日本史オンライン講義録

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091 元禄文化③

今回は,元禄文化の中でも文学・美術といったエンタメ系の特徴についてみていくことにします。文学・美術の特徴としては,上方町人の台頭がみられます。上方っていうのは大坂や京都などのことをいうのですが,今で言う関西系の商人が担い手となってエンタメ系の文化が栄えていくことになります。

 

戦争の時代が終わり,ようやく世の中に平和がやってきた,そして上方の町人たちはお金を持っている,なので現世をエンジョイしようします。このエンジョイした世界のことを浮世といい,現世を肯定的に捉えるようになりました。それまでは「憂き世」として,たとえば私たちでいえば,「あぁ,明日は学校にいかないといけない。面倒くさいなぁ〜だりいなぁ」といった否定的な感じから「学校ってのも案外楽しいもんじゃん。学生の間は楽しもうよ!」と肯定的な捉え方に変わっていったのが,元禄時代と思ってもらえればといいでしょう。そんな元禄時代の代表的な作品について列挙していきたいと思います。

 

文学

まずは物語系で浮世草子というものが登場します。物語の流れというのは,室町時代御伽草子というものが生まれ,江戸時代の初期には仮名草子,この流れをたどって今登場した浮世草子へと繋がります。

 

まず浮世草子の代表的人物といえば,井原西鶴ですね。現実をみつめ,人間の愛欲や金銭欲などを描き出します。この井原西鶴浮世草子創始者となります。人間の愛欲や金銭欲は誰しもが持つものなのですが,よめば「あ〜わかる!わかる!」となるのでこれが結構流行ります。こういったジャンルを好色物というのですが,代表作としては「好色一代男」「好色五人女」などがあげられます。

 

そして,町人物ですね。いわゆる金銭欲,お金にまみれてちょっとずる賢いのですが,そのキャラが故に憎めなかったりするわけですね。代表作は「日本永代蔵」とか「世間胸算用」などがあげられます。大儲けする人の話とか,年の末に借金取りから逃れる人の話など,ずる賢さや出世ストーリーなどを描いた現代で言うビジネス物のサクセスストーリーですね。

 

また,武家物ですね。武士の世界に題材をとったものもあります。これが「武道伝来記」や,出題頻度はさがるのですが「武家義理物語」などが代表作です。大阪の町人たちがこの世の中もなかなか楽しいじゃないか!という目線で描写したのがこれらの作品です。

 

俳諧

それでは次に俳諧のジャンルをみていきましょう。これも俳諧の流れということで,松永貞徳というのが江戸時代の初期にでてきましたね。これを貞門俳諧といいました。今回は,このあとに続く談林俳諧やら蕉風俳諧へと発展していく様子をみたいと思います。

 

まずは,西山宗因という人ですが,この人は談林俳諧というジャンルを形成します。この談林俳諧に先駆けとなった貞門俳諧松永貞徳は,言葉遊びのおかしみを楽しむのことを狙ったものでした。そして,それを受け継いだ西山宗因の談林俳諧も,驚かしたり笑わしたりといったちょっと奇抜な趣向を狙ったものでした。そして,松尾芭蕉の蕉風俳諧では,わび・さび・かるみなどで文学性を高めたものでした。わび・さびというのは,お笑いなどでいたずらに興味を引きつけるのではなく,物静かで落ち着いた奥ゆかしい風情で空間的な広がりや静寂さ物静かさなど枯れた味合いのことですね。かるみというのも,毎日みるような風景もちょっと切り取り方を変えれば違ってみえるよねぇといった捉え方のことです。たとえば,「天の川が佐渡ヶ島の上に見えるじゃないか」と強くいうのではなく,「佐渡に横たわる天の川」ってな感じでサラっと言ってのけることを「かるみ」と表現したりします。夏に生い茂る草,あぁうっとおしいなぁ〜ではなく,この生い茂る草は,はるか昔に戦をした兵どもの夢の跡だなぁ〜とかるく表現するのが蕉風俳諧ですね。この松尾芭蕉は紀行文も遺しています。代表作としては「奥の細道」や「笈(おい)の小文」などがあります。そして,門人たちと詠んだ歌が収められた俳諧集「猿蓑(さるみの)」などがあります。

 

芸能

続いて芸能に行きたいと思います。流行といえば人形浄瑠璃すね。人形浄瑠璃っていうのは人形劇に歌や節をのっけたものなのですが,この人形を操っているときに語る節が「義太夫節」といわれ,もてはやされたのが竹本義太夫です。この義太夫がよむ浄瑠璃の脚本を作った有名な人が,近松門左衛門といいます。まぁ人形劇なんですけど,この人形劇の脚本を書く時に描いたのが,義理と人情に挟まれる人々の姿を描いたのでした。まぁ,義理を考えれば結ばれることのない男女なんだけども,お互いに好きになっちゃったら人情を求めあってしまう,まさに義理と人情ですね。その後どうなっちゃったのかというと,心中するのですがこれを世話物といい「曽根崎心中」「心中天網島」が有名です。あるいは,「冥土(めいど)の飛脚」も許されざる恋を描いた作品です。そして近松といえばもう一つが時代物ですね。これは,台湾で中国の清に抵抗した鄭成功という人物の話を描いた「国性爺合戦(こくせんやかっせん)」が有名です。

 

つづきまして芸能といえば,歌舞伎ですね。歌舞伎はかつてお話しましたが,出雲阿国がはじめた阿国歌舞伎,そして女性が演じる女歌舞伎,そして若い男が演じる若衆歌舞伎,そして最終的には野郎歌舞伎となります。最初は歌舞伎おどりといって踊りの要素が強かったのですが,野郎歌舞伎になってくると演劇的な要素が強まってくるのでした。

 

たとえば,市川團十郎がその強いキャラクターを生かした,荒事(あらごと)で好評を得ました。江戸は武士の社会ですから,やはり派手な立ち回りの武勇物のことを荒事とい,市川團十郎がと得意としました。一方で,大阪上方では坂田藤十郎が,和事の名手として色男を演じ,その相手が女形(おやま)の芳沢あやめです。和事はいわゆる普通の恋愛劇でして,恋愛を演じるということは,女性役が必要になってくるのですが,この女性役も成人男性が演じるのでした。上手い人は女性よりも女性らしく演じるようになり人気を博したそうです。

 

絵画

絵画といえば,まずは狩野派ですね。そして,土佐派は,土佐光起が朝廷に召し抱えられて,朝廷御用達の絵師として土佐派を復興させました。そして,土佐派から別れ,住吉如慶・住吉具慶父子らが開いたのが住吉派です。そして,この元禄時代に大きく花開いたのが琳派ですね。尾形光琳が,俵屋宗達の画風を受け継ぎ,琳派を打ち立てます。俵屋宗達の画風を受け継ぎといいましたが,琳派というのはいわゆるデザイン集団でして,たとえば注文主の発注したとおりに描いていきます。ですから,キャンバスもふすまであったり,お茶碗であったり,タンスであるだとか,本の表紙など多岐にわたります。そのデザイン集団としてよくわかる作品が,俵屋宗達風神雷神図屏風です。

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下の尾形光琳風神雷神図とそっくりなんですよ。

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つまり,画風を受け継ぐというのはこういうことですね。ちなみに下は酒井抱一風神雷神図です。

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琳派っていうのは,パクリ度がないんですよね。琳派のトレードマークが風神雷神図屏風なんですよ。共通のデザインを引き継いでいく,いわばそれぞれが個性を出していくというよりも,デザイン集団としての琳派といえるでしょう。そんな尾形光琳の他の代表作もみておきましょう。「燕子花図屏風」です。

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かきつばたの配置たるや素晴らしいものがあります。やっぱりデザイン的なんですよね。あるいは,「紅白梅図屏風」ですね。

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赤と白の梅が描かれた屏風なのですが,その真中の黒うねった川みたいなものもデザイン的センスによって描かれたといえるでしょう。

 

そして浮世絵ですね。この時代の代表的人物が,菱川師宣(ひしかわもろのぶ)です。代表作は「見返り美人」です。菱川師宣は浮世絵で,浮世絵ってのは版画で作るのですが,この美人図は肉筆で描かれたものなので間違いなきように。

 

工芸

続いては,工芸をいきましょう。京焼では,野々村仁清(ののむらにんせい)という人が創始者です。この人は,上絵付け法といって,素焼きの焼き物の上に色絵をつけて完成させたのでした。琳派はまず尾形光琳です。尾形光琳の代表作は「八ツ橋蒔絵硯箱」ですね。この作品は,本阿弥光悦の「船橋蒔絵硯箱」とつい混同してしまいがちなので注意が必要です。そして,尾形光琳の弟・尾形乾山は,琳派の中でも焼き物専門で,やや渋好みの陶芸を作っています。また,宮崎友禅が創始した友禅染や,各地に円空という人が鉈彫りといって,ちょっと雑といえば雑なんですが,木を彫ってつくられたのでした。

 

建築

そして,建築ですが,現在に残るのが東大寺金堂です。この東大寺は何度も消失を繰り返しているのですが,いま大仏が安置されている建物で大仏殿のことです。そして,長野の善光寺金堂ですね。これも失われたものが再建された建物です。

 

今回は以上です。