日本史オンライン講義録

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109 大政奉還・幕末の文化

さて,いよいよ江戸時代も今回が最終回となりました。前回は,あの坂本龍馬の働きによって薩摩と長州が手を組む薩長同盟のお話で終わりました。今回は,いよいよ江戸幕府が幕を閉じるという大政奉還について紹介をしてきたいと思います。

 

それでは,前回のお話では薩長同盟が成立しましたね。薩摩と長州が手を組んだら次にどういうことが起こるのでしょうか?それはもうお察しの通り,幕府を倒すためですね。ですので,ここから武力倒幕へ動き出します。しかし,薩摩と長州の仲介をした坂本龍馬はちょっと違った考えを持っていました。それはどんな考えかというと,「薩摩・長州VS幕府の戦争が起きると,外国にとっては日本を植民地化する最大のチャンスと捉えるに違いない。だから,戦争にはなるべくしたくない」っていうのが本音でした。というのも,薩摩・長州に肩入れしているイギリスVS幕府に肩入れしているフランスといったように,それぞれ代理戦争のような格好になってしまうと日本が海外に飲み込まれてしまうのではないかと坂本龍馬は考えていたわけなんですよね。さすが龍馬ですね!薩摩・長州よりもワンランク高いところから日本の行く末を案じていたのです。

 

大政奉還への動き

幕府の動き

今回のメインである大政奉還を実際に行うのは徳川慶喜という人です。その背景としては,薩長同盟のあとも幕府は単独行動ばかりやっていた長州に対して懲らしめるために軍を派遣するのですが(第二次長州征討),14代将軍・家茂が死んでしまったため,長州征討を一旦中断し,そして,これまでは将軍後見職であった一橋慶喜が15代将軍・徳川慶喜として征夷大将軍に就任します。

 

土佐藩の動き

そして,この大政奉還をする徳川慶喜なのですが,この動きにもう一つの藩が加わってきます。それが土佐藩です。土佐藩士である後藤象二郎と脱藩浪士である坂本龍馬が,船に乗り合わせたときに,幕府が倒れたあとの新しい日本について8つのビジョンを議論しあいました。これを船中八策というのですが,この中で大政奉還のアイデアが出てくるわけですね。このまま日本が戦争状態に突入すると外国に食われてしまうので,将軍に先に政権を返上させることによって,薩摩や長州みたいな幕府を潰そうとしている連中の振りかざした拳の落とし所をなくしてしまうことで,戦争を防ごうとし,前・土佐藩主の山内豊信(容堂)慶喜に対して大政奉還をするように勧めたのでした。

 

大政奉還の上表

徳川慶喜は,山内のすすめを聞いてこれもやむ無しと大政奉還の上表を提出します。これで江戸幕府滅亡といえば滅亡なのですが,それにしても慶喜もよく大政奉還をすんなりしましたよね,なんか不気味じゃないですか?260年も続いた政権をなぜ大政奉還をしたのか気になるところなのですが,慶喜としては「幕府の名前を失っても,最大の大名としてチカラは持ち続けたい」という本音の部分があるわけです。なんせ250万石という莫大な領地,あるいは旗本八万騎といわれる兵力を持っているわけですから。だったら薩摩・長州と戦えばいいなじゃないか?と単純な人はそう考えるのですが,なにせ薩摩にはイギリス,幕府にはフランスがついているわけで,イギリスVSフランスの代理戦争の先には日本はどちらかに乗っ取られてしまると考えたので,ここはまず,薩摩・長州の振りかざした拳をかわす必要が慶喜にはあったわけですね。だから戦わなかったら戦わなかったで,薩摩・長州よりも有力な一大名としてある程度の発言力は持てるだろうという読みがあったのでしょう。「名」は失っても「実」が伴えばいいだろうっていう考えですね。

 

これに対して薩摩・長州は,ここで手を緩めると必ず徳川は息を吹き返すに違いない。このタイミングで徳川家そのものの息の根を止めてしまいたいわけです。これが戊辰戦争という国内戦争へと発展していきます。

 

坂本龍馬の暗殺

坂本龍馬は,この直前に京都の近江屋という旅館で何者かによって暗殺をされてしまいます。おそらく新選組と同様の京都守護職の下部組織・京都見廻組の仕業ではないかといわれているのですが,真実かどうかはわかっていないようです。龍馬自身は戦争を回避したかったので,西郷隆盛のもとを訪れて説得にかかりました。しかし薩摩の西郷隆盛の「いや,息の根をここで止めておかねば」論を説き伏せることができず,そして暗殺をされてしまい龍馬の恐れていた内戦が始まることになります。

 

 

幕末の文化

最後に,江戸時代の幕が閉じられるにあたって幕末に栄えた文化についてちょっと触れておきたいと思います。幕末にペリーがやってきて世間は不安にさいなまれます。また農村の荒廃によって世直し一揆が頻発します。都市では打ちこわしが発生します。そして,この不安定な情勢の中で出てきた宗教が,教派神道です。代表的な宗派は以下の通りです。

天理教(奈良):中山みき

黒住教備前):黒住宗忠

金光教(備中):川手文治郎

これら教派神道の細かい違いは私もいまいちよくわかっていなのですが, 大学入試とかでは3対3の組み合わせとして正誤問題に出しやすいところですので,歴史の本質的な部分とは別個にぜひ抑えておきたいところです。

 

このような社会不安が,突然面白い方向へと向かったりもします。今でもインターネットとかで「祭り」状態になることってありますよね。最近では「バズる」っていうんですか?よくわからないですが,幕末にも「ええじゃないか」といって東海・畿内の民衆が突然熱狂的な乱舞をしはじめるわけですね。不安が高まったときに,なんとなく熱狂的な踊りで気をそらそうとする心理学でいう「逃避」の一種と思ってもらえればいいんじゃないかと思います。

 

そして,もちろんこの時代に外国人が来ていますので西洋人の活動がみられます。たとえば,アメリカのヘボンさんですね。ヘボン式といって,日本語をアルファベットを表記する上でのローマ字を考案した人です。しゃ(sha),しゅ(shu),びっくり( bikkuri)などの促音とか一連の規則に当てはめてローマ字を作りました。ちなみにヘボンさんの英語表記名前はHepburnです。あの有名な女優オードリー・ヘップバーンのHepburnと同じ姓ですね。

 

はい,これにて江戸時代が終わりです。お疲れ様でした。