日本史オンライン講義録

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085 農業生産の発展 /諸産業の発展

今まで家綱の時代が文治政治への転換、そして綱吉が元禄時代でした。そして、家宣・家継が正徳の治といったように、わりと元号のついた時代があって、これはこれでわかりやすいわけですね。そして、この時代の文化を元禄文化というんだよ!っていう風に、今回はパっと元禄文化の方に移っていきたいところなんですが、正徳の治と元禄文化の間に「諸産業の発達」というトピックがあるんです。たとえば、農業であったり工業であったり商業であったり交通であったりと、江戸時代では戦国時代が終わって落ち着いて、いろいろな産業が発達していったんだよっていう内容のコーナーを学ばなければなりません。しかも、意外とこのコーナーは分量が多くて、しかも歴史がなかなか前に進まないところなので、教え手としても少しもどかしいところなのですが、ここは一つ「諸産業の発達」っていうトピックが正徳の治を勉強した直後にあることをイメージしておいてください。そして、「諸産業の発達」がおわれば元禄文化へと行くのですが、「諸産業の発達」が分量が多いために、正徳の治からの流れをついつい忘れてしまいがちなので注意をしてください。

 

農業の発達 

さて、今お話をしたように江戸時代も、戦国の雰囲気を色濃く残してきた家康・秀忠・家光の時代から、ちょっと落ち着いて政治を充実させようとしたのが家綱・綱吉・家宣・家継の時代へと移り変わっていきました。ということで、農業生産の発展ということで本題に入っていきたいと思います。まずは農具が発達していきますよぉ。

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鉄で作った鋤(すき)・鍬(くわ)・鎌(かま)あるいは、わりと重量感のある牛馬用の犂(すき)が登場していきます。今まで室町や戦国の時代に刀鍛冶が登場したのですが、これがさらに発展します。まず深く耕すために備中鍬(びちゅうぐわ)、そして脱穀用の千歯扱(せんばこき)。稲穂から稲粒をとらなければならないのですが、千歯扱の鉄の針のところに引っ掛けて引っ張ればかんたんに稲粒が獲れてしまうという便利なものでした。他にも、唐箕(とうみ)といって、風を送り込んで選別をする用途に使われます。また、千石どおしといって網の目や網の角度を調整することで様々な種籾を選別するテクノロジーが備わったものでした。今までは稲穂を一本ずつ種籾をしごいてとって、その中からゴミをより分けて選別していたものが、これらの農具を使うことによってとてもたやすく農作業が捗るようになっていくのでした。この他にも灌漑用の竜骨車踏車など、田んぼっていうのは常に水が貼っているわけではないですよね、冬場とか稲が生育する途中とかではちょっと乾いた状態になっています。こういうのを乾田というのですが、水を抜きたい時には抜いて、田植えとかの時には水を入れていきます。通常、水場は田んぼより低いところに位置していることが多いので、そういったときには竜骨車を使ってベルトコンベアみたいなものを人が足で回して水を田んぼに入れていく、あるいは踏み車といって、大きい水車を設置して足でぐるぐると回して田んぼに水を入れていったりしました。

 

治水・灌漑

さて、さきほど灌漑といって水のあるところから、水のないところへ引き込む技術が高まってきました。すると、今度はそれを大規模化して、川の流れをかえたり、新たに用水路を作ったりすることで、今まで田んぼでなかったところにも田んぼが作られるようになりました。たとえば、芦ノ湖が水源の箱根用水であったり、利根川から分水する見沼田用水などが該当します。

 

新田開発

藩や幕府は、お米が今まで取れなかった荒れ地を新たに田んぼとして開墾していくことで、収入増が見込めたわけですよね。その広さはなんと160万町歩から300万町歩と倍増させることに成功しました。新田開発の代表例としては、代官見立新田があります。主に、幕府の代官が開発する田んぼなのですが、たとえば、とある代官の目利きが優れていて、その土地の農民を動かして開墾してみたら、見事うまく田んぼに変貌を遂げたなんてことは結構あったそうで、その代官は褒美としてその田んぼの10分の1くらいをゲットできたりしました。あるいは、新田開発にたずさわった農民も何年か分の年貢を免除されるなど、わりとみんな一生懸命新田開発に励むのでした。そうすると、それを見ていた有力な都市商人も「よっしゃ、オレたちもいっちょやってみるか!」ということで資金を投下して開発された町人請負新田なども見られるようになりました。しかし、中にはもともと田んぼにしにくい土地もあるわけで、見立てが悪くて開墾してみたもののすぐに洪水で流されてしまったとか、失敗することも多かったようです。

 

肥料

最初に使われていたのが刈敷といって刈り取った草を田んぼのなかに敷き込むといったものから、厩肥(きゅうひ)といって馬小屋などに敷く藁みたいなもののことをいうのですが、これを集めると牛や馬の糞尿と混ざってそれがいい肥料になるんですよね。わりとお金をかけなくてもできる肥料ですが、のちには下肥(しもごえ)といって都会の人たちの糞尿を集めてそれを肥料にするといったこともしていました。このときわりとお金で人の糞尿が売買されたりしていたんですね。その他にも、干鰯(ほしか)酒粕糠(ぬか)などのお金をかけて作る肥料のことを金肥(きんぴ)というのですが、これらもよく使用されていました。

 

商品作物

幕府はコメだけを農民には作ってほしいわけですよね。現金収入を得るような、農民が贅沢を覚えるような、いわゆる稲作以外の農作物を作ることは(田畑勝手作りの禁で)制限していたのですが、とはいっても町の人たちが欲しがることもあって消費需要の多様化に応じて盛んに商品作物を作るようになっていきました。たとえば四木三草(しぼくさんそう)ですね。四木というのはカイコの餌になる桑・紙の原料になる楮・茶・漆です。三草というのは、紅花・藍・麻、あと四木三草以外にも綿・たばこなどの栽培が盛んに行われていました。その他にも、野菜や果物などが日本全国で作られるわけですが、とくに土地柄がいいだとか気候が適しているだとかで特産品がいくつかあります。

  • 羽村上:紅花
  • 駿河・山城・宇治:茶
  • 備後:い草
  • 阿波:藍玉
  • 薩摩:黒砂糖
  • 甲斐:葡萄
  • 紀伊:蜜柑

このような特産品があります。そうこうする間に、幕府にとってはちょっと警戒すべき懸念であったんぼですが、やっぱり町に売りに行けばカネになるわけですので、貨幣経済が農村に浸透していきます。

 

農書農業

農業に関するいわゆるテクニック本ですね。

  • 清良記」17世紀前半 最古
  • 農業全書宮崎安貞(元禄期)
  • 農具便利論」「広益国産考」大蔵永常(化政期)

このような農書があって農業の発展に寄与しました。ここまで農業についてのお話でした。4代将軍の文治政治、5代将軍の元禄時代、6・7代将軍の正徳の治と元禄文化の間に挟まれる諸産業の発達の中の農業ジャンルについてまとめました。こうした全体像を掴んだ上での学習を是非おすすめします。

 

諸産業の発達

ここからは林業や漁業や手工業についてのお話をしていきます。

林業

お城とかお屋敷のある時代ですので、大きな檜やくすのきというのは貴重な資源になるわけですね。たとえば尾張藩では木曽檜秋田藩では秋田杉などが有名です。これらは高値で売買されていましたので、藩も貴重な収入源としてこれらの産業を奨励していたわけですね。

漁業

漁法の改良がなされていきます。とくに網を使った網漁が全国に浸透していきます。いままでは釣りをするなど、ちょっとした漁だったのですが、たくさんの人手を活用して大掛かりな方法で魚群を取り囲んで一気に取り込もうとしました。このように網漁は、たくさんの人手を要しますので、それらを束ねるリーダー的存在がありました。それを網元といって、網元が漁場を独占し、魚問屋とタッグを組んで取引を行うのでした。それでは網漁でどんな魚が取れたのかと言うと、まずは、鰊(にしん)ですね。にしんから抽出した油のことを油かすといって木綿栽培によく効く肥料になったそうです。

釣漁も併行して行われるのですが、今でも名物なのが瀬戸内海の鯛、土佐の鰹などがあります。日本の昔からの文化としてくじらを食べる習慣があるのですが、捕鯨では紀伊・土佐など。そして、漁業というのではないのですが、俵物といって干した鮑の干鮑やなまこを干したいりこ、ふかひれなど高級食材のことを俵物というのですが、これらは清に輸出されていきました。

 

製塩業

製塩では、入浜塩田が発達していきます。塩を作るときになんと言っても大変なのは海水から水分を飛ばす作業なんですね。これを砂浜に海水をまいて、日光の力で海水を飛ばすため、昔は桶を使って人力でやっていたのですが、それを潮の満ち引きを利用して、潮が満ちたときに堤防から水を引き流して仕切板で仕切って、そして潮が干いたときに天日で海水を蒸発させて、かなり蒸発した状態の砂を回収して、この砂の上からさらに海水を注ぐと濃い海水がとれます。この濃い海水を火で蒸発させて塩を取るといった作業へ変わっていきました。

 

手工業

織物の産地として有名なのが、河内の木綿ですね。そして、近江の麻、奈良の晒(さらし)などが有名です。とくに織物の中でも高級な絹織物が有名で、はじめは京都の西陣が独占していましたが、この西陣織に使う織り機のことを高機(たかはた)といいます。うまく説明できないので、百聞は一見にしかず。動画をご覧ください。

のちに、上野(今の群馬県)の桐生など各地で生産されるようになります。

 

陶磁器

肥前の有田で磁器の生産が開始されました。伊万里というところから各地に伝わり海外にも輸出されるようになります。この肥前の北部で生産される磁器のことを伊万里といいます。これまで厚手の土で焼かれた陶器がメインでしたが、より高い温度で硬くて白く仕上がる磁器も生産されるようになりました。そして、尾張瀬戸焼などがあります。だから陶器のことを瀬戸物といったりもしますね。

 

製糸業

美濃紙や、越前の鳥ノ子紙、播磨の杉原紙などいろいろあります。

 

酒造

お酒は、灘や伏見が有名です。

 

醤油

醤油といえば現在の千葉県、野田とか調子が有名です。野田といえばキッコーマンの本社が置かれている土地ですね。車で窓を空けて走っていると、ほんのりと醤油の香りがするんですよね。野田には結構キッコーマンの工場が多くあります。

 

今回は以上です。