日本史オンライン講義録

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056 守護大名と国人一揆

前回、南北朝時代の話をしましたね。この南北朝時代というのは、ちょうど鎌倉時代室町時代をつなぐ時代です。そんな南北朝時代を経て、鎌倉と室町で大きく変わったポイントが1つあります。それは何かというと、守護の役割の変化です。守護というのは鎌倉時代のときに既に習いましたね。鎌倉時代は守護でしたが、室町時代の守護はいつしか守護大名といわれるようになります。この変化についてお話しようと思います。

守護の権限拡大

守護から守護大名に変わるタイミングで何が起きたのかというと、権力が増大したということがいえます。じゃあ、いままでの鎌倉時代の守護から室町時代の守護は、いったいどのように変わるのか、守護の権限拡大の話をしようと思います。

①大犯三箇条

鎌倉時代からの権限である「大犯三箇条」が引き続き室町時代の守護も持っています。さて大犯三箇条、どういった内容だったか覚えていますか?まずは「謀反人の逮捕」「殺害人の逮捕」「京都大番役の催促」でしたね。これが鎌倉時代から持っていた守護の権限です。たとえば謀反人や殺害人を逮捕するのは今の時代では警察官の仕事ですよね。ですので鎌倉時代の守護の権限といえば、地方の警察長官のような役割を担っていました。さて、これらに加えて室町時代では以下の権限が拡大していきます。

②刈田狼籍(かりたろうぜき)の取り締まり権

刈田狼籍の取り締まりというのは、紛争中の田の稲を一方的に刈り取る実力行使を取り締まることです、って説明してもなんのこっちゃサッパリわからないよね。こういうことです。

  • Aさん「ここはおれの土地だ!」
  • Bさん「いや、ここはオレの土地だ!」

といったようにAさんとBさんが土地を巡るトラブルが起きました。この土地のことを争っているのに、

  • Bさん「ええい、面倒くさい!こうなったら、もう実力行使だ!」

とか何とか言って、一方的に紛争中の土地にある稲を刈り取って自分のものにしてしまいました。

  • Aさん「あああああー、おれのぉ・・・。」
  • Bさん「うっせえなぁ、実力行使だよ。獲ったもの勝ちだよ。」(刈田狼籍)

というわけですね。そこで守護は、紛争中の田の稲を一方的に持っていくこと(刈田狼籍)を取り締まるということが権限として認められていますので、要するに

  • 守護「守護の私がいるのに、そんな風に一方的に実力行使で持っていくような、私的な決着はダメだよ!全て渡しを通してからにしなさいね!」

ということになります。これが刈田狼籍の取り締まりです。

使節遵行(しせつじゅんぎょう)

使節遵行とは幕府の裁判の判決を強制執行する権限のことです。

さて、鎌倉時代の守護の権限は①のみでしたね。①は、地方の警察長官としての権限、つまり警察権のみでした。しかし、室町時代の守護の権限は①に加えて②と③を持つようになりました。果たして、②と③は何を言わんとしているのかというと、守護がその地域の司法権を守護が握るわけです。

半済令(はんぜいれい)

これはかなり大きな権限です。例えば、その国に守護がいたとします。そして、荘園や公領がたくさんあります。年貢は、荘園だと荘園領主に、公領だと朝廷に行き渡るのですが、「その年貢の半分はわたしたち守護がもらいますよ」っていうことです。なぜなら、「日本は南北朝の動乱観応の擾乱とかで大変な状態になっている、そんなときこそわたしたち守護が日本を守り平和にするのだ!」ということで、その軍費としてこの荘園や公領から上がってくる年貢の半分は守護のものとなったのです。このように、荘園や公領を守護が侵略したような感じになりますよね。

はじめは近江・美濃・尾張の3か国だけで、しかも「年貢の半分をもらうのは今年限りだからね。」といったように、年限も1年だけだけだったのですが、のちに3か国から拡大して全国化し、年限も1年だけではなくずっと続くようになります。入試では、この3か国の国名や、年限についても正誤問題などで問われたことが過去にも結構ありますので、抑えておきましょう。

⑤守護請

さきほどお話した、半済令によって年貢の半分は守護が持っていきますよという権限に加えて、荘園や公領の領主に対して「おれが代わりに年貢を取り立ててやるから、任せておけ」とか言って、年貢の取り立てを守護が請け負うようになります。これを守護請といいます。地頭請のところでもお話しましたが、年貢をぶんどられる名主たちにとってみれば、本来年貢を納める先である荘園領主様よりも、実際に顔を突き合わせて「ほらほら、さっさと払いなさいよ!」って年貢を取り立てにやってくるヤツらの方が、その土地の支配者っぽく見えてくるわけです。事実、本当は荘園領主でも何でもないような守護請が、その土地の支配者っぽく振る舞うようになります。

まとめ

鎌倉時代警察権室町時代になると司法権、そしてもう一つは土地支配権が守護に備わったわけです。さて、このように3つの地域支配権を持った守護らは、鎌倉時代の守護とは区別され、守護大名と言われるようになりました。ではまとめておきましょう。

鎌倉時代の守護【警察権】

   ↓

室町時代の守護【警察権】

       【司法権】・・・②刈田狼籍の取締 ③使節遵行

       【土地支配権】・・・④半済令 ⑤守護請

以上のとおりです。とくに、半済令を出すようになったキッカケは世の中が乱世だったからですね。軍事費として徴収させてもらうという名目だったわけです。ですので、この移行期が南北朝時代となるわけです。

 

国人

いままで説明してきたのは守護大名についてでしたね。例えば、鎌倉時代の守護であれば警察権を行使するだけでしたので、その国に謀反人や殺害人がいれば、その時に出動して、国内の武士らを指揮して取り締まるのでした。それが、室町時代になって守護大名という存在になると、どんどん土地の支配を強めて地域的支配権をもつように至り、これが守護大名といわれたのでした。

すると、そこに鎌倉時代からずっと居た在住の武士ら(地頭や悪党ら)が、いわゆる守護大名として新たに他所の国からやってきた武士らと同じ空間を共にせざるを得なくなりますね。というか、本来は守護の方が立場は上なので、いくら土着の武士であろうと守護に従わなければならないのですが、当然ながらうまくいきません。そういった地方在住の武士らのことを国人(こくじん) 。まぁ、ある者はですね、守護大名が「おい、オレの家来にならないか?」と国人にせまり、その国人も守護大名と主従関係を結ぶ者もいましたが、多くの場合は反発をします。

そうすると守護大名は強い権力を持って乗り込んでくるわけですので、国人たちが団結をして守護大名の支配に抵抗していこうとします。これのことを国人一揆といいます。ここに一揆という言葉がでてきましたが、一揆というのは暴動とか反乱っていうイメージを持ちがちですが、一揆の「揆」っていうのは「目的」という意味があります。つまり、一つの目的のために団結をした状態のことを一揆というのですね。まぁ、その目的の大半が「抵抗すること」ですので、後々に登場してくる一揆の多くは暴動や反乱といったものと変わりはないのですが。

まとめ

さて、今回はこれまで警察権しか持たなかった守護が、しだいに司法権や土地支配権をもつように成り、それらを守護大名と呼びました。その守護大名の支配に対して、ある者は主従関係を結ぶのですが、在住の土着した武士たちの多くは国人一揆を結び、守護大名の支配に抵抗していく姿がうかがえるようになったというお話でした。今回は以上です。