日本史オンライン講義録

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072 桃山文化

今回は、信長や秀吉の時代の文化について扱いたいと思います。信長・秀吉のころの文化を桃山文化といいます。なぜ桃山っていうのか、なぜ安土っていうのか、ここの説明をまだ話していなかったですね。安土っていうのは、信長がお城を建てた安土城からきています。では桃山はどこから来たのかというと、秀吉が大坂城を建てたのですが、晩年は伏見城へ引っ越すんですよね。この伏見城の跡地に桃が植えられたことから桃山といわれるようになり、その桃山に建てられた伏見城に秀吉が暮らしていたからってことから秀吉の時代のことを桃山時代っていうんです。安土と桃山をあわせて安土桃山時代と呼ぶのですが、この時代の文化のことを安土桃山文化とはいわずに桃山文化といったりするので、ここのあたりの整理をよろしくおねがいします。

桃山文化(信長や秀吉の時代の文化)

さて、まず特色はというと、文化を推し進めていった人が信長であったり秀吉であったりしたので、彼らに召し抱えられた絵師や建築家が腕を奮って豪華絢爛な作品を作ったのがこの時代の特徴です。ですので、信長や秀吉などの天下人や大大名(加賀の前田家、徳川家、毛利家、宇喜多家など)による豪華で壮大な文化なわけですね。そして、もう一つの特徴としては、スカッとした新鮮味のある雰囲気が漂っているんですね。そんな新鮮味を形作っている要素は何なのでしょうか。ヒントは、これまで文化の中心だったある要素が消えてしまったからなのです。何が消えてしまったのかというと、一言で言ってしまえば「仏教色」です。いままで仏教に染まった文化というのは、どこかしら仏教の形であったり仏教の色合いであったり、どちらかというと派手ではなく地味、どちらかというと開放的ではなく閉鎖的といったものでした。しかし、桃山文化はそうではなくって、天下人がその力に物を言わせて、豪華で壮大、新鮮味といった魅力があったのでした。なので、資料集で桃山文化のページをひらけば、「おお〜豪華!」っていう今までとはちょっと違った楽しいページであることがみてとれます。

建築

やはり天下人や大大名による建築物ですので、城郭建築といってお城が代表として挙げられるでしょう。はじめは山城のスタイルをとっていましたが、鉄砲が登場したり戦法が変わったり、あるいは城下町の経営ということを考えると山の上のお城っていうのは城下町の面倒をみるのに少し不便だということで、山の上からだんだん降りてきて丘の上に築かれた平山城や完全に平地につくられた平城へと変化するようになります。お城もはじめは戦いのための本拠地でしたが、だんだんシンボリックな存在、いわゆる一国一城という性格へと変わっていきます。その城で一番重要な場所、つまりお殿様が暮らす建物として天守閣が作られるようになっていきました。桃山文化の建築といえばお城ですので、ではいくつか代表的なお城を見ていきましょう。

代表的な城郭建築

たとえば、安土城ですね。これは信長のお城です。そして、大坂城は秀吉ですね。こういった天下人のお城以外に、大大名のお城として有名なのが、白鷺城といわれる姫路城ですね。そして、シブいもの好きな人には松本城なんかが外せないでしょう。また、天守閣はそこまで大きくはないのですが、趣向を凝らしたものとなっているのが彦根城ですね。そして、愛知県にある犬山城ですね。そして、いまその城の姿をみることはできませんが、その城が建て替えられて桃山文化の意向を伝えるを今に伝えるといった建物があるので、紹介しておくことにしましょう。それは晩年の秀吉の居城となった伏見城ですね。伏見城は今ではみることができませんが、西本願寺書院そして西本願寺唐門などがかつてはこの伏見城に存在していました。そして、聚楽第(じゅらくてい・じゅらくだい)ですね。これはなにかというと、秀吉が後陽成天皇を迎えるために建てたお城タイプのお屋敷なんですが、いまは見ることができません。しかし、これもそこの建築建築物がいくつか他の場所へ移設されているので、当時聚楽第にあった建物を見ることが出来ます。たとえば大徳寺唐門であったり、西本願寺飛雲閣(ひうんかく)ですね。これが年に1回くらいしかみることができないのですが、西本願寺唐門から少し行った所に飛雲閣の屋根の一部が見え隠れしているのですが、なかなかその姿をみることができないレアな建物です。このように、自由な形式で、形にハマっていないところに魅力を感じるひとも多いようです。そこで、気になるのはこのお城の内部は一体どういう風になっているのか気になる所ですが、ふすまや障子が金箔や青や緑で彩色されている濃絵(だみえ)の障壁画で装飾されています。

絵画

狩野永徳

さて、その濃絵の名手には、狩野永徳(かのうえいとく)という人がいます。水墨画大和絵の融合、新しい装飾画の大成を成し遂げました。代表的な作品として挙げられるのは、「唐獅子図屏風(からじしずびょうぶ)」ですね。二頭の獅子が描かれています。

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そして、京都の町並みを描いた「洛中洛外図屏風(らくちゅうらくがいずびょうぶ)」です。

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狩野山楽

そして、狩野永徳の弟子である狩野山楽ですね。永徳ほど派手さはないものの、わりとシブいけどしっかりした絵を描く人です。作品としては、「松鷹図」「牡丹図」です。これら永徳や山楽らは狩野派とよばれています。

海北友松

海北友松(かいほくゆうしょう)は「山水図屏風」です。

長谷川等伯

長谷川等伯の代表作は、まるで印象派の絵画のような「松林図屏風」です。筆と墨で近くの松を描きながらも、遠くの松をうまくかすれたタッチで墨一色で表現するところからしても、相当な腕前であったことがうかがえます。

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あるいは、京都に智積院(ちしゃくいん)というお寺があるのですが、そこのお寺の襖絵「智積院襖絵」なんかも有名です。

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これもオススメで、松林図屏風とはまた違った東伯の技巧をみることができます。みればみるほど、絵によって描き方に違いがあるのでとてもおもしろいです。

 

彫刻

ここまで建築、絵画とみてきましたが、最後に彫刻をみていくことにしましょう。この欄間(らんま)というのは現代ではあまり聞くことがなくなったのですが、襖の上部に透かし彫りが施された欄間彫刻が特徴的です。

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ということは、この時代はやや今までの彫刻をリードしてきた仏像が姿をひそめることになり、天下人のお城を飾る欄間彫刻が流行することになります。そして、ここに花や動物や植物などを透かし彫りにする技法が駆使されます。この豪華絢爛な透かし彫りの代表作品として、「都久夫須麻(つくぶすま)神社本殿」があげられます。

そして、家具や生活用品にも漆を塗ったところに金粉や金箔をまく蒔絵(まきえ)が施されました。また、活字という文字のスタンプなどを組み合わせて印刷する活版印刷朝鮮半島からもたらされました。朝鮮は以前から活版印刷はずっとやってきた国です。

 

今回は、信長時代あるいは秀吉時代の文化についてお話しました。ここにあげた狩野永徳狩野山楽・海北友松・長谷川等伯などは非常に日本の国宝をバンバンと残していった人たちですので、是非リアルでその作品をみて、その豪華さであったり作品ごとの違った表情に感動を覚えてほしいと思います。今回は以上です。