日本史オンライン講義録

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043 北条氏の権力拡大

目次

 

いよいよ鎌倉時代の歴史を進めていきたいと思います。鎌倉時代っていうのは将軍が朝廷に権力を与えられたいわゆる軍事政権(臨時政権)だったよね。ということは将軍が鎌倉時代のリーダーなわけです。では、鎌倉時代の将軍は?って理系の生徒に聞くと、たいがいの人はまず「はい、頼朝でしょ!頼朝!で、次は、えーっと、えーっと…。最初が頼朝でしょ、それで、次が、えーっと、えーっと。他には、あれ?思い当たらないなぁ」ってなります。その代わり、中学校では鎌倉時代で「執権」というのを習いました。例えば、北条時宗、北条◯◯、北条☓☓・・・とか北条氏のことを習ったと思います。源さんという将軍家よりも、どんどんと権力を伸ばしてきたのが北条さんという、立場上は家来なんですが、実権を握っていった北条氏が台頭していきます。今回は、その様子を見ていくことにしましょう。

源頼朝の死

幕府を作った源頼朝が亡くなりました。頼朝が亡くなったら将軍は頼朝の子どもに引き継がれることになります。しかし、子どもであった源頼家、そして弟の源実朝この2人は将軍としての力がいまいちで、リーダーシップに欠けるわけですね。なので、無力の将軍の前に、「オレがやる!」「いや、オレが代わりにやる!」といったように、幕府の置かれている場が有力御家人の主導権争いの舞台へと化してしまうのでした。幕府が権力闘争の場へとなるのです。

無力の源頼家

不本意ながら、頼家さんを説明するにあたり初っ端のタイトルから「無力」と書いてしまいましたが、それほど頼家さんには力がなかったわけですね。ちょっとかわいそうになってしまうくらいのそんな頼家さんなのですが、頼家さんに対して御家人13人が「あなたは無力だから、もう政治はしなくていいですよ。あなたのあとは、我々13人で話し合って幕府を運営していきますから。」と家来からも舐められるほどのものでした。そうすると、御家人13人で話し合って幕府を運営するように向かうのですが、絶対に100%仲間割れが起こりますよね。この時代の話し合いなんて、うまくいくわけないんです。

有力御家人同士の争い

まず最初に、有力御家人梶原景時が追放され、討たれます。そして、北条時政によって比企能員(ひきよしかず)が討たれます。北条氏が着々と力をつけていき、いつしか実権はすっかり北条氏が握るようになります。この北条時政とはどういう人物かというと、あの源頼朝の妻で北条政子の父にあたります。この北条時政が、将軍様を伊豆の修善寺というところに追放し幽閉するわけです。残念ながら、翌年に頼家さんは殺害されます。「あなたには力がない、政治はやらなくていい、引っ込んでてください、あとは13人で話し合い政治をやりますから」という約束だったのに、有力御家人同士で結局は争うことになり、梶原、比企と次々と討たれ、最後に残った北条時政が、時の将軍をも上回る権力を握り、挙げ句の果てには頼家さんが閉じ込められて殺されるってわけですから、頼家さんは少しカワイソウですよね。

さぁ、そしたら頼家さんの次、頼朝のもう一人の子どもである実朝が将軍になります。

源実朝の時代=北条時政の時代

さて、三代将軍は源実朝なんですが、すでに実権を握っているのは北条時政でしたよね。要するに、2代将軍を殺して、3代将軍を立てるということですよ。そして、このあたりから北条時政が、(権力を振るうということから)執権と呼ばれるようになります。政所別当に就任して実権を握ります。初代執権です。

北条義時の時代

この義時も政所の別当だったわけですけども、もう一人幕府の重要な役職として侍所というものがありましたね。前々回、侍所の別当も幕府の中でも存在感が非常に大きいというお話をしたわけですから、そこに就任する人物というのが和田義盛といって北条氏からするとまさにライバルとなるのです。

和田合戦

さぁ、ライバルが登場すると必ずやることがありますよね?どうしましょうか?そう、ライバルを政治の舞台から排除するっていうアレです。義時もそれにならって和田義盛を殺してしまいます。この戦のことを和田合戦といいます。これによって、政所の別当が侍所の別当が倒したわけですから、政所の別当が侍所の別当を兼任することになります。つまり、義時が権力をさらに固めることになります。ということで、ここから執権の位置づけとしては政治的トップと軍事的トップが一緒になったので「政所別当✕侍所別当=スーパー執権」ということになります。まさに正真正銘の権力者ということですね。恐ろしいです。

源実朝の死

鎌倉に鶴岡八幡宮という大きな神社があるのですが、そこで源頼家の子・公暁により源実朝が暗殺されます。突然、イチョウの木の陰から現れた公暁が実朝さんをバッサリと斬り殺すといった有名な事件ですね。その後、公暁も殺害されます。

この暗殺事件の裏側で手を引いていたのは北条義時と一般的によく言われていますが、それは違います。なぜなら、実朝が殺害されると同時に義時も殺害されかけているからです。どういうことか?実は、公暁のバックには三浦義村という黒幕がいました。北条義時のポスト執権の座を狙う人間です。そして、公暁はこの黒幕・三浦義村に見事に操られてしまいます。「お前のお父さんを殺したのは、実朝と実朝の背後にいる北条義時だ。公暁よ、お父さんのカタキを討つのだ!」と。

 

そして、場所は鶴岡八幡宮。大きなイチョウの木の陰に息を潜めて隠れる公暁。実朝率いる行列がやってきました。公暁は「隊列を先導している先頭の男・北条義時を討つ…。」ココロの中でつぶやきます。そして、隊列が大きなイチョウの木を通りかかろうとしたその瞬間、公暁は飛び出します。「父のカタキはかく討つぞ!」そして、先頭の男が切りつけられます。そして、実朝も斬られてしまいます。

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公暁は、三浦義村の屋敷に到着するやいなや「父のカタキを討ってまいりました!」と義村に報告したその瞬間、公暁は殺されてしまったのです。実は三浦家は、公暁による義時殺害は失敗した、北条氏を倒していないということを早馬の知らせによって予め報告を受けていました。

 

実は、イチョウの木の前で斬られた先頭の男は北条義時ではなく、別の男だったのです。北条義時公暁の動きをあらかじめ悟っていました。そして、事件の起こる30分前にお腹が痛いとウソをついて先頭役から外れていたのです。公暁に本当のことをバラされてしまうと困るのは三浦義村です。北条氏に殺されることは避けられません。公暁にバラされる前に三浦義村はこの世から抹殺しなければ。まさに死人に口なしですね。本当であれば、公暁を4代将軍にして、自分が執権になるはずだった三浦義村の画策は見事に失敗に終わりました。

 

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実朝が暗殺され、公暁も殺されたことによって、源氏の血筋がここで途絶えることになります。わずか3代で途絶えたのです。

 

藤原頼経が4代将軍に

さて、次の将軍は、摂関家出身の藤原頼経九条頼経です。頼経さんは、源氏の親戚筋にもあたる人物で家柄もいいので、4代将軍として招かれました。北条氏はあくまで、自分が表にでるのではなく新しい将軍を迎えて、その将軍を操るナンバー2の立場で政治の権力を握っていくのでした。この4代将軍、摂関家出身ですので藤原将軍とか摂家将軍とも言います。