日本史オンライン講義録

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123 第二議会/松方正義内閣・伊藤博文②内閣

前回は,大日本帝国憲法が制定されて,いろんな法律ができましたね。その憲法に基づく議会が開かれ,だけれども最初の議会というのは,政府と議員の意見がなかなかうまくまとまらず対立をします。もちろん議会というのは,オレたちも一言物申したい,オレたちの意見を聞いてほしい!という人たちが集まって形成されるところなので,意見が対立するというのは当たり前といえば当たり前です。で,政府は「軍事費をもっとアップして日本を強い国にして,朝鮮半島に進出しようじゃないか」というグループつまり政府と,一方で「いやいやいや,人々はもう疲れ果ててる。地租も高いし。だから税を低くして人を休ませる必要があるんじゃないか」という人たちとの間で対立をしていくったのです。

 

松方正義①内閣

それでは,まず松方正義①内閣からみていきましょう。

第2議会

松方正義のもと第2議会が開かれます。第1議会は,山県有朋内閣のときでした。山県有朋は,軍備を増強し,朝鮮半島まで日本のエリアに入れるようにしたいと言ったのに対し,議会は「いやいやいや,人々を休ませ,税負担を軽くするのが先なのではないか?」といった対立がおきましたね。

 

樺山資紀の蛮勇演説

松方内閣もそれと同じように軍備拡張をめざすのですが,議会はというと政府予算案を否決します。そして,議会は政府を攻撃して,「軍事費ばかり上げるな!税を安くしろ!」というように攻撃をしていくのですが,その攻撃の中で「政府は薩摩と長州ばっかりで藩閥政府をやっている。薩摩と長州ばっかり威張りやがって!」っていうような意見が議会の中から出てきたので,この第2議会では,樺山資紀という海軍大臣が登場してきて,蛮勇演説を行ったのでした。この海軍大臣樺山資紀も薩摩の人間ですので,「薩摩と長州ばかり威張りやがって」って主張してくる人々に対して「いまの日本があるのも薩摩と長州が幕府を倒してくれたおかげでしょ?今こうして議会ができてお前たちの意見を聞いてやるのも,薩摩と長州のおかげだろ?藩閥政府で何が悪い!」と放言したのです。「また,お前たちは軍備拡張を批判し,ここらでちょっと休みたいとか何とか言っているが,そんなもんお前たちは意気地なしか!軍備を拡張して日本を強い国にして,どんどん世界に打って出るべきではないのか?!」とバーンというわけですね。

 

衆議院の解散

このように政府の意見と議会の意見が真っ二つに割れて前になかなか進みません。そこで,衆議院を解散させて選挙をやり直そうとしたわけですね。ただ,選挙をやり直したところでどうせ民党が勝利に決まっていますので,なんと松方正義は,内務大臣の品川弥二郎に選挙干渉をさせるのですね。内務省というのは警察権を握っていますので,民党の奴らが演説会を開こうとすると,警察が「演説中止!」と言って妨害をしたのでした。このように警察が演説もさせないし,選挙活動をやったらやいのやいのと警察が出てきて睨みつけて威嚇して脅して演説もさせないような盛んな選挙干渉あるいは買収工作なんかが各地で行われたのでした。そして,この選挙干渉をした結果,どうなったのかというと,この選挙干渉の甲斐なく,結局は民党が勝利をしたのでした。

 

その結果,開かれた第3議会も議会は政府予算案は否決されてしまいます。松方正義①内閣は,選挙干渉までやったあげく,結局は負けて政府の予算案が否決されてしまうわけですから,もはや打つ手はないなって感じですよね,結局,松方正義①内閣は総辞職をしてしまいます。松方正義内閣は選挙干渉までやったのに選挙で負けてしまい,予算を否決され,かなりの手詰まり感があったので,次の総理大臣は誰かというと,ここは大物の伊藤博文が登場します。

 

伊藤博文②内閣(元勲内閣)

明治維新の功労者なども集めて,これだったら誰も文句はいわんだろっていうメンバーを集めます。元勲総出の内閣ということから元勲内閣といいます。

第4議会

しかし,元勲内閣をもってしても議会は,船を建造する建艦費予算案を否決するわけです。そこで,伊藤博文内閣は奥の手を出してくるわけです。それは何かと言うと,明治天皇お願いします!ってことで天皇詔勅建艦詔書)で民党を妥協させます。自由党もこのまま政府の批判ばっかりを続けていても自分たちが批判勢力で有り続ける限り,いつまで経っても権力を握る側にはまわれないわけですよね。もうそろそろ政府と協力をしながら自分たちも偉くなっていきたいわけですので,この頃から政府に接近していきます。日清戦争に向かい政府と民党の対立は一時解消します。それもそのはず,このあと世の中は日清戦争に向かうわけなのですが,そうなるとオールジャパンになっていくので,政府と民党の対立は一時解消していきます。

 

以上,これが伊藤博文②内閣での議会と政府の対立構造なのですが,その他にこの内閣手がけたこととして日英通商航海条約領事裁判権の撤廃にも成功しています(詳しいことは後で説明)。このように日清戦争に向かっていくのですが,軍備の拡張を進めていきます。

 

いよいよ伊藤内閣のときに日清戦争が起こります。日清戦争に先立って,この軍備拡張のところでちょっと話はさかのぼってしまうのですが,西南戦争後,参謀本部の新設軍人勅諭の発布されています。以上のようなしくみと整えたのちに,軍備拡張も行われ,いよいよ伊藤博文内閣のときに日清戦争がおこります。