日本史オンライン講義録

受験勉強はもちろん、日々の学習にも役立つ日本史のオンライン講義です。 

095 宝暦・天明期文化①

宝暦・天明期文化というのは,なかなか聞いたことがない人も多いのではないかと思うのですが,宝暦・天明期とは将軍でいうと9代家重・10代家治の時代の年号でして,実際に政治の舵取りをしている田沼意次を中心とする文化のことをいいます。中学のことは江戸時代の前半の文化を「元禄文化」,後半の文化を「化政文化」として習ったとは思うのでしが,さらに「化政文化」のうち18世紀後半の文化を「宝暦・天明期文化」として区別されています。つまり,①寛永期→②元禄→③宝暦天明→④化政という流れですね。それにしても教科書ではなぜ4つに分けているのでしょうね。まずは,場所を上方と江戸に分けましょう。すると,上方の富裕町人や武士が担い手となったのは元禄文化ですね。一方で,江戸の庶民が担い手となったのが化政文化です。すると,宝暦・天明期文化はというと,ちょうど江戸の富裕町人や武士を中心にしながらも,若干ではありますが上方の富裕町人や武士および江戸の庶民にもかぶっているハイブリッド的な文化が宝暦・天明期文化となります。さて,宝暦・天明期文化の中身をみていきましょうう。

 

学問

まずは学問ですが,国学や洋学(蘭学)といわれるジャンルがさかんになってきました。それもそのはず,幕藩体制は,財政難に陥りながら改革を行ったり,コメ社会からカネ社会への移行を図るに当たり軸足がブレ始めるといった動揺を見せ始めます。そうすると,学問の世界では朱子学オンリーで十分っていわれていた時代から,ちょっとした疑問が沸き起こってくるのです。もしかしたら今まで幕府が正しいといわれていたものが,間違っているんじゃないの?っていう風潮ですね。そうすると,じゃあ幕府以前の日本のルーツを研究してみようかなってことでこれが国学となり,ちょっと西洋の知識なども研究してみようということでこれが洋学蘭学)といったりするわけですね。

国学

ベースになっているのは元禄時代の古典研究なのですが,日本古来の道を説く古道というものが学ばれるようになりました。たとえば,元禄時代には戸田茂睡契沖という人が古典を研究し,その研究の成果をもとにして日本の古来の文化を研究した荷田春満古典・国史の研究を行いました。そして,賀茂真淵は,万葉集古事記を研究しまして「古道」を説きました。代表的な著作は「国意考」といいます。そして,この中ではもっとも有名なのが,本居宣長ですねが,「漢意(からごころ)」を批判し日本古来の精神に還ることを主張しました。代表的な著作として「古事記伝」があげられます。じゃあ,漢意に批判とは何かというと,例えば,幕府が推し進めている上下関係を重んじる朱子学を批判している陽明学にしろ,孔子の教えに戻るべきだとする古学系にしろ,もとをたどれば中国の学問であり,日本古来の人々の心のあり方ではないので,日本古来の精神に還るべきだっていうのが本居宣長の言い分なんですよね。だからといって幕府を正面切って批判しているわけではなく,朱子学を批判しているに過ぎないんですが,これが一線を越えると幕府批判としてみなされ処罰の対象となってしまいます。では,もう一人,塙保己一はなわ ほきいち)さんです。塙さんは7歳の時の全盲になって,それでも勉強に打ち込んで,一度きいたことは絶対に忘れないといわれるほどの秀才でしたが,和学講談所といわれ古典研究の機関をつくり,「群書類従」という書物を編纂します。この「群書類従」とは古典の全集でして,この中に収められている書物としては神皇正統記,上宮聖徳法王帝説,日本往生極楽記,建武年中行事,懐風荘などなど,日本の古典などがまとめられている文学全集です。文学全集なので,どの本を入れどの本を省くかっていうのはプロデューサーの塙保己一がすべてやりました。プロデュースするからには,すべての作品が頭に入って置かなければ文学全集をプロデュースすることはできませんから,それを全盲の塙さんがやった業績としては大きなものがあるわけですね。

洋学

国学ともう一つ大きなジャンルの学問が洋学ですね。とくにこの時代の洋学といえばオランダから伝わってくるものが多かったので蘭学といったりもします。この背景としては,徳川吉宗は,キリスト教以外であれば,西洋の書物であっても漢字に訳してあればOKとする漢訳洋書輸入の緩和を行ったりしました。そして,むしろ,吉宗は蘭学を奨励していくわけですね。

 

で,どんな人が担い手かというと,「華夷通商考」で世界の地誌をかいた西川如見であったり,「采覧異言」「西欧紀聞」などの新井白石が挙げられます。これらは鎖国の禁を破って日本にキリスト教を広めようとして捕らえられたシドッチを尋問したときに聞いた西洋の様子などが書かれています。

 

他にも,山脇東洋の「蔵志」といわれる日本初の解剖図録を作りました。彼らが宝暦・天明期に活躍した人たちなのですが,彼らに学んだ青木昆陽野呂元丈に,吉宗はオランダ語を学ばせるわけです。

 

続いて,前野良沢そして杉田玄白は,ターヘル・アナトミアを翻訳して「解体新書」を作ります。この解体新書のもとになったターヘル・アナトミアは,ドイツで書かれた解剖書をオランダ語に訳したものなのですが,これを手に入れた2人は「この本は果たして本当に正確にヒトの身体を描いたものなのだろうか?」と疑問を持っていました。そんなところに,彼らに朗報がやってくるのですね。ある日,とある事情で死刑になった男を解剖してもいいと言われたのですが,解剖してみるとズバリ,ターヘル・アナトミアの通りだったそうです。すると2人は中心になって日本語に翻訳作業を行ったのですが,この作業の苦労談を「蘭学事始」に記されています。そんな杉田玄白の「蘭学事始」をモチーフにした小説が,菊池寛の「蘭学事始」という本が出ていますのですので一度読んでみてはどうでしょうか。

 

そして,この2人の弟子筋にあたるのが大槻玄沢です。玄沢の玄は杉田玄白の玄,沢は前野良沢の沢ですね。この人は,私塾芝蘭堂を設立しています。そして,蘭学入門書である「蘭学階梯」を著しています。英語の教科書でもLESSON1,LESSON2・・・といったようにステップを踏んで上にあがっていきますよね。つまり蘭学をステップごとに学びましょうといった入門書なのです。

 

続いて,宇田川玄随ですね。この宇田川玄随は,「西説内科撰要」といってオランダの内科書を訳です。

 

そして,稲村三伯オランダ語と日本語の対訳辞書「ハルマ和解」(蘭日辞書)を著しました。

 

そして,最後は平賀源内です。この人はかなり特殊な人でしていろんなことに手を伸ばすのですが,エレキテルなどを発明したり,絵を書いてみたり,コピーライターみたいなことをしてみたり,いろんなことに手を出す器用貧乏なところもあって,最後は頭がおかしくなって死んでしまうのですが,天才といえば天才ですよね。