日本史オンライン講義録

受験勉強はもちろん、日々の学習にも役立つ日本史のオンライン講義です。 

112 軍制改革・四民平等

今回からしばらくは、その明治の新政府が新しい国づくりをするために変えていった仕組みの紹介をたくさんすることになります。ちょっと地味なトピックではありますが、しっかりついてきてください。今回は、明治新政府が新しい軍のしくみをつくりましょうという軍制改革と身分制度のあり方を改めますよっていう2つのお話をしていきたいと思います。

 

軍制改革

まずは軍制改革です。江戸時代は旗本八万騎といって将軍家の家来が軍隊になったというようなイメージなのですが、この明治以降の軍隊はどのようになったかというと、まず明治から先の軍隊の仕組みをどうしようかと考えた人がいます。それが大村益次郎という人です。

 

大村益次郎

この人はとても不思議な人で、長州のお医者さんでして、しかも身分の高い人の病気を治すお医者さんじゃなくて、わりとそこらへんの人たちの病気を治すお医者さんでした。オランダ語がよめたので、お医者さんであるかたわら、翻訳もやっていました。このように片手間でさまざまな翻訳をいろいろとしていくと、中には軍事の本や、作戦の本、武器などの本を翻訳していくうちに、なんだか分かっちゃったんですよね。軍事のあり方とか作戦のあり方とか、兵隊の動かし方とかを。そして、やがて長州藩が幕府に責められた第二次長州征討では、長州藩側の作戦参謀に抜擢されるわけです。そして、戊辰戦争の参謀になって、大村益次郎は翻訳で勉強した軍事の知識あるいは天性の才能が功を奏して、ズバズバと作戦があたっていくわけですよね。ですので、今でいうと野球の本を読んだだけで、野球の監督をやって、それですごいチームを作るっていうようなものです。まぁ、こういう不思議な能力を持っただけではなく、写真をみてみるとオデコが広くてダルマみたいな顔なので「火吹きダルマ」なんていうニックネームもついたほど特徴のある顔をしています。

 

山県有朋

この大村益次郎という人が、軍事的才能を生かして明治以降の軍のあり方はこうあるべきだとする構想をし、この大村益次郎のもとで実行力抜群の山縣有朋という人物が登場します。この人物はのちに総理大臣になったりして、日本を動かしていく人にもなるのですが、この二人が明治維新政府の軍のあり方を作った人でもあります。この大村益次郎は、日本陸軍の生みの親でもあって東京の靖国神社にいけば大村益次郎の像がありますので是非機会があればみてください。

 

そして、前回お話しした、廃藩置県を断行するために作られた御親兵近衛兵と改称し、天皇を護衛します。また、軍を動かす省庁として兵部省を設置して鎮台(ちんだい)といわれる各地の軍隊が何箇所がおかれました。兵部省はのちに陸軍省海軍省へと別れていきます。そして、この大村益次郎が考えた一番の肝は、身分としての武士ではなくって、日本国民から徴兵をする、そういうことを考えたわけでいわゆる徴兵制の実施です。大村益次郎長州藩出身ですので、武士に限らず商工農民から広く結成された奇兵隊の趣旨を受け継いだシステムを導入したのでした。この奇兵隊、意外にもなまじっか武士よりも強い力を発揮することを目の当たりにして、武士中心の身分として置かれた軍隊よりも国民から兵隊を広く募る徴兵制を実施することを考えたのでした。でも「あなた軍隊になりたいですか?」っていわれたら「いやぁ、できればちょっと自分は・・・。」って思うかもしれませんよね。ですので、天皇の口を借りた上で徴兵の趣旨を発表しました。この天皇が出した告知宣言のことを徴兵告諭といいます。ところが、この徴兵告諭の文章の中に「身をもって国に奉仕をしなさい」っていう意味で「血税」という言葉で表現されていたのですが、本当に血を抜かれるのではないか?と勘違いした国民がいて、敏感に反応したそうです。

 

徴兵制度

今からこういう目的で徴兵を行いますよっていう文章を天皇に出してもらった後で、じゃあいよいよ徴兵令が交付されます。徴兵令は山県有朋が中心となって実行します。じゃあ、明治時代の兵隊さんはこういう風な人たちを徴兵しますよってことで、原則は国民皆兵といって国民全員が兵隊さんになるんだよっていうことで、20歳以上の男子であれば3年間は徴兵しなさいとしました。しかし、こういう人は徴兵免除でした。それは、戸主といってその家の主人は兵隊さんとして取られません。後継が死んでしまったら困りますもんね。他にも、役人や学生も兵隊にはとられません。あと、代人料270円以上を納める人は兵隊にはとられませんでした。なんだかんだいって、8割くらいの人は兵隊にならなくて済んだらしいです。この徴兵令には反発もありました。士族による反乱です。元・武士に人たちは反発をしたんですね。これは要するに、国民皆兵ということは素人でも参加するということですから、「俺たちは今まで幕府の中で戦いのプロとして存在していた武士なんだ。そのプロがなんで、刀さえ握ったことのない素人の連中が俺たちに変わって戦いの代表になるってどういうことなんだ。」ということで納得がいかずに反乱を起こす士族も多かったようです。あるいは、兵隊さんにとられる農民だって「ぼくたち耕す土地があるのに、なんで兵隊としていかなきゃならないの?おれたち死にたくないよ」ということで農村で一揆も頻発しました。さきほどの血税という文字に反応して血税一揆といわれたりします。そして、兵隊の仕組みと時を同じくして、警察の組織もリニューアルされていきます。兵隊は兵部省でしたが、警察は内務省が担当していきます。そして、のちに警視庁が設置されるよううになります。なお内務卿の初代内務卿には大久保利通が就任しています。

 

以上、ここまでが大村益次郎が構想し、山県有朋が実行した徴兵令を中心とする軍制改革です。

 

四民平等

では今回の2つめのトピックへ移っていくことにしましょう。廃藩置県にさきだって版籍奉還がおかれましたね。大名が土地や人民を朝廷に返還させるというものでした。そうすると藩を持っていた大名と、藩に住んでいた人々との主従関係も、この版籍奉還のタイミングで解消されることになるので,四民平等になりますね。そして新たに、四民平等とはいえおおまかに3つのグループにわけられました。元の身分に応じて3つの族籍に再編されます。それがまず1つ目として華族ですね。これは元の大名・公家が属しています。そして2つ目は士族です。これは元の藩士幕臣らが属します。そして、最後は平民です。このようにグループ分けをしたものの、全ての人に名字を名乗ってもよろしいとしました。今までは武士だけの特権だったのですが、それをみんな苗字を名乗ってよろしいとしました。そして、身分の間での結婚も自由としました。さらに職業も変わってよいぞとしました。このように身分制度をかえていくのですが、そうしたものの国に国民がどのくらいいるのか、そういった把握は必要ですので、新しい戸籍として壬申戸籍(1872年)というものが作られました。ここからは少し先取りして紹介しますが,全国的戸籍をつくるということは全国民を掌握する,つまり徴兵システムの構築をしたかったんですよね。それが徴兵令1873年)の制定へとつながっていきます。そして,この徴兵令は一大原則があったのです。そうです,国民皆兵です。意味わかるよね?全員ですよ,全員!つまり,廃藩置県をやったあと四民平等に徴兵するよってことです。核心に迫って説明しますと,江戸時代には戦う義務があるのは士族だけでした。豊臣秀吉刀狩令以降は戦うのは武士だけです。しかし,近代戦争というのはライフル銃を持ってマスゲームのように動かなければなりません。総動員戦争であるにもかかわらず,士族っていうのは全人口の10%にも満たないんです。そんな少ない兵隊で近代戦争を戦えますか?個人技術いわゆる剣術なんていらないんですよね。いつのは兵隊の数なわけです。残り90%の国民を戦場へ送り込むためには,四民平等にして身分制度を廃止しなければなりませんよね。ということで,四民平等を行った理由は,国民皆兵を原則とする徴兵令のためでもあったのです。

 

士族の解体 

それではもう一つ。さきほど四民平等にはなったものの、士族たちがなかなか厄介な存在へとなっていきます。なぜなら、幕府や藩が消滅したことによって、士族は失業同然なんですよね。でも失業者が世の中に溢れるっていうことは非常に不安定になりますので、そこで明治政府は、もと幕府や藩に仕えていた士族への俸禄(給料)は支払い続けたのでした。そしたら、この武士っていうのはいざというときのために主君や幕府のために命をかけて戦おうっていうのがお仕事ですよね?で、結局日頃はなにをやっているのかというと、士族は普段はとくに何も仕事してないわけですよ(笑)いざという時のために戦うのが武士なわけですから。そうすると、武士への給料を払い続けた明治新政府は、士族らに給料を延々に払い続けなければなりませんよね。この給料の額なのですが聞いて驚くなかれ、なんと国家予算の30%にも迫る額だったといわれています。この給料のことを秩禄というのですが、細かく分けると、家禄と賞典禄にわかれていて、家禄というのは士族たちへのお給料のこと、賞典禄というのは維新の功労者たちへのボーナスのことです。家禄と賞典禄をあわせて秩禄とよんでいました。このように明治新政府は、幕府に成り代わって士族に対して給料を補償したり「明治政府ができたのもみなさんのおかげです。ありがとうございました。」という褒美を武士たちに払い続けていたわけです。ただ、国家予算の30%を普段働いてもいない武士たちに毎年毎年払い続けていくと、政府もいつかは破産してしまいます。なので、これをなくしてしまいたいっていうのが明治新政府の本音です。この無くしてしまいたいってことで秩禄処分(1876年)がおこなわれます。

 

秩禄奉還の法

具体的にどのように秩禄処分をおこなったかというと、まずは一時金を渡すからっていうことで例えば5年分の給料は先払いします。しかし、それ以降の給料はなしですよっていうわけですね。初めは5年間働かなくても給料がもらえるのであればそれはそれで嬉しいのですが、実際に家族も養っていかなければならないわけですし、以降のお給料が毎年入ってこないとなるとやっぱり先行きがちょっと不安になっちゃいますよね。もうちょっとしがみついておくかってなるのが関の山です。だから、いくら希望を募っても「やめます!」って手をあげる人はなかなか出てきませんでした。

 

金禄公債証書の発行

そこで、明治新政府は少し強引な手段にでます。これが金禄公債証書といって、年収の5〜14年分の証書を発行し抽選でその金額分をわたして秩禄停止し、それ以外は利子を渡すものです。と言われてもなんだかこの説明では意味がわからないですよね?世の中の武士たち全員に金禄公債証書というものを発行します。その中から抽選に当選した人には5年分から14年分の年収の金額分を渡すから、それで金輪際もう秩禄(給料)は停止させてもらうよっていうことです。なぜ抽選かっていうと、全員に5〜14年分の給料を先払いしてしまったらそれこそ国の財政が破綻してしまいますよね。だから抽選に当選した人だけっていう風に限定したのでした。じゃあ、残りの人たちはどんな対応をされたのかというと、それは「ちょっと国に「貸し」ということにしておいてください。そのかわり詫び賃といってはなんなのですが国がわずかながらではありますが利子としてお渡しますので抽選で当たるまでは待っておいてください」というものですね。

 

このように金禄公債証書といって、武士全員に5〜14年分のいわゆる借金証書を発行します。一時金を渡すから、秩禄をストップさせてもらうよ。ただし、これを全員に同じタイミングで実施することはできないから、まだ当選していない人は国に「貸し」ということにしておいてください。利子はわたしますからっていって年月を経て秩禄を全廃していこうとしたのでした。

 

廃刀令

士族の解体の象徴的な政策として、武士のシンボルである刀を取り上げる廃刀令を出しました。武士にとって経済的なダメージをうけたのが秩禄奉還の法や金禄公債証書であれば、精神的なダメージをうけたのがこの廃刀令といっても良いでしょう。明治維新っていうのはやっぱり武士たちにとっても厳しいものがあったかもしれません。

 

士族の商法

じゃあ、これからどうしようかということに武士たちはなりますよね。武士たちの中でも、5〜14年分の給料をまとまって受け取った武士たちを中心に、まとまったお金を元手に商売をはじめようとする士族たちも現れました。しかし、いままで威張りん坊だった武士が「これ買ってください、お願いします」ってヘコヘコしなければならない商人にはなかなかなれるわけでもなく、このことを士族の商法と揶揄されてバカにされもしました。

 

士族授産

政府としても給料のない武士たちを悶々とそのままにしておくと社会不安のもとになりますので、士族には北海道にいくように差し向けて、北の防衛と北海道開拓を兼ねた屯田兵として士族に仕事を与えようとしていくのでした。

 

今回は全体として、幕府や藩の後ろ盾をなくしてしまった武士たちにとっては、なかなか生き辛い政策だったといえるでしょう。今回は以上です。