日本史オンライン講義録

受験勉強はもちろん、日々の学習にも役立つ日本史のオンライン講義です。 

042 幕府と朝廷

目次

 

タイトルにもあるように、幕府と朝廷のはなし、あるいは幕府のしくみのはなしをしばらくしましょう。

封建制度

日本史にも世界史にも封建制度って登場してくるのですが、日本史では、この時代に土地の給与を通じて将軍と御家人(いわゆる家来のこと)との間に主従関係が成立しました。どのような主従関係が成立したのかというと、まずは将軍です。御家人というのは将軍の家来、つまり武士のことね。そして、将軍から御家人に向かう矢印は何かというと、御恩といいます。そして、御家人から将軍にお仕え申し上げることを奉公といいます。

御恩 

本領安堵

この将軍から御家人に対して下される御恩その1は、本領安堵といって「あなたが持っている先祖伝来の所領(土地)はそのまま持ち続けても良いぞ」っていうことです。そんなの当たり前じゃねえの?「ははーっ、ありがとうございます!」ってな感じで御恩に感じることなんてないでしょ?ってつい思ってしまいがちなのですが、実はこの時代は、平氏政権や治承・寿永の乱の後ですので、「もしかするとこのまま世の中は大きく変わってしまうのでは?」「今は源氏の味方をしているけど、オレって実は昔、平氏の味方をしてた頃もあったから、きっとオレって目を付けられているよなぁ…。はぁ、土地を召し上げられるのかなぁ…。」とみんな不安に感じていたのです。しかし、頼朝さんは「そのまま先祖伝来の土地を持ち続けても良いぞ!」って言ってくれるわけです。やっぱり将軍様だけあって、器がでかいですよね。御家人も「あぁ、よかった!ありがとうございます、頼朝様!」と将軍からの御恩を肌で感じるわけです。

新恩給与

そして、将軍が御家人に対する御恩その2は「お前たち!新たな所領をお前達に与えてしんぜよう」というわけです。これを新恩給与いいます。これにも御家人たちは「ありがとうございます!」と言いながら、将軍様からの御恩を感じるわけです。

奉公

京都大番役(京都の警護)

さて、そんな将軍様からの御恩の気持ちに対して、今度は御家人の奉公の気持ちをみていきましょう。どのようなご恩返し(奉公)をするのかというと、例えば、京都の警護をする京都大番役です。京都を守るために派遣される機会がもしあれば「頑張ります!」と手を挙げるんです。

鎌倉番役(鎌倉の警護)

あるいは、幕府の中心である鎌倉を警護する鎌倉番役です。鎌倉の治安を守るシゴトをして欲しいって言われたら「はい、やります!鎌倉守ります!」といったような感じですね。

軍役

そもそも幕府っていうのは、日本の治安が悪くなった場合あるいは外的から攻め込まれ場合には、臨時政府として戦わなければなりません。普段はあまり必要ないものの、何か起きた場合には戦わなければならないわけです。何かあったら「いざ鎌倉!」を合言葉に、「日本を守ろう、敵をやっつけよう」という気持ちを持って将軍様に奉公するのです。

こういった本領安堵新恩給与のような御恩に対して、御家人たちは「京都大番役、頑張ります!」「鎌倉番役として、やりぬきます!」「何かあったら『いざ鎌倉!』精神で働きます!」といった奉公で恩返しをしていくのでした。

幕府の経済的基盤

幕府のしくみを次々と見ていきましょう。では、幕府の経済的基盤を詳しく。つまり、幕府を下支えする収入の出処はどこなのでしょうか。

関東知行国

頼朝が朝廷から与えられた知行国のことを関東知行国といいます。この国からの収入は全て総取りしても良しとするのが知行国制でした。

関東御領

頼朝が所有する荘園のことです。頼朝さんが元から持っていた荘園もあったのですが、多くは平氏を倒したときに平氏から没収した荘園(平家没官領)も含みます。

 

幕府と朝廷って何が違うの?

さて、この時代になって「幕府」が登場してきました。そのために「朝廷」と「幕府」の違いについて、いまみんなは少し状況がわかりづらくなっているんじゃないかな?朝廷と幕府っていう関係性がいまいちピンと来ないよね。どっちが偉いの?どっちが権力持ってんの?状態だとお察しします。幕府が日本全体を支配しているのかなと思いきや、どうやらそうではなさそうです。

ここで一旦整理をしておきます。日本の治安を守るために一時的に任命されている臨時の武家政権がいわゆる「幕府」なのです。「本来は朝廷がやらないといけないのかも知れないけれど、我々にはその力に欠けるので、あなた達が私達の代わりに臨時政府として振る舞っても良いですよ!」と言われているのが「幕府」と考えてください。なので、何も日本の土地は幕府のものではありませんし、日本の人民も幕府のものではないっていうことです。この鎌倉時代というのは、幕府あり朝廷ありの二重支配構造だっていうことですね。飛鳥時代奈良時代平安時代とは違います。

 要点ポイント

【朝廷】国司を任命し、公領を支配する。(荘園は貴族や寺社が支配)

【幕府】守護地頭を任命し、治安を維持して朝廷の支配を援助する。

たとえばここに朝廷があったとします。朝廷は、Aという国に国司を任命します。そして、Bという国にも国司を任命します。一方でその国には、◯◯氏や☓☓寺が荘園を持っています。この国での幕府の役割とはいったい何なのかというと、幕府は国司にこう言うのですです。

  • 幕府「国司さんだけではなかなかその国の治安が維持できないでしょ?大変だよね?だったら我々が警察長官1人派遣してあげますよ。一国の治安維持については警察長官である守護におまかせ下さい。そして市町村レベルの細かいエリアには、さらに地頭複数人派遣してさらに治安維持をめざします。」

とこんなイメージです。幕府は、人を派遣しているわけですからお給料をその国から払って貰わなければなりませんよね。

  • 幕府「治安を維持してあげるので、かわりに地頭にはお給料として田んぼ1段あたり5升の兵糧米を払ってあげてくださいね。お願いしますよ。」

となるわけです。だから、表向きは朝廷が国司を任命して公領を支配しているのですが、治安維持という名目で「警察官をたくさん派遣しましょう」と言って、幕府がその国に守護 を1人・地頭を複数人派遣していくといったイメージを持ってくれればOKです。ここでの意義としては、朝廷はもちろんのこと、幕府もともに支配者としての性格を持っていったということになります。

幕府支配力の拡大

そんな朝廷と幕府なのですが、両者の力関係に少しずつ差が生じてきます。どちらの力が強くなってくると思いますか?うん、そうですね。幕府の力が徐々に力を帯びてきます。たとえば守護の場合、初めのうちはその国の警察長官として治安維持を担当するだけだったのですが、少しずつ国司のシゴトを奪い取っていき、やがてその国の支配者っぽく振る舞うようになっていくのです。

守護としての支配力

具体的にどんなシゴトを守護は国司から奪い取っていったのかというと、大田文(おおたぶみ)と呼ばれる土地台帳の作成業務が挙げられます。守護はもともと警察長官なので、土地の台帳を作成する義務などないですよね。警察長官が税務署のシゴトをするってのは不自然な話ですからね。でも、そこを守護が国司に対し「あなたに変わって私がかわりにやっておきますよ」といって大田文の作成をします。すると、土地台帳を作成するってことは、土地全般の詳しいこと(所有者であったり、所有者の家族構成であったり)がよく把握できるようになるので、つまり土地の支配力を強めることができるようになります。

地頭としての支配力

では地頭はどんな感じになっていくのでしょうか?地頭は、年貢徴収の請負などで土地支配を強めます。例えば、とある郡にその土地の支配者である郡司がいたとします。郡司はその土地にかけられている税を村人達から納めさせるシゴトを本来はしなければなりません。そこで地頭が郡司に対してこう言うのです。

  • 地頭「郡司さん、あなたの代わりにこの土地一帯の税をかき集めてきてあげましょう」
  • 郡司「えっ、いいんですか?確かに私は刀を持ってないので、農民どももなかなか言うことを聞いてくれず困ってたんですよ。やっぱり刀を持っている地頭さんにおまかせしたほうが、農民どもも刀を持っている人間には逆らうことができないですし素直に徴税に応じるでしょうね、ではここは一つお願いします。」

とか何とか言って、郡司のシゴトが地頭に移っていくのです。以上がその国の公領の中での話です。そして、その国には公領以外に、荘園がありましたよね。荘園を管理しているのが荘官でした。すると、地頭は公領の国司に対して言った同じセリフを今度は、荘園の荘官にも言うのです。

  • 地頭「荘官さん、あなたの代わりにこの荘園一帯の収入をかき集めてきてあげましょう」
  • 荘園「本当ですか?私は刀を持ってないので〜(以下略)」

そうすると、税を払う立場の農民達にとって本当の土地の支配者は郡司もしくは郷司、その土地を耕す名主なわけですが、年貢をいつも取り立てにくるのは幕府の地頭達がやってくるわけです。つまり、実際の土地支配者と年貢の取立人が違うってことですよね?顔の見えない土地支配者よりも、刀も持っていて毎回顔を合わさなければならない年貢の取り立て人、どっちの言うことに従うかというと、これはもうおかわりですよね?農民は形としては郡司や郷司に年貢を納めているのですが、いつしか取り立て役である地頭に年貢を納めているかのように錯覚してしまうわけです。このように地頭が少しずつその土地の支配者っぽく振る舞うようになっていき、地頭の支配力がだんだんましていくのです。

 

それでは今回はここまでです。次回から鎌倉時代の歴史を進めていくことにしましょう。