039 院政期の文化
もくじ
さて、長かった平安時代も今回で最後となります。では平安時代最終回、行ってみましょう!
院政期文化の特徴
後期から末期にかけての文化、それが院政期文化です。院政期文化の特徴とは一体何なのでしょう?平安中期のころは、貴族が世の中心的存在でした。やがて、平安後期ころからは武士が登場していきましたね。そもそも武士っていうのは、貴族に仕える犬のような存在でした。でも、そんな武士が武士団を形成していきます。例えば、奥州藤原氏なんかがその代表例なのですが、地方に館を構え、地方のお館様が活躍していくということですので、文化の担い手も貴族から武士あるいは庶民へ、あるいは中央から地方へと広がっていくといったのが院政期文化の特徴として挙げられます。
浄土教思想の全国的広がり
では、仏教の世界をみていきましょう。その前に、仏教の流れをおさらいをしておきましょうね。まず、弘仁・貞観文化のときには密教、国風文化のときには浄土教が広がりを見せました。中央(都)では、「お釈迦様が亡くなって2000年経つ末法の世の中なんだから、現世はあきらめて、せめて死んだあとの来世では天国に行きたい!」と願う人々が多く、浄土教ブームに火がついたのでした。そして、院政期ではそれが地方へと波及していくのです。浄土教では、天国にアテンドしてくれる担当の仏様は誰でしたか?そう、阿弥陀さまでしたね。なので、阿弥陀如来像を祀っているお堂、つまり阿弥陀堂の建築が地方でも多くみられるようになりました。例えば、都の貴族の阿弥陀堂は?というと、宇治の平等院鳳凰堂なのですが、地方の武士や庶民が阿弥陀さまを祀った建物として代表的なのが、中尊寺金色堂です。
中尊寺金色堂
金箔が貼られてピカピカに輝くTHE世界遺産が、あの奥州藤原氏の1人目である藤原清衡によって陸奥国平泉(今の岩手県)に建立されました。
富貴寺大堂
非常に地味では有るのですが国宝として認定されている阿弥陀堂が現在の大分県、かつての豊後国に建立されました。
白水阿弥陀堂
かつての陸奥国(いまの福島県)に、白水阿弥陀堂が建立されました。
三仏寺投入堂
これは一度見てみたい!かつての伯耆国(今の鳥取県)に建立されました。文章ではなかなかその魅力を語ることができないので、百聞は一見にしかず。写真を見てみましょう。
崖のくぼみの部分にスポっと投げて嵌めたような形でおさまっているお堂です。こんなところにあるのか?!っていう珍しさだけでなく、そのお堂を支える一本一本の柱の木組みが実に細かく精巧に出来ているのも特徴です。
はい、このように「岩手県」「福島県」「鳥取県」「大分県」と浄土教思想が地方に広がって阿弥陀堂建築がたくさんできたということがうかがえます。
芸能
ちょっと今までと毛色の違ったジャンル、それが芸能です。庶民が楽しんでいる芸能、これを上の階層である貴族が「おっ、庶民どもがなかなか面白そうなことをやっているなぁ」と逆に採り入れていく、普及していったのが芸能です。そんな芸能の代表的なものが今様です。
今様
民間の流行歌謡です。代表的なのは「遊びを〜せんとや〜♪」といったように、ちょっとした鼻歌のような少し韻を踏んだような恋の歌やちょっとした言葉遊びの歌、民間の流行歌謡を今様といいます。流行というのはいつ流行っているの?それは今でしょ?ということで今様と名付けられています。しかも、この今様を楽しんだのは、後白河法皇ですね。時の権力者かつ皇族が庶民の流行歌謡を採り入れるというのはかつてなかったことです。後白河法皇は、今様集である「梁塵秘抄」を編集しました。
催馬楽
庶民の芸能を貴族が採り入れていく他の例として、催馬楽が挙げられます。古代の歌謡から発達した歌謡です。
朗詠
和歌や漢詩の名句を吟じる詩吟のようなものです。
田楽
神に捧げるための田んぼで謳われた踊られた祭礼です。
猿楽
滑稽を主とした技芸・歌曲です。
以上のような庶民芸能が貴族に採り入れられていくのでした。
文学
今昔物語集
このあたりは、古典の授業でもよく出てくるやつですね。 インド・中国・日本におけるエピソードを集めた説話集です。ちょっとこれは教訓になるなぁ、ちょっとこれは如何なものか、といった説話をまとめたものです。
軍記物
将門記
将門とかいて「しょうもんき」とよみます。これはもちろん平将門を描いた軍記物です。軍記物とは、戦乱や戦乱の経過をまとめた文学ジャンルのことで、ドラマあり、戦いあり、と読んでいてもなかなか面白い文学だと思います。
陸奥話記
陸奥で起きた戦乱といえば、前九年合戦。源頼義・頼家が、東北地方の清原氏に肩入れをして安倍氏の反乱を鎮圧したとされる前九年合戦を描いた軍記物です。
歴史物語
栄花物語
藤原道長の栄華を肯定的に描いた歴史物語です。いわゆるサクセスストーリとして捉えたのが栄華物語ですね。
大鏡
藤原道長の栄華を批判的に描いた歴史物語です。つまり、権力に奢れる者というのはいかがなものかという視点で書かれたのが大鏡です。この道長さんという人は平安中期を行きたの人物ですが、栄花物語や大鏡というのは平安後期に書かれたものです。つまり、歴史物語というのは、その人が生きた一時代あとの人によって書かれるので、平安後期の作品となるわけです。成立年代と登場人物の年代がズレるということに注意しましょう。
絵画
絵巻物
絵が描かれた巻物を両手にもってどんどん開きながら巻きながら読んでいくとストーリーが展開していくというのが絵巻物です。この絵巻物があるおかげで、のちの日本のマンガ文化が起こったと主張する研究者もいるくらいです。
源氏物語絵巻
まずは源氏からいきましょう。ここで登場する女性は、引かれた目にカギ型の鼻を描いた引目鉤鼻の技法で描かれます。あと、屋敷の屋根は描かずに、屋敷の内部を描く吹抜屋台の技法でも描かれていたりします。
伴大納言絵巻
藤原氏の他氏排斥事件の一つでもある応天門の変の顛末を描いたのが伴大納言絵巻です。伴大納言の伴って誰のことを指すか分かりますか?そう、藤原良房のときに登場した源信(みなもとのまこと)の政治上のライバル・伴善男のことです。
年中行事絵巻
これは記録とかの意味合いが強いです。宮中の年間行事を描いていく年間行事絵巻です。
信貴山縁起絵巻
これは妙蓮さんっていうお坊さんの軌跡物語なのですが、それ以上に価値のあることとして、その時代の風景や庶民生活が描かれていることから、その時代の庶民の暮らしぶりが分かるという点に価値があります。
鳥獣戯画
動物を擬人化して描かれたマンガの要素がたっぷり感じられる鳥獣戯画。カエルがふんぞり返ったり、うさぎがふざけたりと、人間の醜い部分を動物に姿を変えて揶揄(やゆ)している点に面白さがあります。
なぜかスマホアプリでも配信されていますので、iOS(iPadのみ) を仕える環境の人はインストールしてみてはいかがでしょうか?
装飾経
絵と文章で表現していると言う点では絵巻物とトーンはよく似ているのですが、 お経にを施し飾るというもので装飾経というものがあります。
平家納経
平清盛が厳島神社に治めたお経です。厳島神社は広島県にあります。とすると、この時代に平家が収めたものに対して、江戸時代の俵屋宗達が表紙を付けるわけですね。いまは俵屋宗達と平清盛、まさに教科書の平安時代と江戸時代を飾る究極コラボ作品となっているのが平家納経です。
扇面古写経(せんめんこしゃきょう)
開かれた扇型の紙にお経と絵が書いてあります。そこにはどんな絵が描かれていたかというと、当時の庶民生活を描いたものです。
さて、これで長かった平安時代もこれで完結です。お疲れ様でした。