日本史オンライン講義録

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026 弘仁・貞観文化

目次

今日は、平安初期の文化についてお話をします。前回は平安初期の仏教文化について紹介しましたが、今回は仏教以外の文化をみていくことにします。この平安初期の文化のことを弘仁・貞観文化といいます。この弘仁とか貞観というのは、平安時代初期を代表する年号のことで、弘仁というのは嵯峨天皇の時代貞観というのは清和天皇の時代であることを抑えておきましょう。

文章経国思想

さて、この弘仁・貞観文化ですが担い手は貴族が中心です。この貴族たちは何を勉強して文化人をめざすのかというと、たとえば中国の歴史の本や行政の本を読んで中国的教養を身につけたり、あるいは文章で自分を表現したり、いわゆる中国の古典や漢文学を読み書きすることによって教養力を高めた貴族が国の経営に採用されたのでした。

密教

宗教においては、前回お話した密教天台宗真言宗の広まりが背景にありました。

中国風の重視

中国の古典について学んだ人たちが役人に採用されていくわけですので、中国の唐にならって宮廷の儀式などが執り行われるのでした。それでは弘仁・貞観文化の中身をみていくことにしましょう。

文芸と学問

漢文学の発展

この時代、天皇が自ら編纂させた勅撰漢詩集として「凌雲集(りょううんしゅう)」あるいは「文華秀麗集(ぶんかしゅうれいしゅう)」「経国集(けいこくしゅう)」が作られました。

覚え方は理系文系(り系・ぶん・けい)。

ょううんしゅう・ぶんかしゅうれいしゅう・けいこくしゅう

みんな漢詩を作るようになると、天皇や貴族のみならず、この時代一流の文化人である空海が、漢詩を作っていて「性霊集」(漢詩文集)や「文鏡秘府論」(漢詩の評論集)を遺しています。

 

教育機関

このように漢詩文をさかんに貴族たちが作り、中国の古典について勉強をして出世をめざしました。そこで、貴族たちが出世のために勉強をする教育機関がいくつか作られたのです。

大学

大学では、孔子の教え儒教を学ぶ明経道(みょうきょうどう)や中国の歴史を学ぶ紀伝道(きでんどう)がさかんに勉強されるようになります。

大学別曹(べっそう)

大学は国家をあげたオフィシャルな教育機関なのですが、さらに出世のためもっと勉強したいなと思う貴族が、同じ一族の若い連中が学び合い、競い合いして一族の反映をめざす寄宿舎兼塾を設立しました。これを大学別曹といいます。

大学別曹の覚え方

「若人たちがありし冬かな」

和気(け)氏        :弘文館(こうぶん)

橘(たちばな)氏    :学館(っかん)院

在原(ありわら)氏:奨学(ょうがく)院

藤原(じわら)氏:勧学(んがく)院

 

 

貴族のために開いた学校もあれば、空海が開いた学校もあります。この時代、空海のためにあるような時代で、空海関連がたくさん登場します。まず空海が開いた学校は、綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)です。この綜芸種智院の特徴は、庶民の教育にも門戸を開いていることが挙げられます。

 

密教美術

この時代は密教の時代ですので、密教をもとにしたお寺や仏像をみていくことにしましょう。その前に、密教というのはどういう仏教でしたか?鎮護国家思想で国を治めていく仏教というよりも、個人が病気を直したいとか、出世したいとか、そういった現世利益に重点の置かれた仏教でしたね。こうした密教というのは比較的スケールもこじんまりとしたものになっていくわけです。

 

建築

今までの仏教は、たとえば東大寺興福寺法隆寺などのようにスケールの大きいお寺にどかーんとスケールの大きい仏像が鎮座しているといったイメージでした。しかし、密教はどちらかというとこじんまりとした、しかも形式にあまりとらわれないお寺の位置どり(伽藍配置)をしています。たとえば、傾斜地に建てられている室生寺金堂、あるいは室生寺の林の奥まったところに建てられている室生寺五重塔などがあります。

 

彫刻

そうすると彫刻のスケールもこれまでの仏教とは違ってきます。奈良の大仏など大きな仏像はというと、仏教の力でこれから国を治めていくぞ!ということでスケールも大きいものでしたが、密教では「おばあちゃんの病気を治してください、どうか出世ができますように」っていうように小さな願いをこめて手を合わせるわけですから、仏像のサイズも小さくなっていきます。なので、弘仁貞観文化の仏像は小さいサイズになるということをおさえておきましょう。奈良時代の仏像は、乾漆像や塑像のように、最初に土台を作ってそこから粘土を盛り上げたり、漆をぬった布をはりつけて、どんどんと大きくしていく手法でした。一方で、平安初期の仏像というのは、はじめに一本の木があってそれをどんどん掘りこんでいくことで最終的にミニチュアサイズへと仕上がっていくのです。とくに、こうした弘仁貞観文化でよくみられる一本の木を彫り込んでつくる手法のことを一木造りといいます。神秘的というキーワードがぴったりなのですが、大阪の観心寺如意輪観音が有名です。神護寺元興寺薬師如来像も挙げられます。この薬師如来像は、病気を治してくれる仏様ということなので密教と非常に相性がよくて、よく作られます。薬のツボをもって非常に静かな佇まいで神秘的といえるでしょう。そして、さきほどもしょうかいした室生寺金堂や弥勒堂の釈迦如来など、こうした仏像が密教美術の代表的な例です。

 

絵画

なにしろ密教ですので、絵画も神秘的です。代表的なものは、園城寺不動明王ですね。これは別名黄不動ともいわれます。この園城寺不動明王像というのは現在は存在しませんが、これを模写したのが万寿院というお寺に存在しています。そして、曼荼羅(まんだら)といって、仏教世界を絵で表したものなのですが、この時代は密教の時代ということもあってたくさん作られます。たとえば、神護寺両界曼荼羅空海ゆかりの教王護国寺両界曼荼羅などです。

 

今回は、平安初期の文化である弘仁貞観文化のお話をしました。貴族たちは盛んに漢文学を勉強し、漢詩を書き、そして仏教では密教に関しての、たとえば神秘的で小柄な仏像や小規模なお寺が営まれるようになりました。今回は以上です。