日本史オンライン講義録

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024 平安初期の社会

それでは平安時代をどんどん進めていきます。前回は,平安時代初期の政治について学習しましたね。桓武天皇平城天皇嵯峨天皇の時代でした。今回は,平安初期の社会・経済のジャンルについて紹介したいと思います。

平安時代  政 治  社会・経済  文 化 
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班田収授の困難化 

この桓武天皇平城天皇嵯峨天皇の時代に,世の中ではとある問題が起こっていました。それは飛鳥時代から奈良時代へと続いていた班田収授がだんだん困難になってきたということです。6歳になったら口分田を与え,死んだら国に返すというシステムが立ち行かなくなってしまいます。

2つの原因

① 農民の貧富の差が拡大

② 浮浪・逃亡・偽籍の横行

 ①農民の貧富の差が拡大ということですが,豊かな農民は口分田をもらって税を納めればいいのですが,貧しい農民はその税の負担に耐えかねて税を払えない農民がどんどん増えていきました。でも,土地を貸してもらってるんだから税は払えるだろうと思えるのですが,それは租・庸・調だけなら十分やっていけます。しかし,男子は兵隊さんとしての労役があったり,若手の男の働き手を遠く九州まで防人としていかなければならないとか,出挙といって稲の強制貸付など,たくさんの負担がありました。口分田を耕そうにもこのように若手の働き手を奪われた農民は,口分田を耕せず,耕せないから田んぼが荒れてしまって,農作物をつくることすらできなくなります。そうすると次に起こることは何かと言うと,土地を捨てて逃げてしまう②浮浪・逃亡偽籍といって男なのに女として戸籍を偽って税負担を逃れようとする者も横行しました。そうすると,いよいよ班田収授が困難になってきますよね。

 

桓武天皇の対策

そこで,桓武天皇はいろんな工夫をしてなんとかこの班田収授を維持しようとしました。実は,班田収授というのは口でいうのは簡単ですね。6年毎に戸籍を調査して,6歳以上の男女に口分田を支給しましょうというものですが,当時データベース管理もいまのように発達していませんから,戸籍を調査して土地を確保してそれを班給し回収するという手続きには非常に労力のかかる作業でした。ですので,実際には班田を満足に行き渡らせることが難しかったわけです。そこで桓武天皇6年1班を12年1班にすることによって,その手続にかかる時間を十分にとれるし,たとえばお年寄りがなくなったとしても戸籍を更新するタイミングが延長されたので,更新されるまでは自分たちの口分田として土地を耕し生産物の一部を納税することができるのではないか?ということだったのですが,これがなかなかうまく行きませんでした。すでに班田収授というものが形ばかりのものになっていたということでもあります。

 

そもそも,これも農民の負担が重すぎるからではないか?と桓武天皇は考えるわけですね。そこで,稲を強制的に貸し付ける公出挙の利息を5割から3割に軽減しました。つづいて,国の役所で雑用を強いられる雑徭の期間も年間60日から30日に軽減しました。これで一番の働き手である若手の労力を口分田にまわせるだろうと考えたのでした。しかし,年利30%の借金といったらとんでもない額ですし,60日から30日に減ったところでなかなか大変であるということから,効果はそこまで出ませんでした。

 

財源の確保

このように負担を軽減してもなかなか班田収受がうまくいかないわけですが,うまくいかないならどうやって税収を確保しようかということを考えるようになります。それは,有力農民を指定して,直接収入を確保するようになるわけです。いままでなら農民から税を集めていたわけですが,それがたとえば国(地方)であれば一旦,租を納めさせてそれをいろんな用途に使う,あるいは朝廷であれば,一旦,庸や調を納めさせてから,それを天皇家が使ったり,二官八省で使ったり,軍隊で使ったりするようにしました。つまり,天皇家がつかう収入については予めとある有力農民を指定しておいて,「朝廷だけが使える確保しなければならない収入はきちんと納めてね。二官八省や軍隊でつかう税についてはまた別の指定農家から回収するから」といったように直営の上,確保していきました。

 

政府所有の田

 ・畿内官田

 ・太宰府所有の公営田

中央の各省庁所有の田

 ・諸司田

天皇所有の田

 ・勅旨田

皇族の田

 ・賜田

 このように,班田収授ではなく,天皇や皇族,象徴らが直接農民を指定して必要な税を納めさせる徴税方法が効果を発揮していきます。この結果,私的に多くの田を所有する院宮王臣家が増加していきます。この様子を見た皇族や貴族も「あ!それいい!うちも直接農民をしていこう」となります。そうすると,本来国のメインの収入であるべき班田農民からの収入っていうのがだんだん減っていくようになり,そうすると本来の税収である田を直営にまわさざるを得なくなりますね。そうすると表向きの国家としての収入が減少し財政圧迫をまねくとともに,さらに班田収授が困難となり崩壊に向かうことになりました。こうした皇族や貴族などがバンバン直営農家を指定するようになり,こうした皇族や貴族である院宮王臣家が増えていくことにつながるのです。今回はここまでです。