日本史オンライン講義録

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020 聖武天皇の時代

奈良時代,引き続きみていくことにしましょう。やはり奈良時代で思い出すのが,奈良の大仏ですね。あの奈良の大仏,いつできるんだろう?と気になっている人も少なくないと思いますが,ついにこの回で奈良の大仏が登場します。ここに出てくる天皇こそ,THE天皇といっても過言ではないエース級の天皇です。それは誰かというと,聖武天皇ですね。

 

聖武天皇長屋王の時代

聖武天皇の前にはどんな天皇がいたかというと,奈良時代元明天皇元正天皇でしたね。この元正天皇ときに政治を担当していたのは長屋王でした。この長屋王は,「最近土地が少なくなってきたなぁ」ということで頭を悩ませていましたね。土地を与えた人には逃げられるし(浮浪・逃亡),あとから生まれてくる人には与えられないし(口分田の不足),そこで畑を開墾しようということで百万町歩開墾計画を実行しました。しかし,この長屋王なのですが,長屋王の前に藤原不比等という人が政治を担当していましたね。この不比等(藤原一族)から長屋王(皇族)へと権力が移ったことで,それを面白く思わないのが藤原一族です。とくに不比等の息子たちにとっては「お父ちゃんが亡くなったあとは,当然オレたちが権力に握るはずだったのに,長屋王のやつが権力を横取りしやがった」と思うのですね。そこで,不比等の子・四兄弟が陰謀をしかけます。このことを長屋王の変といいます。藤原不比等の子・四兄弟ですが,武智麻呂(むちまろ)・房前(ふささき)・宇合(うまかい)・麻呂(まろ)でして,藤原四子(よんし)と総称されています。

 

実は,聖武天皇の子がある日若くしてなくなりました。そうすると,この藤原四子らは,「聖武天皇の子は呪い殺された。呪い殺した犯人は長屋王だ!」という噂を流し,噂が噂をよんで,ついには聖武天皇にまで「お前がオレの子を呪い殺したのか!?」と長屋王に対して問い詰めます。長屋王は,たまらず申し開きはするのですが,みんなからは陰口を叩かれ,この時代にSNSでもあろうものなら,それこそ長屋王のアカウントは炎上するわけですね。おれは無実だ!!と言いながら,最後は自殺をしてしまうのです。これを「シメシメ!」とする藤原四子長屋王から権力を奪い返し,不比等以来,再び藤原氏に権力が復活します。

 

聖武天皇藤原四子の時代

まずは藤原氏は4兄弟をそれぞれ筆頭として4つの家柄に分かれていきます。 

南家の祖】ー 武智麻呂(むちまろ)

北家の祖】ー 房前(ふささき)

式家の祖】ー 宇合(うまかい)

京家の祖】ー 麻呂(まろ)

 このように4家にわかれ,4人で政権を担当していくことになります。この4人は長屋王から権力を奪い,これからも藤原氏で権力を握り続けていくのだ!ということで,その権力固めをするために,自分たちの妹である藤原光明子聖武天皇のもとへ嫁がせたのでした。四子は「よしよし,妹が聖武天皇と結婚した。これで自分の妹が天皇の奥さんになった,ということは我々藤原氏天皇家の親戚ということだ。これで藤原氏の世の中は長々と続いていくのだ!もう皇族なんかにこの座を渡しはしない」と思っていた矢先にすごいことが起こってしまうのです。それは何かと言うと,武智麻呂・房前・宇合・麻呂が次々と死んでしまったのです。死因は天然痘という流行病(伝染病)なのですが,この当時は天然痘の解明などできるわけもなく,本当は近寄ったらダメなのですが「死なないでー」と近寄るわけですね。これを繰り返したために,藤原四子は全滅してしまいます。

 

聖武天皇橘諸兄の時代

さぁ,藤原四子が相次いでなくなってしまいました。では,その次に政治を任せられる人は誰かいないかと探していたところ,皇族の橘諸兄(もろえ)という人が抜擢されました。なので,権力の移り変わりとしては,藤原氏→皇族→藤原氏→皇族【イマココ】となるわけですよね。皇族出身の橘諸兄政治ですが,諸兄は「私一人ではなく,何人かに協力してもらい政治をやっていく。パートナーの前提として,遣唐使で中国のことに明るい人物がよろしかろう」ということで,吉備真備玄昉に白羽の矢が立ったのでした。彼らをアドバイザーとして重用し政治を行いました。しかし,これを面白く思わないのが,藤原氏ですよね。せっかく藤原四子のときに権力を奪い返したのに,再び皇族に持っていかれたわけですので。そこで,藤原広嗣が反乱を起こしたのでした。740年に九州の太宰府で起こした藤原広嗣の乱ですが,これは橘諸兄サイドが鎮圧することに成功しました。

 

相次ぐ遷都

さて,聖武天皇の気持ちを考えてみると,たまったもんじゃありません。それはなぜかというと,聖武天皇のもとには,いままで長屋王や四子,そして橘諸兄といったその時々の政権担当者がいたわけですが,自分の子を呪い殺したのが長屋王との噂が流れ,その噂に耐えかねて長屋王が自殺をする,そして藤原四子は原因不明の流行り病によってバタバタと倒れていく,さらにようやく諸兄の頃には落ち着いたと思いきや,再びかつての政権担当者一族(藤原氏)から反乱を起こされるなど,聖武天皇にとっては全然いいことがないわけですよね。そこで,ちょっと気分を変えて人心の一新を図ろうということで,まずは都を移そうと考えたのでした。風水ではないのですが,都のこの土地柄が悪いのではないか,それが人々の心を乱しているのではないかと考え,平城京から恭仁(くに)京へと都を移すのでした。しかし,恭仁京もしっくりこないなぁということで恭仁京から難波宮へ移します。しかし,難波宮もしっくりこないなぁということで紫香楽(しがらき)宮へ都を移し,そして最後にもう一度平城京に戻っていきます。

恭(9)仁京

難(7)波宮

紫(4)香楽宮

※頭文字の当て字である数字が減っていく順に遷都

遷都の理由としては,反乱の発生や病気の流行に対して,人心の一新を図ろうとした性格が強く出ていたのではないかと思われます。

 

鎮護国家思想

さぁ,それでもなかなか聖武天皇の心は落ち着きません。なんとかしてこの国を鎮め,この国を治め,悲しい出来事が起こらないようにしたいなぁということで,聖武天皇が頼ったものといえば「仏教」です。最初に申しました奈良大仏ができる背景がここにあります。なかなかうまくいかない→宗教にすがるしかない,という現代人にもよくあるパターンですね。さて,そこにはどのような思想があるのかというと,鎮護国家(ちんごこっか)といって,仏教の力で国をおさめようとする考え方です。なかなか落ち着かない国家の安定を,仏教に力に頼って図ろうとしたのです。仏様のありがたいパワーで国を治めようではないかーって感じですね。

 

国分寺建立の詔

どのような政策があるのかというと,まずは全国にお寺を作りましょうということで,741年に国分寺建立の詔恭仁京のときに聖武天皇が出しています。各国に1つずつ国分寺というお寺を作りました。いまも国分寺駅とか国分寺小学校とか全国に似たような地名がいくつかありますが,それはかつてこの時代に各国に国分寺という名前のお寺が建てられたことに由来しています。そして,国分寺の女性バージョンとして国分尼寺といって尼さんのお寺も,各国に仏教センターとして位置づけられました。国分寺とか国分尼寺というのはあくまでもニックネームでして,正式名称は国分寺が「金光明四天王護国之寺」といい,国分尼寺は「法華滅罪之寺」といいます。

 

大仏造立の詔

さて,いよいよ登場です。奈良の大仏ですね。これは相次ぐ遷都の中で,743年に大仏造立の詔が,紫香楽宮計画がされました。ただ,一度は皆さんも目にしたことがあるあのならの大仏ですが,いくら聖武天皇が「大仏を建てるぞ!」といったところで人々の協力なくしてはそう簡単には大仏は建ちません。人々への慈善事業などで民衆からとても人気のあった人物を大仏造立プロデューサーとして重用します。それは誰かというと行基(ぎょうき)さんです。最も,現在の奈良の大仏は,これまでにも鎌倉時代平氏平重衡)によって焼き討ちにあったり,応仁の乱で失火にあったりしてしまい,何度か再建されていますので,今見られる大仏は聖武天皇が建てた大仏と比べるとちょっと小さいサイズになっちゃっています。

 

墾田永年私財法

このように鎮護国家の思想で国を治めるために,お寺や仏像が建てられましたが,もう一つ聖武天皇のときに出された有名な法令があります。それは,743年に出された墾田永年私財法です。元正天皇のときに百万町歩開墾計画(722年)三世一身法(723年)が出されましたが,開墾する人のモチベーションが上がらない内容でしたのであまりうまくいきませんでしたね。口分田が不足し,土地を与えたくても与えられないし,すでに口分田を与えた人には逃げられるし,そんなこんなで「租」が入ってこなくなり財政難に陥ってしまうのでした。そこで,この口分田の不足に対して,橘諸兄政権は開墾した田んぼは永久に私有してもよいとしたのが墾田永年私財法です。ただし,その土地から取れた産物については税はかけられて,とくに税を治めなければいけない田んぼのことを輸租田(ゆそでん)といいます。

 

自分のものになるのであれば,一農民も「私も頑張って田んぼを耕します」って人が増えたことは増えたのですが,土地のあり方に新たな変化も発生していきました。たとえばお寺さんとか,貴族とかある程度経済力のある人が,奴婢とかお金でやとった人をたくさん用意して「お前たち,オレの代わりに開墾してまいれ」と命令すると,どんどんどんどん開墾されていくわけですね。こうなると,一農民もが一生懸命耕すよりも,力のある人がたくさんの人を雇って,たくさんの土地を開墾すれば,どんどん私有地が手に入り,どんどん土地が手に入るわけですから,貴族や経済力の持っている有力寺社などの私有地が拡大していくことになります。これまでの建前は「公地公民」だったわけですよね。国の土地は国のもの,人々も国のものであったのに,それ以外の土地が出来てしまうということは,公地公民のルールから外れてしまう土地が出来てしまうということになります。このような公地公民以外の土地,とくに墾田永年私財法が出されて以降の公地公民以外の土地のことを荘園(初期荘園)といい,のちの社会のあり方に大きな影響を与え,歴史を大きく変えていくことになるのです。

 

前半まとめ

聖武天皇ですが,前半は政治の激変を経験しました。子が亡くなったり,その子を呪い殺したのが時の権力者であるという噂が流れたり,新たに政権の座についた権力者が流行り病で相次いで死んでいったり,そこで都を転々として人心一新を図ったり,仏教パワーにすがって国を治めようとしたり,土地政策についても今後の歴史を左右するなど,まさに奈良時代のエース級天皇といえるでしょう。

 

孝謙天皇藤原仲麻呂の時代

さて、ここからは一気に天皇が4人も登場してきます。聖武天皇は男の子がなくなってしまって、でも女の子がいました。この女の子が天皇になりまして、孝謙天皇となりました。そして、権力者も橘諸兄がなくなって、藤原仲麻呂がその座につくことになります。あの藤原四子のひとりで武智麻呂の子にあたります。

 

大仏開眼供養

まず孝謙天皇は何をやったかというと、先代の聖武天皇がやろうとしたことを完成させます。大仏開眼供養ですね。752年のことでした。開眼というのは、仏像に魂をいれる最後の工程のことをいいます。

 

養老律令の施行

さぁ、ここで権力をすこしおさらいをすると、藤原→皇族→藤原→皇族→藤原(イマココ)となるのですが、藤原さんとしてはまた誰かに権力を奪われてしまうのではないかと気が気でないわけですね。お父さんおじさんたちは妹を天皇の妻にすることで権力固めをやろうとしたのですが、藤原仲麻呂はどのように権力固めをしていったのかというと、「そうだそうだ、おじいちゃん(不比等)の作った養老律令がまだ施行されてなかった!法律は存在するものの、まだその法律が効力をなしていないじゃないか」ということで、757年不比等の作った養老律令を施行します。

 

橘奈良麻呂の変

さぁ、そうすると仲麻呂に権力を奪われている格好になっているのが、橘さんですね。橘諸兄の子にあたる橘奈良麻呂が、一発逆転を狙って反乱を起こすのですが(橘奈良麻呂の変)、藤原仲麻呂はこれを鎮圧します。

 

淳仁天皇を擁立

そして、いまや権力の絶頂にいる仲麻呂ですが、もっと自分のいうことの聞くあやつり人形のような天皇をかつぎあげたいなぁと思うようになります。それが、淳仁天皇です。孝謙天皇は引退させられて、孝謙上皇となるわけですが、当然この淳仁天皇仲麻呂のおかげで天皇になれたわけで、仲麻呂の前ではあやつり人形と化してしまうのです。それもそのはず、家系図をみてみると、孝謙天皇からみるとお父さんのお父さんのお父さんのお父さんの子供の子供にあたるのが淳仁天皇なんですよ。…ってかどれだけ離れているのかちょっとワケがわからない状態ですが、要するに天皇には程遠い家系だったのが淳仁天皇です。そんな皇位継承から程遠いのに、藤原仲麻呂の計らいで天皇に立ててくれたとなると、淳仁天皇からすれば藤原仲麻呂は神様のような人に思えてくるわけで、だからあやつり人形のようだという表現をここでしています。

 

淳仁天皇藤原仲麻呂恵美押勝)の時代

さぁ、孝謙天皇が引退をして淳仁天皇になると、淳仁天皇藤原仲麻呂に感謝します。そこで、藤原仲麻呂に対して「天皇に立ててくれてありがとう。お礼にあなたに名前をあげましょう。」ということで恵美押勝(えみのおしかつ)っていう縁起の良さそうな名前を仲麻呂に与えます。

 

さぁ、そうすると新たな政治のタッグが完成しましたね。淳仁天皇恵美押勝です。そうすると、なんだか面白くないのが、引退させられた孝謙上皇ですね。そこで、孝謙上皇に接近した人物が登場します。その人物が、道鏡という坊主です。お坊さん、っていうちょっとクソ坊主なんですが、この孝謙上皇が病で倒れたときに熱心に熱心にそれは熱心に看病したのが道鏡です。どんな看病をしたのかわかりませんが、孝謙上皇とクソ坊主がなんとついにできちゃうわけなんですよね。坊さんとかつての天皇は、現役で権力を握っている2人のことをよくないなぁと思うわけですよね。そこで、道鏡孝謙上皇にたいして「また天皇に返り咲いて、今度は2人で政治を一緒にやっていきましょう」といいやがるんです、クソ坊主が。

そして、

淳仁恵美押勝

       VS

孝謙道鏡

といった、こういった対立構造が生まれます。しかし、藤原仲麻呂はまだまだ権力は持っています。それはなぜかというと、おじいちゃんの決めた養老律令を世の中にデビューさせ、何より聖武天皇の奥さんである光明子(おばちゃん)が、強力な後ろ盾となっているわけですよね。孝謙天皇のお母さんでもありますし、天皇家のボスとして君臨していたわけですね。「自分のおばさんがこの世にいる限り、自分は安泰だ」と思っていたのもつかの間、ここで光明子が亡くなってしまいます。おばさんの勢力を後ろ盾にしていた藤原仲麻呂がここから劣勢に立たされます。そこで一発逆転をねらい、道鏡の排除をねらった藤原仲麻呂恵美押勝)の乱758年に起こすのですが、これが失敗におわり敗死してしまいます。そして、仲麻呂のパートナーであった淳仁天皇淡路島に配流となってしまいます。このように、淳仁天皇を擁立したところまでは藤原仲麻呂も絶頂だったのですが、道鏡孝謙上皇に接近してからは様相が一変し、しかも最高の後ろ盾であったおばちゃんがなくなってしまい、一気に形成が不利になり結局は権力の座から引きずり降ろされることになってしますのでした。

 

称徳天皇孝謙上皇)=道鏡の時代

さて、クソ坊主の活躍によってかつての天皇が再び天皇に返り咲くことになります。再び天皇に返り咲くことを重祚(ちょうそ)というので、難しい言葉ですがおさえておきましょう。孝謙上皇称徳天皇重祚すると、もちろん愛人であった道鏡クソ坊主が権力を独占していきます。道教は、坊さんでありながら最高権力者の職である太政大臣、ていうかお坊さんなので太政大臣禅師となり、仏教を中心とする仏教政治を展開していくわけです。さぁ、ここまで人身を極めてしまうと、道教の欲はさらに高くなっていきます。それは、この太政大臣禅師よりも上のポスト、あのポストを狙うわけですね。天皇の血筋でもないのに、道教は愛人の称徳天皇に「おれはお前の後、天皇になりたいんだ」というわけですね。称徳天皇は、まがいなりにも天皇ですので悩むわけですよね、「この人を天皇にしてもいいものかしら・・・。」と。そこで、称徳天皇道鏡にこういうわけです。「私だけではちょっと判断がつかないので、神さまにお伺いをしてお告げを聞いてみます。」と。神さまといってもどこの神さまがいいかというと、それは大分県の宇佐というところにある宇佐八幡宮の神さまにお伺いを立てて、神さまがOKを出せばあなたに天皇の位を譲りましょう、としたわけですね。ということで,称徳天皇は「私の彼氏である道鏡を本当に天皇にしてもいいか,たぶん宇佐八幡宮の神様がOKっていうと思うけど,念のため確認してまいれ!」と命令を受けたのが和気清麻呂(わけのきよまろ)という人物を佐賀県まで派遣するわけですね。称徳天皇道鏡は,当然OKが出るものだと思って和気清麻呂の帰りをまつわけですが,他の人々の気持ちとしては「道鏡のようなクス坊主みたいなやつに天皇を継がせるなんてあり得んわ」ってみんな思っているんですよね。和気清麻呂はそういう気持ちを知ってか知らずか,でも道鏡天皇になるのは阻止しなくてはならないと思い,2人の前でこういったのです。「宇佐八幡宮の神様に確認してきました。道鏡天皇にしてはならぬ,とのことだそうです。」と。これを聞いた道鏡はカンカンですし,称徳天皇としても自分の彼氏を前にしていい顔をできなかったわけですので当然怒りますし,その怒りの矛先を和気清麻呂にぶつけるわけですね。そして,和気清麻呂の名前を別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)と無理やり名前を変えさせて,そして挙句の果てに流罪にしたのでした。なにはともあれ,道鏡天皇即位は見事阻止することには成功したのです。この後,称徳天皇が死去してしまい,強力なバックアップを失ってしまった彼氏の道鏡クソ坊主はあえなく政治の舞台から失脚することとなり,下野薬師寺(しもつけやくしじ)へと流されてしまうのでした。以上,これで道鏡政権の時代はおしまいです。

 

光仁天皇の時代=藤原百川(式家)の時代

その次に天皇になったのが男性の光仁天皇という天皇が即位します。ただ,道鏡というクソ坊主のおかげでかなりひっちゃかめっちゃかにかき回されてしまったので,ここで気分を変えましょうということで,この光仁天皇に至る前の称徳天皇までは天武天皇系の子孫が受け継いできました。この光仁天皇はというと天智天皇系の子孫で,天智天皇系の子孫はこれまで天皇の座から退いていたのですが,ここで天智天皇系が復活するということになります。そして,道鏡のつぎに政治権力者となったのは,藤原百川という式家の人物です。ということで,ここでまた藤原氏が登場することになります。

 

ということで,奈良時代の後期の政治はというと,天皇が変われば権力者も変わるのですが,その権力者はというと,藤原氏の次はアンチ藤原氏,その次はまた藤原氏といったある種の規則性が見いだせますよね。今回は,権力者の交代が目まぐるしく変わるので,学習するときには丁寧に追ってみてください。今回は以上となります。