日本史オンライン講義録

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063 室町文化②(東山文化)

目次

 

室町文化は、①南北朝文化、②北山文化、③東山文化の3つに加えて、④庶民・地方の文化、そして⑤仏教で構成されています。今回は、③東山文化について見ていくことにしましょう。

東山文化

8代将軍・足利義政の時代の文化ですね。東山文化とは、義政さんが京都の東山慈照寺銀閣を建てたことからその名がつきました。慈照寺というのが、銀閣という建物のあるお寺です。銀閣寺ではなく慈照寺銀閣です。

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実際に金閣を見たあとに銀閣をみると、ちょっと地味だなって思ったりするのですが、その代わり慈照寺銀閣はなんだか落ち着くなぁっていう感じが結構するんですよね。いわゆるこの東山文化っていうのは、我々がよく口にする「和風」「和室」といったように地味だけども渋さがある「日本らしさ」があるのですが、日本風の文化がこの東山から広まっていったということが多いわけですね。ですので、東山文化の代表作品をみていると、どこか落ち着いたり、日本の和の心が刺激されたりするような気がします。

建築・庭園

書院造

さて、足利義政は何を隠そう大の建築マニアでありまして、いろんな建物を建てているのですが、その建物の様式が書院造といって東山文化を代表する部屋の造りになっています。平安時代に貴族たちが暮らした寝殿造をもとにしたものです。

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この写真をみれば分かるように、例えば、から一段高くなっている床の間であったり、作り付けの棚(違い棚)があったり、閉めても明かりの取れる明かり障子であったり、部屋と部屋を仕切るふすま障子などを採り入れています。いわゆる和室の原型となったのがこの書院造ということになります。書院造の部屋の代表的なものとして、慈照寺東求堂同仁斎(じしょうじとうぐどうどうじんさい)が挙げられます。慈照寺っていうのはお寺の名前、東求堂というのは建物の名前で銀閣のすぐ側にあります。同仁斎というのは部屋の名前です。みんな真っ先に見ようとするのは銀閣ですね。歴史をあまり知らない人はそのまま通り過ぎて庭園へ向かいがちですが、みなさんは通りすぎずに東求堂を外から写真を撮ってくださいね。そんな東求堂の中にあるお部屋のことを同仁斎といいまして、書院造の代表格です。

枯山水

そして、義政さんは建物だけではなく、庭園にも相当マニアックなところがあります。この義政さんの影響を受けて、各地でさまざまな庭園が作られるわけです。この慈照寺の庭園なんかも非常に趣深くて良いのですが、そこに使われている庭園の技法のことを枯山水(かれさんすい)といいます。岩石と砂利を組み合わせて川の様子や山の様子など象徴的な自然を作り出す技法です。枯山水を使った代表的なものとしては竜安寺石庭ですね。

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海の中に15個の石が浮かび上がるように存在していて、実際の庭の広さよりももっともっと広い印象を与え、狭い空間で大きい空間を表現しているのが特徴的です。

他にも大徳寺大仙院庭園枯山水の代表的な作品の一つと言えるでしょう。

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 これも狭い空間に山の上から水が注ぎ出ていて、海河になって海に流れ出ていく一連のドラマチックな様子を表現した庭です。京都に行ったときには是非このあたりを練り歩いてもらいたいなと思います。

絵画

それでは絵画を見ていきましょう。

水墨画

前回北山文化で登場した禅宗で五山の僧の明兆・如拙・周文らが水墨画を始めたというお話をしましたが、それを東山文化に継承し発展させたのが雪舟(せっしゅう)です。雪舟さんは絵を描くことが大好きなお坊さんなのですが、かつて小坊主のときに、修行を怠って絵ばかり描いていたので、罰として柱にくくりつけられるなんてことがありました。そうすると雪舟は「なんでこんな目にあうんだ…。和尚さんには絵筆も取り上げられて…。」と涙をこぼしながら号泣するわけですよ。そして、足元にこぼれた涙を足の指先を使って器用にネズミの絵を描いたんですね。そんなところに和尚さんが戻ってきて「おい、雪舟よ!しっかり反省したか?」と言いながら近寄っていくと、和尚さんは自分の足元で何かネズミが張ったような気がして、足元を確認するとそこには、雪舟が足で書いたネズミがまるで生きているように生き生きとした描かれてあったのをみて、和尚さんも「よしわかった。雪舟よ、お前に絵を描くなとはもう言わない、好きなだけ絵を書くがよい。」と雪舟の実力が認められたという有名なエピソードがあるくらいです。

その日本的な水墨画の代表作として、山口の防府というところにあります四季山水図巻があります。

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この四季山水図鑑、驚くべき大きさなのです。というのも、縦40センチ ✕ 横15メートルに至るその絵には春夏秋冬いろんな景色が流れていく景色が描かれています。水墨画っていうのは一回間違えると直しが効かないので、集中力を切らさずに手早く描き上げるという雪舟の巧みな技法がこの四季山水図鑑にあらわれています。

大和絵

この水墨画そのものは、中国から伝わった技法で雪舟がそこに日本風のテイストを加えたのですが、大和絵平安時代から続く日本の絵の描き方です。この大和絵ですが、応仁の乱後、土佐光起が基礎をつくった土佐派がおこります。そして、このあと安土桃山時代で活躍する狩野派ですね。狩野派は、狩野正信・狩野元信水墨画大和絵の技法を採り入れて大きく発展していきます。

工芸

金工

金属工芸では、足利義政に仕えた後藤祐乗(ゆうじょう)という人が、たとえば刀の金属パーツの部分に彫刻を施したりしていました。この後藤家はその後も金工の家柄として知られるように成り、金工の親方として発展していきます。

蒔絵(まきえ)

この時代、蒔絵がだいぶん進歩していきます。蒔絵というのは、箱に漆を塗って金粉のラメを入れていく技法ですね。これが進歩していきます。

日本の伝統文化の基礎

さらに東山文化の特徴の中でも、THE和風といえるのがお茶とお花です。

茶道(茶の湯

この東山文化では、お茶というものと禅宗の考え方が融合して、禅的なお茶が発展していきます。村田珠光(じゅこう)という人は、禅宗の考え方にもとづいて心を落ち着させて悟りを開こうとする気持ち、そして、今まで娯楽の一つであったお茶を融合させて、お茶を飲んで精神を研ぎ澄まし心を落ち着かせて悟りを開くといったように、お茶を通じて悟りの精神を開こうとしたのが村田珠光です。この人が茶道におけるスタートの人物です。そして、武野紹鴎(たけのじょうおう)ですね。この後、安土桃山時代になって、いよいよ千利休が登場します。茶の湯ではこの3人の人物がわりとテストで問われやすくなっているので抑えておきましょう。

華道(生け花)

華道の祖といえば、池坊専慶が有名ですね。茶道は千家、華道は池坊家、これらは現在もつづく茶道や華道の家元です。あるいは金属工芸の後藤家など、日本の伝統文化のスタート地点がこの時代であるということがいえますね。

学問

有職故実

有職故実(ゆうそくこじつ)といって、朝廷や公家に古くから伝わる年中行事や儀式などを研究する学問です。代表的人物は、一条兼良(いちじょうかねら)で、「公事根源」は、朝廷の古くから伝わる年中行事のやり方やあらましをまとめたものが有名です。一条兼良はこの公事根源の他にも、足利義尚への政治の意見書「樵談治要(しょうだんちよう)」が有名です。実際にテストでも公事根源よりこの樵談治要が問われることの方が多いです。木こりが話していることとして話が成立しているのですが、実は将軍に対して「自分はこう思うのですがいかがですか?」と面と向かって意見すると角が立つので、「今から話をする内容は、実は木こりが話していたことなのですが〜」と伝え聞いた話としてやんわり義尚さんに伝え、意見書を書いたものが樵談治要です。

唯一神

神道を中心に儒学、仏教を融合しようとする神道のことを唯一神といいます。恥ずかしながら私も神道の中身については細かく違いを説明する自信があまりないのですが、でもテストでは「唯一神道の代表は誰ですか?伊勢神道は誰ですか?垂加神道は誰ですか?」みたいに「◯◯神道の代表的人物は誰?」って問われ方はよくされます。ですので、ここでは唯一神道の代表的人物は吉田兼倶(よしだかねとも)だということを抑えておきましょう。

今回はここまでです。