日本史オンライン講義録

受験勉強はもちろん、日々の学習にも役立つ日本史のオンライン講義です。 

050 鎌倉新仏教

目次

 

今まで鎌倉時代の流れと社会の有り様について一通りお話をしてきましたので、今回は文化についてということになります。

文化というと、いままで天平文化弘仁・貞観文化、国風文化などをやってきましたが、こういった文化というのは、ほぼほぼ貴族が担い手の中心だったわけですよね。しかし、院政期の文化あたりから武士が社会の中心となって武士には武士の文化が成長していくのでした。そして、京都にはまだ貴族がいて貴族には貴族の文化がありました。一方、庶民がどんどん力を増してきて地方や農村の経済力がついてきて庶民には庶民の文化がでてきます。

このように、鎌倉時代あたりからはいよいよ文化が多様化してきます。いろんな社会階層にいろんな文化が存在するようになります。そうすると、文化が多様化することはそれはそれで面白いのではあるのですが、ただ覚える量がこれまでよりも2倍、3倍になって受験生にとっては大変になってくるのです…。まぁ、いままでの文化は1,2回で完結していたのですが、この鎌倉時代の文化あたりからは最低でも3回、多い時は5回くらいに回数を分けて文化を紹介するようになるので、ご承知あれ!

鎌倉文化の仏教

復習

そんな今回は、鎌倉文化1回目となる鎌倉新仏教といわれる仏教のお話をしていきたいと思います。さて、ここで復習だ!いままで仏教のお話をさんざんしてきましたね。

<仏教の特徴>

天平文化    ・・・鎮護国家

弘仁・貞観文化 ・・・密教

国風文化    ・・・浄土教

院政期文化   ・・・都から地方へ

鎌倉文化    ・・・新仏教

 天平文化は、鎮護国家といわれる仏教の力で国を治めてもらおうとするものでした。そして、弘仁・貞観文化はどんな仏教だったかというと、これは密教でしたね。鎮護国家の仏教では道鏡のようなヤツに痛い目に合わされたのでしたが、その点この密教は政治に接触することがほとんどなく、個人の現世利益を願う仏教でした。そして、国風文化になると浄土教となり、また仏教の有り様が変わるのでしたね。お釈迦様がなくなってから2000年経った末法の世界では、お釈迦様パワーがすっかり消えてしまって世の中は乱れるのだから、現世はあきらめて死んだあとは天国にいこう!というのが浄土教でした。そして、院政期文化では、そうした都でおこった浄土教都から地方へと展開され、各地に阿弥陀堂が建てられることになります。

新仏教

そして、今回鎌倉時代の文化においては、今までの仏教の流れとはちょっと気色の異なる「新仏教」が登場します。新仏教にはどのような仏教があるの?というと、浄土宗・浄土真宗時宗日蓮宗曹洞宗臨済宗といった6つの新しい仏教が次々と起こっていきます。ではそれぞれの新仏教の特徴をみていくことにしましょう。

鎌倉新仏教の特徴

仏教の新しい流行

いま言ったような、新仏教といわれる仏教が、新たな社会の中心となってきた武士そして庶民に爆発的に広まるんですね。いままでは、社会の主人公は貴族中心だったので、文化の担い手も貴族中心で、貴族風の文化が栄えていったわけです。しかし、今度は新しい社会の主人公は武士や庶民ですので、文化も武士や庶民に爆発的に広まっていったということになります。

爆発的流行の理由

それにしても、なぜ爆発的に広まっていったのでしょうか?ここにはある理由があります。それはどんな理由かというと、武士あるいは庶民というのは、貴族のように幼い頃から本を読んだり教養を高めて暮らしてきたわけではありませんよね。むしろ、武士は身体を鍛えて流鏑馬をやったり、笠懸をしたり、あるいは庶民はというと一生懸命稲作に従事してきました。こういう背景を持っているので、まぁ普段から本を読み慣れているわけではないんですよね。だから、仏様にまつわる難しい話や、お坊さんの説法を聞いたところで「ちょっと何いってるか分かんないんですけど」状態なわけですよ。難しい話は敬遠しがちなんですよね。

ところが、この新仏教はわかりやすいポイントがあるんです。「これさえやっとけば報われるんですよぉ〜」といったシンプルさ、わかりやすさ、とっつきやすさがこれまでと比べてずば抜けているので、武士や庶民たちも「よっしゃ、ここは一つ信仰してみるか!」「じゃぁ、おれも!」「おれも!」「わたしも!」ということが爆発的ヒットの要因となったのです。では、そんな鎌倉新仏教のそれぞれを見ていくことにしましょう。

浄土宗系

この浄土っていう言葉が示すように、根本は浄土教をベースにしています。浄土というのは、あの世っていう意味でしたね。ですので、阿弥陀仏におすがりして究極的には救済されよう、極楽浄土に連れて行ってもらおうというのが、浄土宗系の仏教です。この浄土宗系には3つの宗派があります。

浄土宗

浄土宗を開祖したのは法然です。そして、著書はというと「選択(せんじゃく)本願念仏集」です。そして、お寺は京都にあります知恩院です。この開祖・著書・寺という括りはこのあとに出てくる様々な宗派でも問われてくる要素ですので、きちんと抑えていただきたいと思います。さて、そしたらこの法然さん、どんな教えを伝えたのかというと「念仏を唱えなさい。」「阿弥陀仏さま、あなたを信仰していますよというように南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)と唱えなさい。」それも1回や2回ではなく、ひたすら唱えましょうとしたのです。そうすれば、阿弥陀さまがいつしか極楽へと導いてくださることでしょう」こうした念仏をひらすら唱えなさいという教えのことを専修念仏といいます。だから、法然さんの教えってとてもシンプルなんですよね。「なむあみだぶつ」とひらすら唱えるだけでいいわけですから。さっき言ったように、武士や庶民たちは教養があるわけではないんですよね、いくらお坊さんがありがたい講話をしたところで「ちょっと分かんないです」といったように少し敬遠がちになるんですよね。

そういうときに法然さんはこういうわけです。「南・無・阿・弥・陀・仏、はい6文字言ってみて!そうそう、言えたじゃないですか!それだけでいいんですよ!あとはいらないから、ひたすら南無阿弥陀仏を唱え続けましょう、そうすれば阿弥陀さまにその思いが伝わって極楽へ連れて行ってくれますから」と。このわかりやすさ、とっつきやすさによって武士・庶民階層へと広がっていくわけですね。

でも、このシンプルな教えに対して憎悪の念を抱く連中らが登場するわけです。それは誰かというと、これまでお釈迦様の教えを解いてきたお坊さん達です。だって山を駆け回り、滝に打たれ、冬の寒い朝に座禅なんかをしてきて厳しい修行を乗り越えてきたお坊さんからすりゃ、「念仏を唱えるだけでいい」なんていわれると、どこか自分たちを否定されているような気持ちになりますよね。ですので、法然さんは旧仏教のお坊さんたちから迫害されて、あるいは土佐に流されたりして非常に苦労するわけなんでですが、まぁこの浄土宗は広がっていき各地に影響を与えていったことに間違いはありません。

 

浄土真宗

それでは、浄土宗に影響をうけた浄土真宗をみていくことにしましょう。この浄土真宗の開祖は、法然さんに教えを受けた親鸞(しんらん)です。親鸞の鸞という字が少し難しいですが、漢字をパーツに分けて「糸(いと)しい、糸(いと)しい、と言う鳥」と覚えておきましょう。著書は、教行信証です。お寺は、これは聞いたことがあると思いますが、本願寺ですね。さて、この浄土真宗のわかりやすいポイントは何かというと、浄土宗の影響を受けているので、念仏をたくさん唱えるということと、それに加えて、悪人こそが阿弥陀仏に救われるという悪人正機説といいます。これは有名な史料があります。

「善人なをもちて往生をとぐ、いはんや悪人をや」

                唯円歎異抄(たんにしょう)』

 唯円とは親鸞さんの弟子なのですが、唯円さんは師匠から教わった「善人でも天国にいけるんだから、悪人だったらなおさら天国に行けるよ!」といった内容を記しています。あれ?我々とはちょっと異なった感覚の持ち主って感じがしますよね。そこの違和感を大切にして欲しいと思います。普通、悪人でも天国に行けるんだから、善人なら当然天国にいけるでしょ、と考えてしまいがちなのですが、ここは親鸞さん達は我々よりも一歩先を進んでいて、「善人でも天国にいけるんだから、悪人だったら なおさら極楽に導かれやすいんだ!と説いているのです。なぜなら、善い行いを積んだ人が『我々をお救いください、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏』という気持ちと、盗みをはたらいたり、人を殺したり、を重ねてきた人が『ああ、なんでオレは罪深いんだ。このままでは地獄行きだ、あぁ阿弥陀さま助けてください、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。』という気持ちとでは、どちらか本気で極楽に行きたいと思っていますか?ということを親鸞は投げかけているわけですね。悪人が極楽に行きたいと いう本気度と、善人が極楽に行きたいという本気度では、それはもう圧倒的に悪人の本気度の方が高いだろうし、そういった人をお救いくださるのがこの阿弥陀さまなのだ!とするのが  悪人正機説なんですね。そうすると、庶民の間でも、「僕はそんなに善いことはしてきてないのですが、それでも極楽へいけますか?」と問われると、親鸞さんが「心配しなくてもいいよ。悪人こそが極楽に行きたいという本気度が高いでしょ?」と説き、多くの人々が親鸞の教えになびいて行ったのでした。

時宗

時宗を開いたのは、一遍です。著書というほどでもないのですが、『一遍上人語録』(死後に編纂されたもの)が残っています。一遍さんは諸国を巡ったので、お寺といえば神奈川県の清浄光寺ですね。まぁ、一遍さんは全国を行脚したので、本拠地にしたというほどの位置づけではありません。これの特徴としては、踊念仏(おどりねんぶつ)によって布教しました。「全ての人が救われます、全ての人が阿弥陀さまのパワーによって極楽にいけます、それって嬉しいことだろ?その感謝感激の気持ちを踊って表現しようぜ!君もおどろう、あなたもおどろう!」ということで踊念仏の輪を広げることで、布教をしました。

繰り返しますが、この鎌倉新仏教はわかりやすいポイントを持っているということでした。念仏を繰り返し唱えましょう、悪人も救われますよ、あなたも一緒に踊りませんか?そういったシンプルさがブームに火をつけたというわけです。

日蓮宗

日蓮宗系は1つ。日蓮宗ですね

日蓮宗

日蓮宗はもちろん開祖は、日蓮です。著書は「立正安国論」といいます。日蓮宗はちょっと特徴的で、政治に意見するということが多く行われていました。たとえば執権の北条時頼へ意見書を書いたように、スタートをした人・日蓮そのものが政治に口を出すという性格だったこともあり、日蓮宗は、伝統的にわりと政治に介入する人が多く存在したということになります。そして、お寺はどこかというと久遠寺です。では、この日蓮宗のわかりやすいポイントは何でしょうか。それは、法華経という経典の題目(南無妙法蓮華経)を唱えることで魂が救済されるということを説くわけですね。ではこの題目っていうのはどういう意味があるのでしょうか。ここに日本史の教科書が一冊あるとします。

f:id:manavee:20171217103511j:plain

この本の題目っていうのは何?と問われれば、「詳説日本史B」ですね。つまり、題目を唱えるということは「詳説日本史B、詳説日本史B、詳説日本史B・・・」といったように、本のタイトルをひたすら唱え続けることをさします。何とも不思議な感じがしますが、法華経というお経こそが一番大切なお経と考えるわけですから、その大切なお経のタイトルをひたすら唱えるんですよ。「妙法蓮華経」が本のタイトルですので、これに南無をつけて唱えましょう、ということで「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経・・・」というのが法華経の題目です。これをたくさん唱えましょうね、という宗派が日蓮宗です。

禅宗

武士の間で広まったのが座禅によって悟りを開く禅宗系です。これまでの宗教は、阿弥陀さまに救ってもらうとか、題目を唱えることで救いを求めるといったように、他者に救いを求める系の宗教でした。しかし、この禅宗系は自分で悟りを開き、そして欲を捨てることに重点が置かれるのが特徴です。

臨済宗

まずは臨済宗です。開祖は、栄西(えいさい)です。この栄西さんの著書が「興禅護国論(こうぜんごこくろん)」ですね。禅宗を深く広めましょう、広く広めましょう、国のためにもなるんですよ!という意味があります。もう一つ、「喫茶養生記(きっさようじょうき)」もおさえておきます。喫茶というのは、喫茶店の喫茶、つまりお茶ですね。お茶を飲むことが健康にいいんだよということで、お茶を中国から日本に持ちこんだ人でも知られていますお寺はというと、建仁寺(けんにんじ)です。

では、この臨済宗のわかりやすいポイントとはどこにあるのでしょうか。師匠が弟子に示す問題のことを公案というんですが、これを考え、解決することで悟りを開くところにあります。いわゆる禅問答といわれるもので、例えば「手を叩きますよ!せーの、パンっ!・・・さて、叩いたときに鳴ったパンっ!って音は右の手のひらが鳴った?それとも左の手のひらが鳴った?さぁ、どっち?」と弟子に問うわけですね。すると弟子は、「いやぁ〜どっちが鳴ったなんていわれてもなぁ…。」ってなるわけです。要するに、これといった答えがあるわけではないのですが、そういう風に師匠が弟子に問題を出して、弟子が自分なりに解釈して追求していくのです。深く思考していく、そんなプロセスを経て「一体この問題の裏に隠された真意は何なのだろうか?」「師匠のこの問いかけは一体どんな悟りにつながるのだろうか」と自分でなりに考えて、考えて、考え抜くことで余計な雑念を捨てて純粋に思考することで悟りをひらくことが臨済宗のポイントなのです。

曹洞宗

では、最後!曹洞宗ですね。曹洞宗を開いたの道元(どうげん)です。著書は、「正法眼蔵(しょうほうげんぞう)」です。お寺は大晦日ゆく年くる年でもよく紹介される永平寺ですよ。曹洞宗のわかりやすいポイントとは何かというと、ひたすら座禅をする只管打坐(しかんだざ)です。身動きをするな、余計なことを考えるな、自分を無にせよ!ということでひたすら座禅をすることで悟りをひらこうとします。悟りを開くのに他者を頼るな!悟りを開くのはおまえ自身だ!雑念を捨てなさい!といったように、わりとストイックな感じの宗教ですね。

こうした禅宗系の宗教は幕府の保護を受けます。とくに、臨済宗は中国の南宋のお坊さんで蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が5代執権・北条時頼の招きを受けて建長寺を建てます。として、無学祖元(むがくそげん)というお坊さんは、8代執権・北条時宗の招きを受けて円覚寺というお寺を開きます。

このように浄土宗系、日蓮宗系、禅宗系の各宗派についてお話をしました。それぞれ、わかりやすいポイントを持っているんです。

まとめ

  • 浄土宗:念仏を唱えなさい、たった6文字でいいんです、南無阿弥陀仏と唱えることで極楽浄土に行けるんです。
  • 浄土真宗:悪人でも救われます。悪人のあなたが持っている「極楽へ行きたい」という気持ちこそホンモノでしょ。っていうわけですね。
  • 時宗:「みんな救われる!」そんな気持ちを踊り念仏によって表現をして、あなたもそれに加わりましょう!
  • 日蓮宗:南無妙法蓮華経法華経のタイトルを唱えることで救済を目指しましょう。
  • 臨済宗:私があなたに問題を出すので、その解決をすることで純粋にその在り方について考えましょう。
  • 曹洞宗:とにかく座禅をしてあなたの心を無にしなさい。

といったように、それぞれの宗派にそれぞれのわかりやすさがあります。だから、教養をあまり持たない庶民や武士に爆発的に広がっていくわけですね。とくに、ストイックな武士には禅宗系がピッタリとあてはまってくるわけです。

旧仏教の新たな動き

いままでお話してきたのが新仏教でした。ということは、旧仏教もあるわけです。平安時代からずっと信仰されていた旧仏教が、鎌倉新仏教に刺激を受けて新たな動きを見せていきますよ。例えば、法相宗の貞慶(じょうけい)華厳宗明恵(みょうえ)らは、戒律の重要性を説きました。新仏教は今までの仏教のルール、いわゆる戒律には完全には則ってはないわけなんですよね。新しい拝み方を提案しているわけで、これだけでいいんだ、まずはこれだけをやってみよう!というのが新仏教なのです。しかし、この貞慶さんや明恵さんは「やっぱり戒律だよね!戒律を理解して、戒律にのっとって、きちんとした拝み方をしましょうよ、そしてきちんと修行をしましょうよ!」ということを説いたのでした。明恵さんなんかは、非常に味のあるお坊さんで、「戒律がわからないのであれば、じゃあ戒律を分かりやすく読み解いてみようじゃないか」ということですごく研究をして旧仏教系の普及に大きく貢献をしたようです。

あるいは、律宗叡尊(えいそん)忍性(にんしょう)は、貧しい人の救済につとめました。旧仏教系の我々にも何かアピールポイントが必要だよね、ということで、叡尊さんや忍性さんは、病人の救済施設である北山十八間戸(きたやまじゅうはちけんど)といわれる建物を建てたりもしました。

このように、新仏教系にお客さんを獲られてしまった旧仏教系の我々としても、何かわかりやすいアピールポイントを持っていこうじゃないか、ということで戒律がやはり重要ですよ!もしわかりにくいのであれば、分かりやすく解説をしながら読み解いてあげますから。旧仏教系にも良いところはいっぱいあるんですよ!というような感じで、自分たちのアピールポイントを模索していったのでした。

はい、今回は非常にボリュームがありましたが、ここまでにしたいと思います。お疲れ様でした。