さまぁ〜の代官が置かれます。
この寺社奉行・町奉行・勘定奉行のことを総称して三奉行といいます。
評定所
で、この三奉行がでてきたところで、評定所のお話をしておきましょう。鎌倉時代の評定衆とごっちゃになりがちですので、注意が必要です。評定所とは、老中と三奉行の会議ことで、重要事項の決定をします。
地方の役割
そして、地方です。
遠国奉行
地方には、京都や大坂にも町奉行がおかれ、長崎や佐渡、あるいは日光ですね、このあたりに遠国奉行がおかれます。重要なところには幕府から奉行が配置されるということですね。そして、特徴的なのが次です。
京都所司代
朝廷の統制、西国大名の統轄を行うのが京都所司代です。
大阪城代
重要都市に城代が置かれ、町奉行が置かれるようになります。
まとめ
さて、上の図の2段目のグループ(大老から大阪城代まで)が、大名から抜擢されて任命されます。そして、3段目のグループ(大目付とか勘定奉行)は、旗本から任命されます。そして、寺社奉行と江戸町奉行と勘定奉行は、三奉行とよばれました。そして、老中・三奉行は、評定所のメンバーです。今回は幕府の仕組みについてお話をしました。今回は以上です。