日本史オンライン講義録

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082 寛永期の文化

寛永期の文化についてです。江戸時代の文化といえば中学校時代に、元禄文化あるいは化政文化を習ったと思うのですが、高校では寛永期の文化をならいます。そして、4年ほど前に教育課程が改訂されて宝暦天明期の文化が追加されました。教科書的には現在、江戸時代の文化を4段階に分けて説明しています。

江戸時代の文化

  • 寛永期の文化(③家光のころ)
  • 元禄文化(⑤綱吉のころ)
  • 宝暦天明期の文化(⑨家重・⑩家治のころ)
  • 化政文化 (⑪家斉のころ)

そして、今回はその寛永期の文化ですね。この寛永期の文化は3代将軍・徳川家光の時代の文化です。そして、まだこの時代は江戸時代の初期ですので、桃山文化をベースに確実に新しい傾向へと向かっていく、そのような文化です。さて、それでは中身についてみていくことにしましょう。

 

学問

江戸時代、幕府がさかんに薦めていった学問が儒学です。 とりわけ朱子学が幕府や藩に受け入れられていきました。なぜなら君臣の別、上下の秩序を重んじることを基本としたからです。たとえば先生と生徒、親と子、といったように上下の秩序を重んじ立場をわきまえた行動を起こしなさいといった内容の学問だったので、政治をスムーズに進める上では便利な学問だったのです。

では、代表的な朱子学者をみていきましょう。まずは、藤原惺窩(せいか)で、朱子学徳川家康に講じた人です。「家康さま、こんな学問がありますよ。それはですね、かつてはお坊さんやお公家さんの教養としての学問なのですが、かくかくしかじか・・・」藤原惺窩に薦められた家康は「おぉ、そうか!それはいいな!国を治める側としてはとてもありがたい学問だ」として、江戸時代の武士たちに公家やお坊さんにとっての教養だった朱子学を学ばせるように成りました。家康は藤原惺窩に「惺窩よ、ぜひワシに仕えてみないか?」とラブコールを送るのですが、お勤めがあまり好きではなかったこともあり「私のかわりにすごく頭の切れる人物がいます、林羅山(らざん)というおとこです。」ということで林羅山が家康に使えることになりました。以降、この林家が幕府に仕えることになり、朱子学教学の責任者になっていくのでした。

 

建物(霊廟建築)

権現造

亡き偉人を建物に祀ることを霊廟というのですが、やはりこの時代の霊廟建築として有名なのは、家康を神としてまつった日光東照宮です。この日光東照宮は、権現造(ごんげんづくり)といいます。家康の死後の呼び名が東照大権現だったわけですね。神としてまつってある家康のことを権現といい、その権現をまつった建築の様式のことを権現造といいます。この権現造は、桃山文化の影響を受けています。桃山文化といえば、たとえば都久夫須麻神社など非常に複雑な彫刻のこらした建物がありますが、この日光東照宮もすごい細かい彫刻、すごい豪華な彫刻がバーっとみれます。中には見ざる言わざる聞かざるの彫刻とか、眠り猫などの名作彫刻がたくさんあるわけです。

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桃山文化の影響をうけた豪華な装飾彫刻が霊廟彫刻の代表例です。

 

数寄屋造

そして、もう一つ代表的なこの時代の建築様式として、数寄屋造(すきやづくり)があります。教科書には、室町後期からの書院造に草庵風の茶室をとりいれるとだけかいてあって、草庵風が何であるか説明されてないんですよね。教科書、なかなか不親切です。草庵風っていうのは、質素で飾り気のない見た目には粗末なんだけど、そこが味として良いといった特徴があります。いままでカチッとした書院造ではなく、わりと少しデザイン性のある自由な味わいのある建築のこ

とです。そんな数寄屋造の代表例が桂離宮です。

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これは天皇の邸宅と思いきや、後陽成天皇の弟で八条宮智仁親王の別邸です。そして、もう一つ代表例としてあげられるのが修学院離宮です。

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これは後水尾天皇の別邸です。

絵画

絵画では、狩野探幽(かのうたんゆう)の「大徳寺方丈襖絵(だいとくじほうじょうふすまえ)」が代表作です。また、俵屋宗達(たわらやそうたつ)ですね。俵屋宗達は、のちに活躍する琳派の先駆的存在で「風神雷神図屏風」が有名です。

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で、この琳派っていうのは何かというと、いまでいうデザイナー集団です。俵屋宗達っていうのはデザイナーの中のデザイナーですね。この風神雷神図屏風を書いたのは俵屋宗達だけではなく、のちに尾形光琳などがそっくりな風神雷神図屏風を描いています。

 

工芸

本阿弥光悦

工芸の代表的人物として本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)という人がいます。作品としては、「船橋蒔絵硯箱(ふなばしまきえすずりばこ)」ですね。硯箱の中には、硯や筆が何本かはいっていて、いわゆる筆箱みたいなものですね。

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蒔絵の技法を施したポッコリとしたフォルムであることを確認してください。ここで注意しておかなければならないのは、船橋蒔絵硯箱とそっくりな「八ツ橋蒔絵硯箱」っていうのがのちほど登場してきますので、混同させないこと。光悦の作品として補足しておきたいのが、楽焼茶碗といって素朴な造りをした陶器があります。

酒井田柿右衛門

さかいだかきえもん と読みます。有田焼という焼き物で、釉薬(うわぐすり)を塗っていろどり豊な色をつける赤絵の技法を完成させました。秀吉が朝鮮出兵で九州の大名を朝鮮へ派遣した際に、朝鮮半島で焼き物を作る陶芸家を日本に連れて帰ってきた、その朝鮮人陶工の影響で九州各地で陶磁器生産が盛んになりました。たとえば、有田焼、薩摩焼、平戸焼、高取焼、そして九州ではないのですが山口県萩焼などがあげられます。

 

文芸

さて、ラストは文芸について説明をしましょう。

仮名草子

仮名草子は教訓、説話文学みたいなものですね。たとえばこういうことをやったらバチがあたりますよ、とかのエピソードを主とするかな書きの小説を仮名草子といいます。

俳諧

俳諧といってこれは松永貞徳(ていとく)が代表的です。室町時代には連歌が登場しましたが、連歌の上の句だけ取り上げても結構味があるじゃないかということで、連歌から俳諧を独立させたのでした。