日本史オンライン講義録

受験勉強はもちろん、日々の学習にも役立つ日本史のオンライン講義です。 

052 鎌倉文化(彫刻・建築・絵画)

鎌倉文化は、文化が多様化してなかなか分量が多いと言いましたが、それも今回がラストです。前回は文学とか学問でしたね、今回は、建築や彫刻や絵画などいわゆる美術として残っているものを扱いたいと思います。

建築

東大寺の再建

建築ジャンルの1つのトピックとしては、この鎌倉時代のときに東大寺の再建が行われました。「え?東大寺って奈良時代に建築されたんじゃないの?」という声が聞こえてきそうですが、実は、源平の合戦のときに平重衡(しげひら)という人がいて、この人によって火が放たれて大仏殿もろとも焼き討ちにされているのです。それを再建しようじゃないかという動きが鎌倉時代の中で起こります。ただし、お寺さんを建てるといってもタダでは建ちません。それはそれは多額のお金がかかります。なので、今の時代もいろんなお寺で寄付をしてくださいって募りました。例えば、写経なんかは、お経写し代として1,000円の寄付を受け取って、それをお寺の改修に充てさせていただきます、なんて話はよくあったことでした。

まぁ、そのようにお寺を建てるには多額のお金がかかります。そこで、その資金を集めに貢献した人が誰かというと、重源(ちょうげん)さんです。重源さんが資金集めを行い、宋の陳和卿(ちんわけい)が、「それであるなら、私も資金面で協力をしましょう」ということで協力を行い、ようやく東大寺が再建されたのでした。

建築様式

大仏様

2つめのトピックとしては、この頃どのような建物のスタイルがあったかというと、中国から伝わったスタイルとして、大仏様(だいぶつよう)というのがあります。それはどういうものかというと、太い柱の上に屋根を掛けて、この柱に2つめの屋根を付けていくといった感じでとにかく無骨であるが雄大で力強いこと様子が特徴です。代表的な建物は、東大寺南大門ですね。

禅宗

そして、もう一つはというと、禅宗というスタイルの建物が広まっていきます。これは大仏様のように、でかい柱を使ったものではなくて、いくつもの木組みを用いて建物の重さをうまく分散させた整然とした美しさが特徴です。代表的な建物は、円覚寺舎利殿ですね。

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ただし、円覚寺にいっても必ず見られる建物かというとそうではなくって、年に数回しか一般公開されていなくって、毎年ゴールデンウィークあたりに3日間ほど一般公開されています。一般公開されていない普段は、高い門や塀に覆われていて、せっかく訪れていても舎利殿を拝むことはできないので歴史愛好家泣かせな建築物なのですが、もしかすると飛んだり跳ねたり、カメラを上に掲げて撮影すればもしかするとチラっと見えるかも知れません。

和様

そして、3つめのする建築スタイルはというと和様です。これは日本的で均整の取れた美しさがあります。蓮華王院本堂蓮華王院三十三間堂が代表的です。

折衷様

最後に紹介するのが、折衷様です。折衷というのは何かと何かを合わせる、という意味がありますよね。こうして大仏様や禅宗様といったいわゆる中国風の建築スタイルと、和様といった日本風の建築スタイルが合わせた建築スタイルを折衷様といいます。折衷様の代表的な建物としては、如意観音像がある観心寺金堂が挙げられます。

 

彫刻

東大寺南大門金剛力士

さて、建物を見てきましたので、今度はその中に納められている仏像などに目を転じてみましょう。この時代、彫刻(仏像)をよく作っていた一派が運慶とか、あるいはその子どもの湛慶とか、そして快慶とか、やたら「慶」という字のつく一派が代表的な人物です。具体的にどのような仏像があるかというと、この東大寺南大門の中をくぐれば右と左に立っている有名なアレです。それは、東大寺南大門金剛力士ですね。誰が作ったのかというと、運慶さんや快慶さんですね。で、作り方としては平安時代から引き継がれた寄木造ですね。パーツごとに作っておいて、あとから組み上げて一つの仏像を作ります。早さとスケールのデカさを兼ね備えたのが寄木造の特徴ですね。

興福寺天灯鬼・竜灯鬼像

あとはこの時代の有名なお寺といえば興福寺なのですが、そこの天灯鬼・竜灯鬼像ですね。灯という字があるように、火をともす灯籠を鬼が支えている姿を表現した像です。

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この康弁とは、運慶の弟子にあたる人なのですが、この人がなかなかなユーモラスな人なのです。とくにこの竜灯鬼なんていうのは、鬼が困った表情でバランスを取っている姿が面白いです。

高徳院阿弥陀如来

さて、今は鎌倉時代ですので、鎌倉のお寺の仏像も挙げておきましょう。関西に住む人間からすると高徳院阿弥陀如来といったら、「ん?!なにそれ?」といった感じですよね。しかし、関東近辺に住む人なら一度は目にしたこともあるあの鎌倉大仏、ちなみに鎌倉大仏阿弥陀さまですので、天国へ連れて行ってくれる担当の仏様です。

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奈良の大仏との違いは、奈良の大仏は大仏殿という建物の中にありますが、鎌倉の大仏は野ざらしの状態です。ヨコから見ると大分猫背でして、首が身体から前にせり出しているのが特徴です。

肖像彫刻

東大寺重源上人像

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仏像の他にも、高名なお坊さんの肖像彫刻として有名なのが、東大寺重源上人像です。重源さんって何をした人でしたか?そうですね、東大寺を再建した人でした。それを有り難いことだと記念して肖像彫刻が掘られたのでした。

興福寺無著・世親像

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むかしガンダーラというところに生まれた名高いお坊さん兄弟、無著世親という2人の兄弟の姿を表現したのが興福寺無著・世親像です。運慶らによって作られました。

六波羅蜜寺空也上人像

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空也という人物が平安時代中期から後期にかけて浄土教を広めましたね。この浄土教を広めたときに、「南無阿弥陀仏」と唱えたときに口から「南」「無」「阿」「弥」「陀」「仏」というコトバが小さい仏像となって飛び出したといわれるその様子を表したものが六波羅蜜寺空也上人像です。これも非常に写実的でインパクトのある彫刻です。サイズ的にはわりと小さいのですが、見れば見るほどその奥ゆかしさを感じることができます。

このような名作彫刻はもし時間が許すのであれば是非一度、現地現物で確認してもらいたいところです。名前を書きながら頭に浮かんでくるようになれば最高ですね。興福寺なんかは受験までに一度訪れてみてはいかがでしょうか。というのも、無著・世親像はあるし、天灯鬼・竜灯鬼もあるし、阿修羅像もあるし、興福寺仏頭もあるし、受験に出題される仏像が満載なのでオススメです。

絵画

このように建築とか、仏像、あるいはお坊さんの彫刻などを見てきました。続いては、絵画をみておきましょう。鎌倉時代の絵画といったら、絵巻物です。たとえば寺社縁起ですね、このお寺はこんな由来を持って建てられたのですよといったものです。

寺社縁起

代表的なものとしては、北野天神縁起絵巻ですね。

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あの菅原道真さんの生涯と北野神社の由来が絵巻物によって描かれました。ほかにも、春日権現縁起などがあります。

高僧の伝記

つづいては、高僧の伝記が絵巻物の形で残されている「一遍上人絵伝」です。

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この一遍さんは、時宗を伝えた踊念仏を各地に広めていったお坊さんでしたね。その様子が描かれています。一遍上人絵伝は何回かお話をしていますが、この絵伝に描かれた庶民の生活ぶりや市の様子などを通して我々は鎌倉時代の人々の様子を知ることができているのです。

合戦物

つづいては「蒙古襲来絵巻」ですよ。

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合戦物の絵巻物です。モンゴル軍が襲ってきて、日本も一生懸命守りぬいた様子が描かれています。

肖像画

似絵

肖像画の中でも、大和絵による肖像画似絵(にせえ)というのですが、藤原隆信・信実(のぶざね)父子の作品が代表的です。そして、源頼朝肖像画のお話もしておきましょう。

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最近は、源頼朝ではないらしいということが最近わかってきたのですが、だからといって誰か?ということまではわかっていないので、一応源頼朝ということでこれまで伝えられているということで源頼朝が挙げられます。

頂相(ちんぞう)

禅宗における高僧の肖像画のことです。さきほど肖像彫刻のお話をしましたが、それの絵バージョンといえます。

書道

さて、最後に書道ですね。この時代始まったのが、青蓮院流という書道の一派が始まったと言われています。

以上、鎌倉幕府の文化でした。結構、資料集やネットで見てみると、実際に目にした作品も多いのではないかと思います。やはり、日本史を選択した者として現地現物を是非目にして欲しいと思います。