日本史オンライン講義録

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034 源氏の進出

目次

 

前回は、武士が現れると同時に、武士という存在をだんだん無視できなくなりつつあるというお話をしました。今回も、その武士が登場するわけなんですが、武士の代表格といったら、源氏もしくは平氏です。

源氏(清和源氏平氏桓武平氏

まず登場するのが、源氏です。源氏の中でもここで取り上げるのは清和源氏です。これは何かというと、清和天皇であるとか、桓武天皇であるとかが、跡継ぎを例えば長男に決めたとします。すると、長男以外の次男坊や三男坊は、もう次の天皇になれなくなるわけです。とはいえ、その辺で遊ばせていくわけにはいきません。そこで、天皇直々に名字(姓)を与えて、家臣にするわけです。このことを臣籍降下といいます。なので、清和天皇の血筋を引いて「源」という名前を与えられたのが源氏(清和源氏であり、桓武天皇の血筋を引いて「平」という名前を与えられたのが平氏桓武平氏となるわけです。

源氏の主役1人目

そんな清和源氏として最初に登場するのが、源経基です。一方、桓武平氏が世の中に登場する皮切りとなるのが平貞盛です。実はこの2人、一度登場しています。そう、承平・天慶の乱平将門の乱藤原純友の乱でしたね。平将門の乱を鎮圧したのが平貞盛で、藤原純友の乱を鎮圧したのが源経基でしたね。非常に大規模な反乱だったのですが、それらを鎮圧する大きな原動力となったということで、「源氏や平氏って案外使える奴らなんだなぁ」と貴族らからも評価され、彗星の如く現れたのがいわゆる源氏平氏なのです。

源氏の主役2人目

そして、源氏の2番手として源経基の子どもで源満仲が登場します。源満仲は、かつて藤原氏が他氏排斥を完結させた安和の変で、摂関家藤原氏)に協力することによって急速に接近することに成功し、源氏摂関家の保護を得ることができました。 

源氏の主役3人目

平忠常の乱 

さて、次の源平の主役はというと、源氏は源満仲の子にあたる源頼信・頼光。そして、平氏平忠常です。

(参考)

源頼光の方がお兄さんなのですが、大学受験で重要度の高いのは頼信の方です。とはいっても、頼光さんも非常に強い武士として知られていて、酒呑童子(しゅてんどうじ)というバケモノを退治したことで有名な頼光さん。そんな頼光さんには、坂田金時(さかたのきんとき)という名の足柄山出身の頼もしい家来がいました。そう、何を隠そうこの坂田金時、幼少期の名前が、♪マサカリかついだ金太郎〜♪の歌でも知られる「金太郎」なのです。熊と戦って勝った金太郎さんの話は残念ながら、大学受験では聞かれることはまずありませんが…。

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↑「大江山酒呑退治」 安政5年(1858年)10月 大江山酒呑童子を退治しようとする源頼光とその配下たち。酒呑童子が首だけになっても頼光たちに襲いかかる。

このときに何が起きたかというと、国司と揉めた平忠常が房総半島で反乱を起こしました(平忠常の乱)。しかし、すぐさま朝廷軍として東国へ派遣されることになった、熊と戦って勝った金太郎と日本最強の武士・源頼光とその弟・源頼信軍を目の当たりにした平忠常は戦意喪失し、そのまま降伏してしまいます。ここで源氏が勝利し、ここで痛い敗北を喫してしまった平氏の勢力はしばらくの間衰えることになるのです。一方で、源氏はというと「朝廷の敵を鎮圧し、さすが源氏だ!」と貴族の間からも評価を受け絶好調なゾーンに突入します。

ここで確認ですが、今までの平氏の根拠地はどこでしたか?そう、東国(関東地方)に勢力を持っていましたね。しかし、今回、西国の源氏が、東国の平氏を鎮圧したことによって、源氏の東国進出のきっかけとなりました。これが平忠常の乱です。

 

源氏の主役4人目

前九年合戦

4人目の源氏は、父・源頼義と 子・源義家です。お父さんの頼義は、陸奥鎮守府将軍として有名なのですが、鎮守府の役割は何かというと、鎮(しず)めて守るとかいて鎮守府ですので、もちろん東北地方の治安を守る、東北地方で起こった争いを平定することがメインのお仕事です。そんな中、東北で強大な力にモノを言わせて好き放題していた有力豪族安倍氏に対し、鎮守府将軍源頼義は、力を貸してくれた清原氏とともに、安倍氏を征討することに成功します。これを前九年合戦といいます。

後三年合戦

続いて、子の義家です。義家もお父さん(頼義)のように、陸奥鎮守府将軍として東北地方の治安を守る任務にあたります。すると、先の前九年合戦で勝利に貢献した清原氏が、今度は清原氏同士で争うようになります。よくある話ですよね、あの藤原北家も次々とライバルを倒しまくった後、今度は自分たちの中でナンバーワンは誰かを決めようや!というあのパターンです。

そんな内紛に対し、鎮守府将軍として争いを鎮めなければならない源義家は、清原氏同士の中でも清原清衡(きよはらのきよひら)サイドを助けることによって無事に平定しました。これを後三年合戦といいます。そしてこの清原清衡は、のちに藤原清衡と改名し、この藤原氏ファミリーが奥州藤原氏となって一時代を築いていくことになります。

(参考)姓が清原から藤原に変わったということを上でお話しましたが、これはかつて中臣鎌足が死ぬ直前に天智天皇から藤原姓を賜ったのとは少しワケが違います。というのも、もともと清衡は藤原姓だったのですが、お母さんが安倍氏の娘であったことから、前九年合戦で安倍氏清原氏に敗れ、清衡はお母さんと一緒に清原氏へ入ることを余儀なくされます。ここで改名し清原清衡になるのですが、今度は清原氏同士の内紛が起こりましたよね?そう、後三年合戦です。そこで清衡は家衡と争います。清衡サイドの助けに回った源義家の功績もあって、清衡は勝利するのでした。その後、清衡は清原姓から、もとの藤原姓へと再び改名し、藤原清衡と名乗ることになるのです。ここまで試験で問われることはないですが、丸暗記で終わらせてしまわず、丁寧に整理をしたほうがかえって近道になるので知っておきましょうね。

まとめ

このように源氏は、大きな反乱を鎮圧したり、藤原氏に協力して摂関家の保護をうけたり、東北地方の動乱を鎮めたりと、なかなか絶好調でした。しかし、源氏の5人目・源義親というちょっと問題児な奴が朝廷に反乱を起こしてしまい、それを今度は平氏が鎮圧するという今までの源氏と平氏の立場が逆転してしまう現象が起こるのですが、それはまた今度お話することにしましょう。