日本史オンライン講義録

受験勉強はもちろん、日々の学習にも役立つ日本史のオンライン講義です。 

106 開国の影響

幕末真っ只中をやっています。幕末っていうのは,ペリーがやってきて,国内が混乱して,そして幕府を倒して,新しい日本を作ろうという時代です。前回は,ペリーにやって来られたときの老中が阿部正弘で,その後,老中首座の座を堀田正睦に譲るのですが,阿部さんは39歳の若さで亡くなってしまうんですよね。おそらく過労死だったといわれています。そりゃそうですよね,思いもよらないところから軍艦にのってやってこられて,ああだこうだと言われ,結局は日米和親条約を結ばされることになりましたね。その後,ハリスがやってきたときには堀田正睦孝明天皇に条約勅許を求めるものの,拒否されそのまま失脚をし,大老井伊直弼が政治を担当するのですが,井伊直弼はどうせ天皇に反対されるのはわかっていて,別に勅許を得られなくても条約は締結できるとして,日米修好通称条約を結んでしまうのでした。そのまま井伊直弼の話をしてもいいのですが,今回は開国をしたところ日本ではこんなことが起きてしまったよっていう開国の影響についてお話をした上で,次回は再び井伊直弼の政治に戻っていきたいと思います。

 

攘夷運動の激化

それでは,開国の影響についてやっていきます。国を開いてみたら,外国人とお付き合いをするようになったら,こんなことが起こります。それはなにかというと,やはり顔つきも全く違う外国人を目の前にすると,日本人としてはやはり少し抵抗があるわけですよね。そこで,攘夷運動が激化していきます。

 

東禅寺襲撃事件

例えば,アメリカから日本にやってきたアメリカ代表のヒュースケン(ハリスの通訳)という人物が殺害される事件が起きてしまいます。見境なく外国人は打ち払っていこうという雰囲気があったわけですね。そして,イギリスが仮の公使館としてつかっていた東禅寺というお寺が襲撃される事件がありました(東禅寺襲撃事件)。

 

生麦事件

あるいは,有名なのが生麦事件ですね。生麦というのは地名のことです。薩摩の大名ではないんですが,大名のお父さんにあたる島津久光が江戸からの帰りにいわゆる大名行列をなして移動していたのですが,その大名行列を横切ったりするとても失礼なイギリス人がいたわけですね。カゴの中で外の騒動に気づいた島津久光が「なんじゃ,なんじゃ?何が起きた?」と聞くと,家来が言うわけですね。「国父様,われわれの大名行列を横切った外国人を捕まえました。どういたしましょう?」と。そうすると久光は一言「・・・斬れ!」といってイギリス人を殺害してしまいます。これによって,薩摩の国父がイギリス人を殺したことによって,のちに薩英戦争を招くことになります。

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どうです?顔からして「・・・斬れ!」って言っているようなもんでしょう。

 

イギリス公使館焼き討ち事件

そして,イギリス公使館焼き討ち事件が起こります。仮の公使館である東禅寺から本チャンの公使館を建設している最中に,長州の高杉晋作伊藤俊輔らが襲うわけです。伊藤俊輔はのちに博文と名前を変えて,初代内閣総理大臣になるような人なのですが,昔はヤンチャだったんですね。

 

貿易の開始

国を開いてみたらこういうことが起きました。当然,外国人は日本にやってきてうまい汁を吸いたいと思うわけで,貿易を開始するのでした。特徴としては,まずは居留地貿易ですね。日本人が外国へ出向いて貿易をするのではなく,外国人が日本へやっていきて貿易取引をすることを居留地貿易といいます。そして,何はなくとも,江戸の玄関口になる横浜港が取引地の中心となりました。なんと貿易額の約80%が横浜での取引だったといわれています。そして,貿易相手国はイギリス中心です。国を開いて貿易をやろうぜ!って最初に言ってきたのはアメリカなのですが,アメリカは南北が対立していた頃で(南北戦争),ちょっと外国とうまく商売するという余裕はなく,どちらかというと自国の行き先を決めかねていた時代でしたので,日本との貿易には少し出遅れてしまうことになります。

 

そしたら,外国の人たちは日本の何が欲しいのか?日本人に何を売っていったのか?というところが気になりますよね。日本から外国へと輸出された代表的な品目として,生糸や茶が挙げられます。その他にも蚕卵紙や海産物なんかも外国人は欲しがりました。一方で,外国から日本へ輸入された代表的な品目として,毛織物ですね。羊の毛で織った織物はこれまで日本になかったので「おお,こんなに温かい毛皮があったのか」ということで日本人は毛織物を欲しがりました。他にも綿織物や戦艦,鉄砲など海外のテクノロジーを目にすると日本人も買わずにはいられないわけですね。いままで,外国人と商売をやったことがない日本人は,このあと外国人にいいように利益を与えていってしまいます。

 

経済の混乱

やはり,国と国との取引に関していえば,日本はまだまだひよっ子なわけでして,海外の商人にいいように利益を持っていかれるという問題が起こりました。まずは金貨の流出ですね。金貨とは何かというと,江戸時代で流通していた小判のことですね。この小判がどんどんと海外に流出していったのでした。なぜ,日本の小判が海外へどんどんと持ち出されていったのかというと,それは日本と海外との金銀相場の違いが原因です。

@日本        @海外

 金:銀=1:5    金:銀=1:15

この交換比率の意味はわかりますか?日本では金1枚と交換するのに銀5枚が必要なのえすが,海外では金1枚と交換するのに銀15枚必要なのですよね。そうすると,こんなことが起こってしまいます。外国人が日本で5枚の銀を金1枚に両替するわけですよね。そうすると,その金を海外に持ち帰って海外で両替すれば,なんと銀15枚にできるわけです。5枚しか持っていなかった銀ですが,日本にいって金1枚に交換して,その金を帰国して銀に交換すれば15枚になるってなれば,そりゃ海外の人たちはこぞって日本で金に交換して,その金を持ち帰って銀に再び交換するって人が続出しますよね。これはもう国内の金がいつかは枯渇してしまうわけですから,言い換えれば日本はたちまち貧乏になっていくということになります。そこで日本は,万延小判という小判に変えます。つまり,どんどん海外に持ち出されてしまうのであれば,小判そのものを小さくしてしまったら少しは対策になるだろうということで,ある日突然大きい小判1枚で1両だったものを,小さい小判1枚で1両としたのでした。「大きかった小判と小さくした小判はおんなじ価値があるんだからね」と言っても,なかなかみんなとしては「えぇ?おんなじ価値だっていわれても,小判が小さくなったんでしょ?価値も小さくなったってことじゃん!」ということになりますよね。お金というのは信用で成り立っているということを聞いたことありませんか?たとえば今の1万円札ってただの紙じゃないですか?あの紙にいくらいろいろ印刷したからといっても,みんな信用していないとただの紙切れにすぎないのでしょ?みんなの頭の中でただの紙切れだけど,でもこの紙は信用のできる日本銀行が1万円の価値があるんです!っていってることだし,じゃあぼくたちもこの紙切れに1万円の価値があると信じでいろいろ取引をしてみよう,ってなるわけです。それが,今回の話でいうと,大きな小判が小さな小判になっちゃった。価値は一緒っていうけど,みんな疑いを持ち始めるんですよね。そうすると,小判に対する信用が落ちて,小判の価値が下がってしまいます。たとえば,きれいなシャツを販売する店主の気持ちになってみてください。今までシャツ1枚につき大きい小判1枚でうっていたけど,急にシャツ1枚につき小さい小判1枚になっちゃったら,「こんな小さい小判1枚になってしまったのなら,小判5枚じゃないと売りませんよぉ」ってなるわけです。大きな小判だと1枚で買えていたものが,小さい小判になると5枚,10枚,100枚必要ってなってしまうと,つまりお金の価値が下がったってことになりますよね。はい,こういうお金の価値が下がって,ものの価値が上がってしまう状態のことを何というかというと,インフレが発生するといいます。

 

貿易統制の失敗

では,開国して起こった影響その2を紹介します。国を開いてからというもの,地方の商人が直接外国人に物を売るようになりました。たとえば,ここに日本という国があったとして,日本が外国と貿易をする前は,江戸にはたくさんの人が住んでいて,日本全国から江戸に商品が持ち込まれて,江戸の人たちが消費をするっていう話をしましたね。だから江戸の商人が全国から物を仕入れて,江戸の市場に商品をおろして,江戸の人たちにかってもらうことで利益をゲットしていました。ところが,外国と商売をし始めるようになると,外国人がたとえば箱館に,新潟に,横浜に,兵庫に,そして長崎にやってくるわけですね。いろんな港町にやってくると,地方の商人らは,いままで江戸の商人にものを卸すことで儲けることができていたけど,これからは近くの港町にモノを持っていって直接外国人に売りつければいちいち江戸にいかなくても儲けるんじゃね?と思うわけです。しかし,江戸の街中の人たちにモノを売っていた商人たちは地方からモノが入ってこなくなるわけですので,今度は江戸の商人が儲からなくなるわけです。そこで,非常に苦しみました。幕府はお膝元の江戸の商人から「苦しいです!まったく儲かりません」という嘆きの声を聞くわけです。そこで,外国人と取引される主要な5品に関しては,江戸以外で取引をするな。一旦江戸にまわしてから,余ったら地方で売ってもよしとする法令をだしたのです。これを五品江戸廻送令といいます。大学入試では,この五品について問われることがあります。

き・ざ・み・ご・ろう

生糸・雑穀・水油・呉服・ろう

そうすると,「あれ?おれは直接海外と売ったら儲けられるのに,なんで江戸にわざわざ迂回させないと行けないんだー!」

 

たとえば,生糸が欲しい外国人商人が新潟にやってきたとします。そこで,生糸を買おうとしたら「生糸500円です」と言われました。外国人商人は「ちょっと高いな。聞いた所によると長崎にいけば生糸を300円で売ってくれるらしい。よし,長崎に行ってみよう」ということで,外国人は安くゲットするために長崎へ移動すれば生糸を安く買えるわけですよね。しかし,五品江戸廻送令で生糸が一旦江戸に集まってしまうと,江戸の商人らが協力して生糸の値段を釣り上げにかかります。そうすると,生糸の値段コントロール権を握っている江戸の商人ってことになりますから,外国人商人にとっても嫌がりますよね。ですので,外国人商人や地方の商人の反対によって,あえなくこの五品江戸廻送令も失敗に終わります。幕府は貿易のコントロールをしたかったところですが,うまくいかなかったようです。

 

国内産業の変化

たとえば服を作るための原料として生糸・木綿・毛の3つがあったとしたら,今まで日本で生産されていたのは生糸と木綿でした。毛織物は,生産されていないので海外から買い取るしかないので輸入ばかりです。そのかわり,生糸は日本でしか生産されていなかったので海外でバンバン売れていきました。木綿に関しては,日本でも海外でも生産されていたのですが,外国の方が産業革命が進行していたので機械で大量に作ることができて安価でした。そうすると安価な木綿を海外から輸入するようになるので,国内では生糸がどんどん成長していって,木綿は海外から入ってくるので次第に国内では縮小していきます。こうして,生糸を生産する業界(絹織物業)がのび,木綿を生産する業界(綿織物業)がしぼんでいくことになったのでした。

 

ということで,阿部正弘のときに日米和親条約,そして井伊直弼のときに日米修好通商条約,このような条約をとおして日本は国を開いてみた。開いてみたが,外国人をどんどん打ち払おうとする攘夷運動や,貿易が始まってみたら経済が混乱したりするなど,いろいろな影響があったということですね。