日本史オンライン講義録

受験勉強はもちろん、日々の学習にも役立つ日本史のオンライン講義です。 

088 商業の展開

商業というと、主に大都市で行われています。ということで、まずは江戸時代の大都市についてみていくことにしましょう。

 

三都の発展

三都とよばれる都市が大いに発展しました。それはどこかというと、江戸と大坂と京都なのですが、それぞれの特徴についてお話をしていきましょう。

江戸

江戸はなんと行っても、将軍様のいらっしゃるところですよね。ですので「将軍のお膝元」とも言われます。そして、江戸はどういう特徴があるかというと、江戸は全国各地から大名がやってきて、大名の家来がやってきて、旗本・御家人がいて、たくさんの町人がいる、どちらかというとものを生産する都市というよりも、たくさんの人が住み、たくさんモノを使うといった最大の消費都市であることが特徴です。もちろんモノを生み出す人もいるのですが、それ以上に消費する人が上回っているということですね。大名の屋敷もたくさんあります。大名の屋敷のことを藩邸とも言われます。たとえば、幕末ドラマとかでも薩摩藩邸とかってよく登場するじゃないですか?大名のお屋敷なのですが、藩の出先機関として使われたりしました。その他にも旗本・御家人などの屋敷などが集中していました。そして町人地には、町が集中しています。たとえば、東京の銀座とか日本橋とか神田あたりを散策して歩けば、茅場町人形町・浜松町など◯◯町のつく場所がたくさんあるんですよね。そこに商人や職人が集まっています。これが江戸の特徴です。

 

大坂

大坂は「天下の台所」という名前がついています。これは言葉としても重要なのでぜひ抑えておきましょう。全国の物資が集まってきて、そしてまた全国に流通させるといった全国の流通網の基点となっているのが大坂の特徴です。また、諸藩が蔵屋敷を置き、年貢米などの蔵物を蔵元・掛屋を通じて販売しました。各地の産物を納屋物といい活発に取引されました。このように、大坂というのは日本の経済については非常に大切な土地ですので、幕府も管理をしっかりとしていきます。そこで大坂町奉行を置き支配しました。

 

京都

この京都にはどういう特徴があるかというと、天皇家や公家、大寺社が多いわけですね。だから公家や寺社幕府は宗教をコントロールすることを通して民衆を支配している一面があるわけですので、この宗教政策の要所でもあります。こうした古くからある権威をうまくコントロールすることと、宗教によって民衆をコントロールするのになかなか抑えどころのある地といえます。また、高い技術を用いた伝統工芸系の手工業生産が発展します。たとえば西陣であるとか、京染であるとか、京焼とかがあげられます。こうしてこのまちを統制するために幕府は京都所司代を置き、町には京都町奉行を置き支配しました。

 

商業の発展

問屋

問屋が発展していきました。この問屋というのはどういう存在なのかというと、例えば先生が本を作ったとします。売りたいんだけども、先生が作ったからといって手売りできるのはせいぜい知り合い程度で終わっちゃうわけですよね。そこで、全国に販売ネットワークを持っている問屋さんに本を下ろせば、効率よく販売できますよね。また、東京の問屋さんからの情報でいま東京では本が品切れしているらしいから、兵庫の問屋さんが東京の問屋さんに融通して送るということもできちゃいます。つまり生産者自身が生産しながらお客さんを見つけて売ることは難しいから、そのお客さんをみつけるあるいは販売網を広げるっていうことで問屋さんを利用したのでした。しかし、現代では問屋の役割はかわりつつあり、ネットの発達とかによって生産者が直接Amazon楽天とかへ出品・出店をして売りさばくようになったので、問屋さんの役割がどんどんとなくなりつつあり、産業の構造が大きく転換期を迎えていたりもします。ということで、江戸時代にこの問屋が発展していきました。この問屋同士が連合して組織を作ることがあります。代表的なものが江戸の十組問屋ですね。あるいは大坂の二十四組問屋などです。この問屋さんですが、生産者が販売ルートを拡大するためだけに利用されたのではなく、今度は問屋のほうが儲けるために、問屋が生産者に材料と資金を貸し付けて、問屋が発注をして大量の商品を生産者に納めさせて、それを売りさばくようになりました。このことを問屋制といって主に百姓に資金や原料などを渡して、たとえば糸と機織機を渡して「ではこの糸で織物を織ってきてね」ということで、納めてきた織物を売りさばきました。これらが百姓の家々で行われていたために問屋制家内工業とよばれたりしました。このように生産者が販売ルートを拡大するために問屋を利用することによって問屋が発展し、問屋の連合組織がつくられ、そして問屋の活動領域が拡大していった、つまり問屋の重要性が増して行ったということになります。

 

卸売市場

そしてモノが取引される場所が卸売市場といいます。たとえば江戸であったら日本橋の魚市場神田の青物市場ですね。大坂だったら、堂島の米市場雑喉場の魚市場天満の青物市場などです。

 

流通のしくみ

f:id:manavee:20180705224213p:plain

それでは、上の板書を使って説明をしていきましょう。まずスタートは農民です。この農民大名に対して年貢や特産品を税として納めていますね。そして農民はこの大名に特産物を納めるだけではなくって、江戸時代になるといろんな商品作物をつくるようになってくるので、  商品を各国にある身近な問屋である諸国問屋納屋物として納めるわけですね。こうして農民はいくばくかの現金を得ていくようになります。

 

さて、大名はこの年貢や特産品を大坂や江戸にある蔵屋敷へ持っていきます。もちろん、諸国問屋に売って手早く現金化することもあったのですが、大部分は蔵屋敷へ運んで蔵物として納めていくことになります。そして、この蔵屋敷にいる販売係の蔵元が問屋へ米を売り、受け取った現金は会計係である掛屋が銭勘定をして大名にわたすといった流れでした。

 

そうすると、この問屋さんですが、諸国の問屋から大坂の問屋へとモノが集められるわけですが、西日本であれば西廻り航路が利用されました。問屋に集められたモノはさらに全国へと流通していくのでした。東日本であれば東廻り航路が利用されたのでした。そして、諸国問屋などを通して納屋物などの生産物を集めていて、東北沿岸から江戸へと回ってくる東廻り航路で物資が江戸へとまわっていき、各地に流通していくことになります。

 

江戸は、一大消費地だということを言いましたね。江戸はたくさんの人が集まるわけだから、たくさんのモノを送ってほしいわけですね。大坂から江戸にモノがたくさん運ばれていくわけですので、どちらかというと物流のベクトルは西から東へと向くことになります。ここで登場するのが二十四組問屋です。一軒一軒の船では一度に輸送するということはできないので、そこで二十四軒が集まって一つの大きな船を仕立てて、一気にものを運び、分け前はみんなで分配するということになりました。基本的な物流の流れは生産地の大坂から消費地の江戸へというベクトルになります。ここにでてくるのが菱垣廻船や樽廻船などの大きな船での海運ということになります。

 

幕府は二十四組問屋や十組問屋っていうのは、一種の株仲間ですので、それを活動を認める代わりにもうけをよこせということで、運上・冥加を納めさせてこのような流れを管理していたのでした。

 

ここでプラスアルファ!さて、幕府には直属の家来がいましたね。そう旗本や御家人でしたが、この旗本や御家人に対して幕府は給料としてお米を支給するのですが、旗本・御家人もお金が必要なんですよね。そこで、旗本・御家人相手の商人のことを札差というのですが、この札差が旗本・御家人からお米を買い取ってお金をおろしていくという流れでした。

 

ポイントとしては江戸時代はお米社会で、農民が大名に年貢米を納める。すると、大名はしかしお金が必要であると考えました。お米で税をとって、それを蔵屋敷におくって、それをお金に変えてもらわなければならない。この旗本・御家人も幕府からお米の形で給料をもらうんだけど、生活にはお金が必要なので、結局札差にお米をうってお金に変えなければならざるを得ないのでした。

 

実際、お金が流通しているのに経済の根本がお米になっているので、このように間を通すたくさんのしくみがあるということがポイントになってきます。今回は以上です。