日本史オンライン講義録

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111 新政府の発足

戊辰戦争がひと段落ついて、いよいよここから明治のスタートです。ここで誤解のないようにしてもらいたいのが,戊辰戦争が終わって新政府成立だ!っていう流れではなく,戊辰戦争を戦いながら新政府成立に向けて進めていくっていうイメージです。新しい政府を始めるにあたって、「このような政治をしますよ!このような姿勢で政治をやりますよ!このような仕組みの政治体制にしますよ!あるいは民衆目線で政治の方針をこのように示しますよ!」っていうことをまず宣言するわけです。まずは、新政府の発足にあたって行った3つの宣言をしっかり押させておきましょう。

 

3つの宣言

五箇条の誓文(1868年3月)

新政府の基本方針をしめしたものを五箇条の誓文といいます。誓いの文という文字が用いられているように、天皇が神に誓う形でこのような国づくりをしていきますよっていう形をとったのでした。まず、誓文の作成にあったった人物から押さえておきましょう。

覚え方「ユリ子は,フクを,きとったか?」

起草:由利公正

修正:福岡孝弟

加筆:木戸孝允

由利公正が草案をつくり,福岡孝弟が「列侯会議」という語が追加します。列侯というのは公家や大名のことれ,それらが会議を開き、国政の方針を決めるというものでした。最後に、木戸孝允が中心となり、大名中心でなく、天皇中心であることを示すため,「列侯会議」の文言を削り「広く会議を興し」と修正しました。つまり,広く民衆の意見を求めて、その意見を吸い上げて国を運営します。」ということですね。

 

五榜の掲示(1868年3月)

さて,五箇条の御誓文で新しい政府ができたぞ!って宣言しながら,民衆にむけた方針を発表します。新しい政府、明治政府になりましたので、これからどのような方法で民衆を統制するかというと、「君臣、父子、夫婦の儒教的道徳を尊重し、禁教とする」ものでした。つまり、「主君と家臣、親と子、といった上下関係に基づく道徳は今後も維持していきましょう、あとキリスト教は禁止ですよ」っていう内容なのですが、民衆たちにはこれらの方針がどのように響いたのかというと、「なんだ。江戸幕府のときと対して変わっていないじゃないか」っていう変化のないものとして人々にはとられていました。しかし,ここが新政府のポイントなんですよね。というのも,戊辰戦争中なわけですよね?民衆にも協力してもらわなければなりません。そこで,新しい政府はできたけど,暮らしぶりは今まで通りだから安心してくれよな!っていう姿勢で接するわけです。今まで通りやでーって言われたら民衆も不安が消えますよね。学校とかでも,新しい先生に変わったってなったら,どうなるの?宿題増えるのかな?って不安になるでしょ?でも,「今日からよろしく!宿題は今まで通りやでー」っていわれたら,安心するよね。そこを狙ったのがこの五榜の掲示なんですよね。なので,正誤問題とかでキリスト教は解禁されたって選択肢がでてきたら✕ですから気をつけてくださいね。

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 で,キリスト教禁止のままだったことが若干問題になります。これから欧米と仲良くしていこうぜっていっているのに,欧米の信仰しているキリスト教がダメってなるんですね。それと,浦上信徒弾圧事件(1868〜73年)というものが長崎で起こります。隠れキリシタンがいたんですが,新しい世の中になったからといって大々的にキリスト教徒を宣言したために,これを新政府が弾圧するといった事件です。これが列国の抗議をウケたんですよ。「私タチノ信ジルキリスト教ヲ禁ジルとは何タルコトデスカ!」ってね。ここで新政府もあわてます。というのも,不平等条約の改正交渉に乗り出そうかと思っていたので,欧米の機嫌を損ねると大変なことですよね。なので,結局1873年キリシタン禁制高札を廃止します。つまりキリスト教OKとなったんですね。

 

政体書(1868年閏4月)

政治のしくみについて取り決めた文書、政体書が作成されました。作成したのは、福岡孝弟・副島種臣が作成しました。政治の権力を太政官に集中させます。ここから太政官制という政治のしくみが復活します!いわゆる古代律令国家ですよね。これも実は坂本龍馬船中八策にあった内容なのですよ。太政大臣左大臣,右大臣っていうなんか古臭いものが復活するんですが,その下部機関についてはアメリカの憲法にならって三権分立をめざしました。まさしく新旧混合みたいな組織ですね。

 

新しい政府が発足され、発表された政治方針3つは何かと問われれば、①五箇条の誓文 ②政体書 五榜の掲示 をセットで引き出せるようにしておきましょう。いずれも1868年3月ですから,4月の江戸城総攻撃の1か月前なんですね。総攻撃をしかける前に,さまざまな大名に協力をしてもらわないといけないので,「新政府できたぞ!!」って宣言をしておいて,江戸城総攻撃となるわけです。

 

さて,新政府になって変わったことといえば江戸を東京(1868年7月)と改称します。そして、年号を命じと改めます。ここから一世一元の制(1868年9月)といって、天皇一代につき一つの年号としました。たとえば明治時代の時の天皇といえば明治天皇であり、昭和時代の時の天皇昭和天皇といいます。じゃあ、現在の天皇は何というかというと、天皇としての名称はまだありません。あえていうなら今上天皇です。もし今上天皇がお亡くなりになられるか、もしくは天皇の位を皇太子に譲位すれば、平成の時の天皇だったねっていうことで平成天皇という名称がおそらく送られることになるでしょう。ということで、天皇一人で年号がいくつもあったのですが、ここからは天皇一人につき年号一つとなります。

 

廃藩置県

では、新しい政府がまずやろうとしたことは何か?というと、せっかく江戸幕府を倒したので、次はできるだけ早くに江戸幕府の名残である幕藩体制をこの世から消してしまいたいわけですよね。つまり,藩をなくせばいいのですから、廃藩置県を実施します。ただ、今までお殿様たちは自分の領地として自分の藩をもっていたわけですから、それが突然なくなるってのはちょっと急すぎます。そこで、2段階にわけて実施していきます。

 

第一段階

まずは、版籍奉還(1869年)です。大名に対して土地と人民を明治政府に返還させることを版籍奉還といい、版というのは土地のこと、籍というのは戸籍にかかれる人民のことです。つまり、大名に土地や人民を返還させます。どういうことかというと、たとえば大名が領地を持っていてそこに暮らす人たちがいますね。明治政府にそれらをお返ししますっていうことになるのですが、そこでまずは薩摩・長州・土佐・肥前という討幕に功績を挙げた4藩から先立って「土地や人民を返そうじゃないか」っていうこと動きをみせます。そしたら、そのほかの藩の大名たちは「えぇぇ!返さないといけないのかよぉ、いくら4藩が返したところでオレたちはやっぱり嫌だよ〜」っていうに違いありませんよね。でもそこで、「待て待て待て。話を最後までよく聞きなさいな。あなた達には土地や人民は返してもらうけど、その代わりに知藩事っていう役職が与えられるから、今まで通りその藩の面倒はみてていいですよ。そして、家禄といわれるお給料がもらえます。だから今までと変わらないよね?今まで通り、藩の運営はできるわけだし、収入も今まで通り入ってくる。ただ、「土地についてはもうあなた達にものではないので、その土地から上がってくる収入についてはあなた達のものにはならないので注意してね」っていう感じで、なんかうまいこと丸め込もうとしたのが版籍奉還、これが第一段階です。振る舞い方は今までと変わらないけど、土地と人民だけは返してねっていうことです。じゃあ、今まで通りでいいんですねっていうことで大名たちは納得していきます。

 

第二段階

そこで納得したかとおもいきや、新政府はすぐさま第2の矢を放つわけですね。版籍奉還からの廃藩置県1871年)【藩とイワナイ(1871年版籍奉還】です。このタイミングで,知藩事をやめさせるわけですね。「あんたクビね!」って言って、中央の役人を府知事・県令に任命するということです。この版籍奉還によって、大名と藩は切り離されたわけですが,切り離されるということは,これまで藩の面倒をみてきた大名が変わるってことになります。版籍奉還のときは,そこに住んでいる人たちからみれば、以前のお殿様とかわりはないわけですが、しかしこの廃藩置県は、そのお殿様さえも知藩事から引きずり降ろされて,中央政府から役人が派遣されるということになります。もう一度いいます,中央政府から役人が派遣されるのです。ここ,正誤問題とかでメチャメチャよく出題されますから注意しておいてください。分かりやすくいえば、東京からきたよそ者に大名は仕事を奪われた形になってしまいます。これは大名たちからしても嫌ですよね、自分の土地の面倒を見なくてよろしい!っていわれているようなものですから、非常に抵抗が予想されるわけです。しかし、そこで泣く子も黙る幕府を倒した薩摩長州土佐肥前の4藩は、御親兵という一つの軍隊を作って廃藩置県を断行していったのでした。

 

政治組織の改革

太政官正院・右院・左院三院制にしました。現状に応じてマイナーチェンジをしていったのですね。この中の正院の下に各省庁をおくのでした。政治の要職は、薩摩・長州・土佐・肥前の4藩で独占していくことになります。幕府を倒すにあたって功績のあった4藩が重要なポジションを総取りして言ったということになりますね。まあ、今も昔も政治っていうのは派閥で動いてくものです。

 

今回は、幕府が倒れて新政府が3つの宣言をしたっていうことと、さしあたって幕藩体制を打ち消すために廃藩置県を行なったというのが手始めであることを紹介しました。今回は以上です。