日本史オンライン講義録

受験勉強はもちろん、日々の学習にも役立つ日本史のオンライン講義です。 

041 鎌倉幕府

目次

さて、いよいよここから鎌倉時代が始まります。幕府というものができるわけなのですが、そうすると「知ってるよ!いい国(1192)作ろう鎌倉幕府だろ?」「いやいやいや、最近はいい国じゃないんだよ、いい箱(1185)作ろう鎌倉幕府で覚えるんだよ!」みたいな歴史愛好家あるあるトークがかんたんに想像できるのですが、私から言わせてみると、どちらも間違いではないと思っています。1185年は守護地頭の設置された年だし、1192年は征夷大将軍源頼朝が任じられた年なので、幕府機構が整備された年をスタートと考えるのか、やっぱり将軍というリーダー誕生をもってして初めてスタートと考えるのか、という見方の違いなだけであって、どちらも間違いではないないと思います。

源頼朝の勢力拡大

東国支配権の承認

さて、根拠地を相模国(今の神奈川県)として源頼朝ですが、源氏を始めとする東国の武士団をどんどんと味方に付けていきます。いわゆる主従関係を確立していくわけですね。そして、後白河法皇によって寿永二年宣旨が出されると、「新しく俺たちの世の中になっても、お前さんたちが元から持っている土地はきちんと保障するからな」ということで、畿内よりも東側にあたる東海道東山道の支配権(東国支配権)が承認されます。後白河法皇を中心とする朝廷は、東国をお前に任せようということで頼朝に任されたエリアができたわけですので、1183年を持って鎌倉幕府成立とする考え方があります。

2つの権利の承認

さらに、後白河法皇はじめとする朝廷によって以下の2つの権利が承認されました。

  • 諸国に守護を任命する権利・荘園や公領に地頭を任命する権利
  • 地頭が一段あたり5升の兵糧米を徴収する権利

これら2つの権利が1185年に認められましたのですが、このように鎌倉幕府の根幹をなす守護地頭システムと地頭による兵糧米の徴収権を得たということから、1185年を幕府の実質的なスタートと見る専門家もいます。

 

それにしても幕府とはそもそも一体何なのでしょうか。幕府っていうのは、一言でいうと臨時政府のようなものです。日本の治安を守るのが朝廷の本来のシゴトなのですが、いかんせん朝廷だけでは力不足なので、後白河法皇らが源頼朝に対して日本の治安を維持するためなら、その必要な兵力として守護や地頭を任命する権利を持たせ、そのために必要な軍事費を徴収することも許可していったのでした。

奥州藤原氏の滅亡

さて、このタイミングで奥州藤原氏が滅亡します。源頼朝は、源義経をかくまったとして藤原泰衡を討ちます。これで、頼朝は日本全国の武士を従えていることになり、1192年に朝廷から正式に征夷大将軍に任じられます。これが、いい国作ろうの1192年。実際のところは、1185年に守護・地頭設置が認められているので既に軍事政権としての幕府体制は確立していたのですが、今回、征夷大将軍として正式に任じられたことによって名実ともに幕府、いわゆる鎌倉幕府が成立します。

幕府のしくみ

それでは、幕府の内部に迫ってみましょう。まずは中央政府から。

侍所(さむらいどころ)

名実の実の部分が出来上がった1180年頃の段階で設置された組織が侍所です。将軍の家来たちのことを御家人というのですが、その御家人の統率や軍事・警察など、要するに武士であることの役職を侍所といいます。この侍所の長官のことを別当と呼びます。初代別当は誰か?ということがよく試験で問われますので、初代別当和田義盛であることを抑えておきましょう。

政所(まんどころ)

続いては、政治の政に所と書いて政所(まんどころ)といいます。幕府の政治的な部門で、財政や一般事務を担当します。この政所の長官のことも別当と呼びます。初代別当大江広元です。

 

問注所(もんちゅうじょ)

そして、中央政府における重要機関としてもう1つ。問注所です。この問注所は、訴訟や裁判とかの事務を担当します。この問注所の長官は執事と言います。初代執事は、三善康信です。

 

では続いて、地方機関をみていくことにしましょう。

守護

一国内の御家人の指揮・統率を担います。各国につき一人ですので、かなりの有力な人物が守護として任じられます。では、この守護の具体的な任務をみていくことにしましょう。守護の職務は大犯三箇条といって、

以上の3つのことをいいます。京都大番役の催促というのは、一国のリーダーとして守護がおり、その下に多くの御家人たちがいるわけですが、その中から京都を守る守備隊(京都大番役)として何人か派遣する権限を守護は持っているのです。そして、謀反人の逮捕や殺害人の逮捕についてですが、私達のいるこの時代の世の中で謀反人や殺害人を逮捕するシゴトに就いている人といえば誰ですか?そう、警察官ですよね。要するに、警察官のリーダーが守護にあたるわけです。だから、身近な例としては、その県の県警本部から何人か皇居の治安を守るために警察官の派遣を命令する県警本部長みたいな位置づけが守護にあたるのではないでしょうか。その一国の治安維持や、警察権の行使を実行するということになります。

 

地頭

守護と並ぶ鎌倉時代の柱となるのが地頭です。地頭の職務は、

  • 土地の管理
  • 治安の維持
  • 年貢の徴収

を行います。以前、荘園公領制のところでもお話をしましたが、一国にはたくさんの荘園と公領が入り組んでいましたよね。荘園には荘園の持ち主(本所)がいて、公領には公領の持ち主(名主)がいました。こういった荘園や公領に地頭という武士が配置され、この荘園一帯の治安を守るのでした。もちろん治安維持も行いますが、国司に対して税を納めなければならない名主が地頭に対して「すみません、地頭さん。私のかわりに所従・下人の農民たちから年貢を集めてきてくださいな。お願いします。」という依頼が増えていきます。地頭も「わかった。じゃあ、年貢を集めてこうじゃないか!」ということで、所従・下人の農民らに対して「おい、そこの農民よ。名主の◯◯さんに代わって私が地頭として年貢を集めにきた。お前ら、年貢を払いなさい。」ってな感じになるわけですね。地頭は刀を持っているわけですから、農民たちも無駄な抵抗はせず素直に税を払います。そして、地頭は名主に対し「この土地一帯の治安維持と税の徴収までこの地頭がやってやったのだから、その代わり我々の取り分として一段あたり5升の兵糧米をいただくぞ。いいな?全てはこの土地の平和のためだ。」となるわけです。

京都守護

のちに権限が拡大され、六波羅探題と改められます。職務は、京都あるいは西国の御家人の統率をします。

鎮西奉行

この鎮西というのは、九州のことです。熊本県鎮西高校というスポーツの強い浄土宗系の私学があります。そんな九州の御家人を統率するのが任務です。

 

というように、今回は源頼朝さんが幕府を作りました。幕府というのは日本の治安をまもる臨時政府(軍事政権)です。だから、各国に警察長官である守護を1人ずつ配置し大犯三箇条の権限が認められました。また各地の公領には地頭が置かれ、税を徴収し土地一帯の治安を守る代わりに田1反あたりにつき5升の兵糧米を取ってもOKとする権限が認められたのでした。