日本史オンライン講義録

受験勉強はもちろん、日々の学習にも役立つ日本史のオンライン講義です。 

108 薩摩藩と長州藩による改革

幕府の政権担当者がなんだかチグハグな動きなので、だったらオレたちが!ということで薩摩藩長州藩が乗り出してきます。

江戸での動き(薩摩)

江戸では、薩摩藩島津久光による改革、文久の改革が行われます。どうういう改革かというと、例えば人事の改革ですね。こういうピンチのときには、大老であったり老中であったり大目付であったりといった260年前から続くポストではなく、こういう混乱のときには新しいポストを作って、そこには有力な藩の藩主にあたらせることが必要だと考えたのですね。

覚え方:正午にケーキ、政治の経営、今日かたまった

将軍後見職一橋慶喜

政事総裁職松平慶永

京都守護職松平容保

文久の改革のポイントとして、こんな非常事態にはやっぱり力のある人がやる、力のある藩が世の中を動かしていくべきであるという考え方から、雄藩の政治参加が挙げられます。ですので、路線としては朝廷と幕府や雄藩が手を取り合って政治を推進する公武合体政策となります。

 

人事改革以外では、参勤交代を三年一勤とし、他には軍隊の近代化をめざすための洋式歩兵の創設、そして近代化へ対応させるために外国の本などを読んで調べて研究に役立てる目的として洋書調所が設置されました。この洋書調所は、以前は蕃書調所と呼ばれていた機関です。

 

このように、薩摩藩が江戸へと入り込んで幕府に政治改革を働きかけていたというのが、江戸での動きです。

 

京都 での動き(長州)

それでは京都ではどのような状況だったのでしょうか。ここに出てくるのが長州藩です。そして長州藩に加えて尊王攘夷派の公家が朝廷をあやつるようになります。薩摩は藩主のお父さんとかがリーダーなのですが,長州藩というと毛利敬親という人で,「そうせい,そうせい」「そのようにしなさい」とよく言っていたことから,別名そうせい候ともいわれていました。 だから,身分の低い階層の人たちの要望も結構受け入れていたようで,わりと放任的なところがあって「そう思うんだったらそうしなさい」ということをいいことに,長州藩士がちょっと度を越した行動をどんどんするようになっていくのでした。ですので,伊藤博文とか高杉晋作とかは公使館を焼き討ちにするようなヤンチャな人たちが公家と結びついて朝廷をあやつっていくわけですね。では,具体的にみていくことにしましょう。

 

まず朝廷を操って,江戸にいる将軍・家茂に対して「おい,家茂殿!ちょっと京にきて顔をだしなさい」と呼びつけて,「外国人を追っ払う約束を忘れたんじゃなかろうな?その約束のもと和宮様を嫁入りさせたのだぞ。孝明天皇も異国を寄せ付けてはならないと仰せになられたことを忘れたんじゃないだろうな?」とプレッシャーをかけていくわけですね。すると家茂 も「は,はい。や,やります…。」というのですが,それに追い打ちをかけるように公家は「じゃあ,何月何日にやるんだい?いつ攘夷実行するんだ?」と日付まで約束させたのでした。そして,将軍・家茂に対して約束させるとともに,長州は独自に単独で攘夷を行います。本州と九州の間にはとても狭い関門海峡があるのですが,そこを通る船っていうのは長州としても狙いやすいわけで,アメリカやイギリスやオランダの船を砲撃したのでした。「幕府がやらないんなら,長州だけでもやっちゃうよ!」ってな感じで攘夷を行います。

 

ということで,ここで薩摩と長州というのは大概に態度がちょっと違うってことがおわかりでしょうか?薩摩はどっちかというと,幕府の中枢で改革を推進するのですが,一方で長州はというと,時の天皇が外国人嫌いだっていうこと,あるいは尊王攘夷派の公家と結びつき,朝廷を握って将軍を呼びつけさせたり,あるいは幕府の意向とはお構いなしに「幕府がやらないんなら,オレたちでやってやるぜ,仕返しなんて構うもんかと!」と単独で攘夷を実行したりして,まさにやりたい放題でした。それもそうせい公の放任的なふるまいがそうさせたのではないかと思われます。

 

八月十八日の政変

そうすると,みなさんがよく知っている薩摩と長州が手を組んで幕府を倒したよっていう話とは現時点では全く異なる姿勢ですよね。薩摩は幕府の方にいて改革を推進していた,長州はお構いなしにやりたい放題です。薩摩はせっかくみんなで協力してこの国を落ち着かせようとしているのに,長州ときたら外国の船を砲撃したりしてやりたい放題だ,そんな長州を薩摩は断固として見過ごす訳にはいかないわけです。そこで,薩摩藩は,幕府の番犬とも言われていた会津藩と手を結び,長州藩を京都から追放するという事件が起こりました。これを八月十八日の政変といいます。

 

薩長同盟

朝廷をにぎって攘夷の決行を幕府に迫る長州。しかし,その勝手なふるまいに薩摩・会津に京を追われました。京都を追われた長州は「なんとしても京都を奪い返したい!攘夷という旗のもとつながっている孝明天皇様もきっと我々のことをわかってくださるに違いない!京都さえ奪い返せばきっとまた長州の時代がやってくる。」とヤバイことを考えるわけですね。

 

池田屋事件

その計画をした場所が池田屋というのですが,長州藩の京都奪還計画が奇しくも漏洩することとなり,それを聞きつけたのがこのグループです。なく子も黙る近藤勇を始めとする新選組に襲撃されて京都奪還計画は失敗します。この会津のお殿様である松平容保(かたもり)が,京都守護職だったということは学習済ですが,この松平容保は,京の治安を守るのにもお金がかかるし,兵を調達しなければならない,だったら,関東の方で主君をもたない武士たちをかきあつめてグループが作られるのですが,これらの浪士隊のことを新選組といいます。この新選組京都守護職の下部組織として京の治安を守ったのでした。

 

禁門の変蛤御門の変

あるいは ,秘密計画が失敗したんだったら,兵隊をのぼらせて戦によって京を自分たちにものにしようとする京都奪還計画第2弾が,禁門の変蛤御門の変です。しかし,これに備えていた薩摩の軍隊にやられてしまうこととなり,この計画も失敗に終わります。なので,薩摩と長州というのは相当仲が悪いわけですね。このように,京都を奪い返せなかった長州には当然お仕置きが待っています。

 

長州の孤立

世の中を騒がせた罪は大きいです。可愛そうなほど長州は孤立をしてしまいます。幕府がいろんな藩を集めて長州を討とうじゃないか!ということで第一次長州征討が行われます。まず,幕府に敵対視されます。今までの経緯をみてもこれは当然ですね。あるいは,前回幕府がやらないんだったら長州だけでも外国人をやっつけるんだということで,下関で外国の船を砲撃する事件がありましたが,その報復を待っています。これが四国艦隊下関砲撃事件です。四国っていうのは4つの国,アメリカ・オランダ・イギリス・フランスが,長州藩が下関に作った砲台を占領したのでした。でも,長州には頼みの綱があったわけですね。なぜなら外国嫌いの天皇孝明天皇がいらっしゃいます。孝明天皇は,攘夷をやっている我々のことをきっとわかってくださるに違いないって思っていたのですが,禁門の変天皇の御所に向けて発砲したということで朝敵扱いを受けるのでした。長州は幕府にも外国にもそして天皇を始めとする朝廷にも嫌われてしまって孤立をしてしまうわけですね。長州がこうなったのはもとはといえば,薩摩のせいだ。こんなにオレたちが仲間外れにさせるのは全て薩摩のせいだ!とこの時点では薩摩と長州の関係は最悪な状態です。しかし・・・。

 

薩長同盟

薩摩と長州が手を組むことになります。えー!?って思うかも知れませんが,それは薩摩と長州が共通して苦い経験をしたことがそうさせました。薩摩藩はというと,薩英戦争といって,昔島津久光の行列の前を横切ったとしてイギリス人が処刑された生麦事件がありましたが,あの生麦事件の報復をうけたのでした。イギリスをすんでのところでなんとかお引取り願うことにはなったのですが,薩摩藩はイギリスと実際に戦をしたわけですね。薩摩の鹿児島湾に入ってきたイギリス軍艦の放った砲弾を実際に薩摩藩は浴びせられたわけです。そして,長州はというと,四国艦隊下関砲撃事件で痛い目にあっています。要するに,薩摩も長州も外国の軍隊と戦ったことが実際にあるわけで,ここに両者の共通点があるわけですね。そうすると,なんてイギリスがもっている大砲っていうのはすごいんだ!となるわけですね。たとえばこっちが1980年代のファミコンだったら,相手は2010年台のPS4みたいなものです。日本の文化および技術は圧倒的に遅れているじゃないかということを思い知らされるわけです。薩英戦争では,革新派の西郷隆盛大久保利通らが登場し,攘夷の不可能近代化の必要性を悟ったのでした。攘夷はやはり不可能だと,外国人をやっつけて追っ払うってことは根本的に不可能だと,だからまず近代化が日本には必要だということを思い知らされたのでした。長州も,昔は攘夷だ攘夷だと言ってたんだけども,革新はの高杉晋作桂小五郎の登場により,こちらもやっぱりあんな大きな国には勝てない,攘夷は不可能だということを悟ります。すると,この両藩ともに「幕府をたおし,新しい世の中をつくる」という方向性が一致したわけですね。ただ,今までの恨みが両者にはある,わだかまりがあるわけです。目的は一つなんだけど,なかなか仲良くなれない。そこで,両者の間を取り持つ英雄が登場します。その名も土佐の坂本龍馬中岡慎太郎です。彼らが,働きかけて西郷や桂を説得して,「わだかまっている場合やありゃしないですぞ?あなた達も外国の前に為す術がないことを悟っている点で同じ仲間やないですか。ここで仲間割れをしとったら,それこそ異国が日本にやってきて異国のものにされてしまいますきに」と問いかけるわけですね。それで,不可能と思われていた薩摩と長州に手を組ませることに成功するわけで,これを薩長同盟といいます。だから坂本龍馬っていうのは,ことによって幕府が倒れる大きなきかっけとなった人物なのです。土佐の坂本龍馬といいましたが,すでに土佐を脱藩してフリーランスの武士として日本を駆け回っていたから,藩の中にいる人よりも視野が広く世の中がよくみえていたんでしょうね。このままでは藩という枠組みでケンカばかりしてたら,いつか異国に食われてしまうっていうことを見据えることができたのですね。これにて,わだかまりはあったかとは思うのですが,薩摩と長州が手を組んで,倒幕へと進んでいくことになります。今回は以上です。