日本史オンライン講義録

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070 秀吉の重要政策

信長、秀吉ときて、その秀吉が天下を統一しましたね。今回は、秀吉の重要政策を学んでいきたいと思います。「秀吉の重要政策といえば、あれでしょ?検地と刀狩でしょ?」っていうわけですね。まさにそのとおり!検地と刀狩りについてみていきましょう。

 

 

太閤検地

秀吉は太閤様といわれるようになります。太閤とは、摂政や関白のOBのことです。秀吉は関白にまで上り詰めましたので、その関白を他の人に譲ったあとの存在を太閤っていいます。そんな太閤の行った検地なので、太閤検地といいます。そしたら、これまでの検地の在り方とはどんなだったのでしょう?これまでの検地は、自己申告の指出検地でしたね。そして、この指出検地に使われる土地のカウントの仕方を貫高制といいました。その土地でとれるお米の量をお金に換算して表したものでした。1ヘクタールの土地、5坪の土地、100平米の土地といった広さを表す単位ではなく、1万円分のお米がとれる土地、5万円分のお米がとれる土地といったようにお金に換算したのでした。この時代は「円」ではなく「貫」という単位が用いられたので、貫高制というんですね。そして、これが自己申告だったのです。すると、お金に換算するということと自己申告ってことで結構あいまいなんですよね。確かめようにも確かめようがないわけです。この辺の確かめようがないから、どれくらいの収入があるのかないのか把握しきれません。

 

そこで、太閤検地を実施して全国の土地の面積を図ろうじゃないか、そうすればどれほどの土地生産力と収入がのぞめるのか把握できるじゃないかというコンセプトの元で太閤検地がスタートしました。太閤検地というのは天下を統一して、さぁ一斉にやりましょう!ということではなくって、たとえば北条氏を倒したらじゃあ北条氏の土地の検地を・・・、長宗我部氏を屈服させたら、じゃあ長宗我部の土地の検地を・・・というふうに、天下統一のプロセスの一環でどんどんと新しい土地を検地していったということになります。

 土地面積の表示単位

さぁ、土地の面積を測りますよ。じゃあ、どれくらいの面積かを把握するために土地の単位を決めなければならないですよね?太閤検地における土地の面積を表示する単位、これが「町・段・畝・歩(ちょう・たん・せ・ぶ)」です。この「歩」なんですが、今でも「ウチの家の敷地面積は30坪だ!」みたいな使われ方をされますよね。あの坪っていうのがこの歩にあたります。一坪とは畳2枚分です。この30歩が1畝です。10畝が1段、10段が1町。ということは1段が300歩ですね。むかし律令制度のところで1段は360歩って言っていましたね。秀吉はここで1段を300歩に統一したのでした。

枡の統一

面積の単位を統一しましたが、次に体積の単位を統一しました。このときに定められた枡を京枡といいます。

石高の制定

かつては貫高制といって、全国の土地の生産量をお金に換算して表していましたが、それを米の量で表すように成りました。「この田んぼから3キロの米がとれますよ。」「この田んぼから100キロの米がとれますよ。」といってように、こちらの方がわかりやすいですもんね。さらに京枡が使用できるようになったことで、こういう単位も使われるように成りました。合(ごう)・升(しょう)・斗(と)・石(こく)です、

ってわかりますか?私の家では夕飯時にお米を炊いています、2合のお米を。まだ子どもが小さいので2合で間に合うのですが、とくに下の男の子が中学生や高校生になったときには、ものすごい量のお米を食うのでしょうね…。この2合の合が、単位としての合(ごう)です。そして、10合のお米が1升です。家電量販店とかでも10合のお米が炊ける炊飯器のことを1升炊き炊飯器とかいいますよね。さらに、10升になれば1斗といいます。1斗缶ってありますよね。さいごに斗が10になれば単位は石となります。そうすると、50石の土地、100石の土地とかいうわけです。あの有名な加賀100万石の前田家ですが、私たちの普段使いである単位「合」に換算すると、10億合の米が取れる加賀国の大名ってことになりますね。

その土地の面積    :町・段・畝・歩(ちょう・たん・せ・ぶ)

 その土地の米のとれ高合・升・斗・石(ごう・しょう・と・こく)

石盛(こくもり)をみていきましょう。田によってとれる米の量が違いますよね?たとえばこの土地はとても肥えているので上田(じょうでん)とする。上田であれば1段あたり1石5斗とれるだろう。一方で、あの土地はやや痩せ細っている下田(げでん)とする。下田であれば1段あたり1石1斗しかとれないだろう。・・・といったように田をランク付けをすることを石盛というのです。では、石盛をやるとどんなメリットがあるのでしょうか?それは、過去のデータをカテゴリー別に分けることで、その年のだいたいの米のとれ高を予測することができるんですよね。なので、土地の面積に石盛をかけてやれば石高を表すことができるようになるのです。

土地の面積 ✕ 石盛 = 石高

 この土地面積は何段で、しかもカテゴリーとしては中田なので、およそこれくらいの米の量がとれるだろうという目安になるわけですね。ちょっと回りくどい説明にはなってしまいましたが、秀吉は、今までの検地のいい加減さをカイゼンし、実測してより単位も統一したことで、より性格な米のとれ高を把握することができたのでした。

一地一作人の原則 

太閤検地を行った秀吉は、身分統制とも大きくかかわってくる一地一作人の原則をもちだしました。一地一作人の原則とは、検地を行ったときに、検地帳には実際に耕作を行っている農民の名前を記録することを原則としました。たとえば、ある土地があったとして、そこをAさんが耕したら当然Aさんのものになるのですが、Aさんの土地をBさんが借りてAさんの代わりに耕したとします。じゃぁ、もうその土地は実質的にBさんが耕していることになるんだから、この土地はBさんのものであることを検地帳に記録しましょう!ということですね。メリットは、あいまいさがなくなるわけです。つまり、土地の持ち主が誰であるかをハッキリさせるのではなく、いま誰がこの土地の面倒を見ているのかをハッキリさせることが目的なのですね。

課税

検地をおこなったあとやることとして、税を課していきます。登録した農民に対して、年貢の負担を義務付けていくことになります。石高に応じて課税をしていくのですが、その割合は二公一民といって、税の負担分:農民の取り分=2:1 が一般的でした。たとえば、上田の石盛は1段につき1石5斗でしたので、5斗は自分の取り分になって、1石は年貢として差し出すっていうイメージですね。さぁ年貢をいよいよ納入するのですが、年貢は個人個人で納入するのではなく、だいたい村で一括して納入する村請が一般的でした。

大名に対して

じゃあ、秀吉の直轄地ではない大名の土地に対してはどのように課税されたのかというと、これは同様に検地帳国絵図で管理されていました。大名をコントロールしつつ、検地が全国に及ぶように運営されました。こうすることによって、たとえば「前田家の大名には加賀103万石の土地を授けよう」といった感じで大名の石高が決定されていきました。石高が決定されると、今度はその石高によって軍役を課すことも可能になっていきます。たとえば「15万石の大名であれば500人程度の動員が可能だよな?この秀吉のために頼むぞ!」といったように秀吉のもとに派遣される軍隊の体制も整えられました。

 

以上、太閤検地をみてきました。単位を統一し、その単位のもとでどれだけの米がその土地から取れるかを計算し、いままでの大名の自己申告だった曖昧な貫高制を排除してきちんと検地を行っていくことになったのでした。

刀狩令

農民から武器を没収

農民から武器を没収していきました。表向きは「方広寺の大仏をつくるために金属回収をします」という意図で刀狩が行われましたが、本音のところでは「反乱を起こさせまい!」という反乱防止策でした。いまも京都の方広寺には釣鐘が残っているのですが、釣鐘だけでも巨大なので、秀吉がつくろうとした方広寺もそれは馬鹿デカかったということが容易に想像できます。こうしてどんどんと刀狩をしてきました。

身分の明確化

すると当然、農民の身分も明確になりますよね。たとえば、刀や槍をもっている農民が「あなたはお侍さんですか?」と問われたら、「いやぁ、武器は確かにもってるけど、畑は耕すしなぁ。オレって一体どっちなんだろう?」といったように、あいまいな身分でした。しかし、この刀狩令が発令されてからは、武器を手放すことになりましたので、「あなたは農民ですか?」との質問に対して「はい、武器も手放しましたし私は農民ですよ!」といったように、身分が明確化されていったのです。ですので、一揆の防止にもつながりました。

人掃令(身分統制令)

この刀狩令をもうすこし発展させたものが人掃令(身分統制令)ですね。武家、お侍さんが町人や百姓になるのはNGですよ!そして、百姓には米を生産してもらわないといけないですので、商人や職人になるのはNGですよ!とにかく身分の変更はNGですよ!というものです。これが兵隊と農民を分けるいわゆる兵農分離の完成ということになっていくわけです。

まとめ

以上、今回は中学校でも習う秀吉の政策ではありましたが、もう少し掘り下げて、単位のあらましについて触れた上で、その土地から収穫できる米の量をカウントしていったり、刀狩令を発令したり、そして身分を固定化していくといったお話でした。今回は以上です。