日本史オンライン講義録

受験勉強はもちろん、日々の学習にも役立つ日本史のオンライン講義です。 

115 文明開化

政治の近代化,経済の近代化,軍政の近代化,そして産業の近代化をやってきましたが,今回はその最後ですね。文化面での近代,すなわち文明開化について見ていきたいとおもいます。

 

思想の近代化

文明開化という言葉自体はよく聞いたことがあるんじゃないかなと思います。まずは開国したことによって,西洋の思想が流入してくるわけですね。そんな中でも,人は生まれながらにして天賦人権思想と言って,人は生まれながらに権利を持っていると言う思想ですね。この天賦人権思想っていうのが流れ込んでくると,いままで幕府や藩の支配を受けていて身分の低かった人達は権利があったことすら気づかなかったのですが,この天賦人権思想が入ってくると「オレたちに権利があったんだな」ってことで低い身分の人達にもやる気が出てくるわけです。こういうのを明治政府は魅了していたところがあって,天賦人権思想が広がりを見せるわけです。たとえば,福沢諭吉は,西洋の様子を描いた「西洋事情」,周囲のさまざまな外国の様子を描いた「文明論之概略」,そしてあまりにも有名なのが「学問のすゝめ」ですね。天は「人の上に人を作らず,人の下に人をつくらず」と言うけど,オレはちょっと違う考えをもっていて,学問をやることで人の上に建てるんだぜ!だから学問をしましょう!って諭吉は説いたのでした。また中村正直も「西国立志編」において,スマイルズ著の自助論を紹介しています。天は自ら助くる者を助く,あなたが助かろうと思わないと,自分が行動を起こそうと思わないと助からないよってことですね。あと,「自由之理」では,ミル著の「自由論」を紹介しています。明六社の社長で森有礼は,「明六雑誌」を発行しました。明六社とはこの当時最新の思想を研究する集団だったのですが,森有礼以外にも西周福沢諭吉らがいました。この他にも,中江兆民は「民約訳解」においてルソーの社会契約説を紹介しました。これらが西洋の思想を日本に持ってきて国内で紹介した人たちです。

 

 

教育制度の整備

まずは教育の中心となる文部省が設置されました。今は文部科学省ですね。今までは寺子屋だったり藩校などでしたが,富国強兵をめざして統一的な国民意識を育てるためにフランス制度にならった学制が公布されました。とくに重視されたのが実学主義による小学校教育の実現がめざされたのでした。そして,蕃書調所や洋書調所の流れを引く形で,専門教育機関として幕府の開成所医学所を統合してできたのが東京大学です。そして,女子教育の充実のために,女子師範学校(今のお茶の水大学)が設立されました。これらは国立大学にあたるのですが,では私立大学ではどういった大学があげられるのでしょうか。まずは,慶應義塾福沢諭吉)ですね。そして,東京専門学校大隈重信)いまの早稲田大学ですね。さらに京都の方では,同志社新島襄)ですね。

1903年には小学校教科書国定制度なども作られました。

 

宗教の変化

神様と仏様っていうのは奈良時代から神仏習合といって,神は仏が姿を変えたもの,仏は神が姿を変えたものっていうように,ゴッチャゴチャな感じでしたが,ここで神仏習合を禁止して神道の国教化を図りました。神仏分離令が出されて,各地のお寺さんなどを潰していく廃仏毀釈が行われます。そして大教宣布の詔が出され,神道の国教化を図り天皇に神としての性格を与え,天皇は日本の中心であり,政治のリーダーでもあり神でもあるということを規定しました。祭政一致の国づくりを進めく宣言をしたのでした。

では江戸幕府が禁じていたキリスト教はどうなっていったのかというと,やはり海外とこれからはお付き合いしていく上でキリスト教禁教はまずいですよね。ですので,キリスト教は黙認することになります。

 

生活の変化

まずは太陽暦を採用します。今までは,月の満ち欠けを強引に太陽暦に当てはめていた太陰暦という暦でした。簡単に言えば,13ヶ月ある年もあれば,12ヶ月でおさまる年もありました。月の満ち欠けで日をカウントすれば,当然それが起こりうることですよね。そこを太陽の公転周期を1年とする太陽暦を採用したのでした。

服装も洋服を着用するようになりました。散切り頭を叩いてみれば文明開化の音がするってことで,ちょんまげをバサッと切って洋服を着用する生活へと移っていったのでした。牛鍋やガス灯なども日本に入ってきました。