日本史オンライン講義録

受験勉強はもちろん、日々の学習にも役立つ日本史のオンライン講義です。 

025 平安仏教の成立

前回は,平安初期の社会や経済についてみてきました。 今回からは,平安初期の文化について学びたいと思います。まず,平安初期の文化でなくてはならないのが,空海というお坊さんです。中学校で習ったと思いますが,今回は空海が登場しますので,まずはそれにちなんで仏教の話をしたいと思います。 

 

奈良から京都へ移り,京都での仏教とはどんな特徴があったのでしょうか。京都での仏教プロデューサーは桓武天皇です。プロデュースした桓武天皇の保護により,平安仏教が生まれていったのです。そもそも桓武天皇がなぜ都を移したのかっていう理由もここにあるわけですよね。それは奈良の都は,とにかく仏教の影響が強すぎたわけですね。これは奈良時代の仏教は鎮護国家思想だったからです。仏教の力で国を治めようとする仏教であるから,そうしても宗教が政治に介入をしてくるわけですよね。そうすると,女性の天皇とっできちゃって,あわよくば天皇の位を狙おうっていうようなクソ坊主・道鏡のようなヤツも現れたりもしました。桓武天皇からすると,京都にもこうした仏教勢力が来られると,ちょっと鬱陶しいわけですね。そこで,平城京のお寺を平安京にはもう連れてこないことにしたわけです。 

 

ではこの時代に登場した平安仏教とはどういう仏教なのでしょうか。 平安初期時代の仏教の特徴は,本格的な密教の導入です。今までの奈良仏教のような仏教のことを顕教と言いまして「顕」とは「明らかにする」「表す」「表にする」っていう意味があるのですが,密教はというと秘密の呪法の伝授や習得によって悟りを開く仏教のことです。 呪法というのはおまじないのことですね。つまり,秘密のおまじないを唱えてあるいはそういう呪文を書いてそれで悟りを開くのですが,この呪文をどのように使っていくかというとをお祈りをするわけですね。そんな密教のお祈りのことを加持祈祷といいます。秘密のおまじないを習得し,お祈りをすることによって現世利益を願うわけです。現世利益っていうのは実際の生活での利益ってことです。

 

ってことで,なんかちょっと今までの仏教の感じ方とちょっと変わってきましたよね。 受験に合格できますようにとか,男運が高まりますようにとか,病気が治りますようにとか,そういった実際の生活の利益をお祈りと呪文によって実現しようという宗教です。ちょっと今までの仏教とは毛色が違ってますよね。ですので,こういう現世利益の宗教ですので,政治に深く関わって来るって言うことではないわけです。あるいはこういう実際の生活での利益を重んじたために,貴族や皇族といった人たちには爆発的に流行したのでした。だって,男運を高めるおまじないとか,受験に合格するおまじないとか聞いただけでも,「面白そう!もっと教えてー」って聞きたくなりますよね。そういうイメージで,貴族や皇族に非常に流行したのでした。

 

そして,日本の代表的な密教が二つあります。 それは天台宗真言宗です。

 

まずは天台宗からみて行きましょう。天台宗を開いたのは最澄という人物ですね。この最澄が開いたお寺が比叡山延暦寺です。この最澄は,遣唐使で中国に渡って行って,天台の教えを持ち帰るわけですが,密教の教えを持ち帰ったのではなく,今までの仏教の流れを引く仏教を遣唐使として研究して日本に持ち帰ったわけです。そうしてみると,中国で勉強して日本に戻ってみると「ちょっと日本の仏教の世界はおかしいんじゃないか」と疑問が湧いてくるわけですね。そこで今までの顕教と言われた仏教を戒める論をかくわけです。特に,東大寺筑前観世音寺あるいは下野薬師寺は,お坊さんになるための免許が授けられるっていうことが決まっていたんですけれども,最澄は,自分が信じたお寺であれば免許を与えてもいいんじゃないか?いうことで,戒壇といってお坊さんの免許を与える新しい場所を作ろうとしたんです。しかし,そこで東大寺などと喧嘩をして,その中で「今までの仏教のあり方おかしい!」っていう本を書くわけですこの最澄の初めた天台宗はのちに密教化し,天台宗の「台」という文字をとって「台密」と言われるように言いなります。 のちにこれを密教化したのは弟子の弟子の世代で円仁という人や円珍という人です。円仁と円珍はのちに方向性の違いから別れてしますのですが,円仁は山門派円珍寺門派の祖となるわけです。

 

 もう一つの方は真言宗なんですが,こちらのほうが純粋な密教でして,こんなエピソードがあります。 最澄空海も804年に遣唐使として中国に渡りました。そして,最澄は翌年の805年に中国の仏教を学んんで日本へ帰っていったわけですが,空海は翌年の806年に帰国をします。この1年の差が,二人の明暗を分けるわけです。残された空海は1年の間に,当時中国でも最新の密教っていうのが流行りだして,空海密教の呪文や修行を一年間勉強することができたわけです。そして,密教の呪文や密教の修行の方法などを翌年の帰りの遣唐使で日本に持ち帰るわけです。1年前に帰国した最澄としては当時最新の仏教を持ち帰ったことで,かなり日本でちやほやされていたのもつかの間, 空海が1年後に帰ってきて「最澄さん!それはちょっと古いですよ。私の勉強してきた密教はこうですよ」って言ったら空海さんに人気がどっと集中したのでした。一躍人気となった空海さん,一方で最澄は今までの仏教と戦っていたので,その足がかりとして最澄空海から当時最新の密教を学んだわけです。ただ,空海さんと最澄さんとの関係がじょじょに亀裂が生じてきます。だって,年上の最澄さんが年下の空海さんに教えを乞うっていう形になってしまい,二人の仲がギクシャクしだすんです。

 

という経緯があった空海さんのお話をここからはしていこうと思います。最澄さんは,今までの古い形の仏教を持ち帰ったが,1年間多く中国で勉強することができた空海さんは,当時最新の仏教を持ち帰りました。その最新の仏教というのが密教のことで,真言宗を開きます。寺院は,高野山金剛峯寺ですね。この金剛峯寺は,非常に山奥にありますので,もう一つ京都の街中に本拠地を構えます。それは,京都駅の近くにばかでっかい五重塔があります教王護国寺です。別名東寺ともわれます。著書としては,三教指帰といって,「儒教道教,仏教を比較し,その中でもやはり仏教が一番優れているんだ。」ってことで仏教の優位を主張したのが三教指帰という本ですね。 この真言宗最澄山ののちに密教化けるされた流れとは異なり,中国から直接密教を持ち帰りました。こちらを台密に対して東密と言われます。

 

天台宗台密ですね,東寺を本拠地とした空海の仏教を東密というわけです。 というわけで大きく天台宗真言宗が代表的な日本の二つの密教の宗派となります。中国から密教を持ち帰った最澄ですが,最新の密教空海に詳しく教えてもらってだんだん密教化していくわけですね。そして密教は,のちに円仁・円珍が完成させるという流れです。これが,大きな二つの密教なんですけれども,この天台宗真言宗の秘密の呪文や秘密のお祈りをする際に,山にこもって修行することも多いわけですが,この山にこもって修行をするっていう密教の教えと,山岳信仰とが結合をして,山伏のように実践的な修行によって悟りを得ようという実践的な信仰(修験道)が成立したのでした。

 

もう一つの密教の世界を特徴づけるものとして,この時代から神仏習合が次第に始まっていくわけです。神仏習合って何かって言うと,神仏,つまり神道と仏教がまざっていくということです。 たとえば神社仏閣というように,初詣に行ったり,お寺に参ったりしていると,我々でさえ今自分は神社に行ってるのか?お寺に参っているのか?どっちだっけ?ってなることがありますよね?そんな風に神道と仏教っていうのがだんだん 融合してくるようになります。具体的には,神社の中にお寺を作ったりします。神社の中に作られたお寺のことを神宮寺といいます。あるいは,寺の中に神様をまつることもあります。姿はお坊さんなのですが,八幡様という神様の像で僧形八幡神などが作られるようになったのもこの時代です。

 

今回は真言宗天台宗を中心に,のような修験道神仏習合も現れたよっというような話をしました。今回はここまでです。