日本史オンライン講義録

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131 紡績業と製糸業

それではいよいよ産業革命についてお話していくわけですが,産業革命とは機械技術の本格的導入によりいわゆる機械生産で大量生産 をすることでしたね。当然ながらイギリスをはじめ欧米はすでに産業革命に成功していますから,日本もそれらの国と方を並べるべく,経済面でこの機械生産に成功することが大切な条件でもあったんですね。ただこの間から,勉強してきたように,憲法を作ったり,議会を作ったりなど,全てにおいて近代化をはかるべく欧米並みに形を整えていったのでした。さあ,その上でも産業革命なんですが,だいたい第一次産業革命が起こったのは日清戦争前後でだいたいが軽工業部門ですね。それから第二次産業革命はというと日露戦争前後でだいたい重工業部門となるわけです。

 

紡績業

今回はにその産業革命の特徴を抑えて起きたいと思います。ポイントとしては欧米に肩を並べるためほどの産業は何であったかということをちょっと紹介しますね。それが紡績業なんですね。紡績業ってそもそも何ぞやっていう話をしないといけないですね。紡績業ってのは何を作るんですか?はい,紡績業っていうのは綿花から綿糸をつくる産業のことです。綿織物の原料となる糸のことですね。ところで,綿花というのはワタなのですが,我が国も江戸時代はたくさんこれを作っていました。日朝貿易で朝鮮からワタがたくさん入ってきて主要な産業でしたが,幕末の不平等条約によって関税自主権の欠如となってしまい,安い綿製品が入ってきてしまったので日本の綿産業はいったん潰えたのでした。やはりこの紡績業は,イギリスが大得意で産業革命の指標となる産業でもありまして,日本も綿織物を作るくらいなら糸の一本くらい自分で作れないといけない。しかし,原料がなかったんですね。だから,はじめ中国から綿花をのちにインドから綿花を買い,綿糸をつくり,最終的にあまったものは中国へ売りつけていました。そして,産業革命というくらいですから機械化しなければなりません。紡績業の会社はたいがい大都市にありました。なんせでかい機械を投入しなければなりませんでしたので,しかも蒸気力を利用したそんな機械なのですが,最初はミュール紡績機という機械を使っていました。途中から最新鋭のリング紡績機というのを使うようになりました。というように,紡績業界では大都市の工場で蒸気力をつかった良質の機械を輸入してかっこよく経営していたのが特徴です。実はすごいお金がかかっています。なぜなら原料・機械・技術はすべて輸入なので赤字産業なんです。

 

さて,もう一つの産業見ておきましょう。製糸業です。綿糸が紡績業なのであれば,生糸を作る産業は製糸業です。生糸の原料は繭(まゆ)ですね。繭から糸をつむぐので生糸,生き物から糸をつくるので生糸っていいます。養蚕業っていうは桑の葉っぱを蚕に食べさせて,繭になりますね。この繭から糸をとりだして生糸ができます。そして生糸をつかって絹織物を作り出します。当たり前のことかもしれませんが,ここをしっかり整理しておいてくださいね。正誤問題とかのヒントになったりしますので頑張ってください。というわけで,これが製糸業なのですが,実は生糸が大好きな国があって,それがアメリカなんです。別に着物とかきる国ではないのですが,アメリカのセレブなおばちゃん達の靴下やストッキングの原料になっていくんです。紡績業界が大都市だったのに対して,製糸業は農村が中心です。というのも,原料となる養蚕が絡んでいるので北関東の農村がメインなんです。しかも,生糸ってデリケートなので,機械をつかうとブチブチ切れてしまうんですよ。そこで,農村の女工さんが手作業で紡ぐのですが,座ったまま紡ぐのが座繰製糸というのに対して,若干機械を導入した製糸を器械製糸っていいます。大事なことがあって,紡績業と見比べてみると,製糸業はほとんど輸入せず国産で賄っているんです。つまり,お金がかからないんです。作ったら作っただけ売って利益になるので,外貨獲得ナンバーワン産業なんです。幕末以来,ナンバーワン輸出産業が綿織物なんですね。しかも,それを支えていたのが出稼ぎ女工さんを始めとする農村なんですね。女工さんの歌の中には「糸を紡ぐのは国のため」といったほどです。

 

 

ではここからは用語を覚えていきましょう。臥雲辰致ガラ紡という紡績機をつくります。水力を動力源とするのですが,これが1877年の第一回内国勧業博覧会で入選しました。やはり,本格的な機械化という点では,渋沢栄一大阪紡績会社です。渋沢栄一は実業界の父ともいわれていまして,1872年には国立銀行条例を制定,1873年には第一国立銀行の頭取にもなっています。で,大阪紡績会社は1873年に操業開始します。松方デフレ真っ只中で動き出すのですが,蒸気力をいかして,イギリス製のミュール紡績機,そしてアメリカ製のリング紡績機が導入されます。そうやって二交代制昼夜業で電灯を用いて眠らずに営業していたのですね。大成功しましたので,これを機に紡績会社設立ブームとなります。なんと1890年には綿糸生産高が輸入高を上回ります。1890年はしっかり覚えておいてくださいね。さらにどんどん生産が増えると,アジア向けの輸出品として綿糸の輸出高が輸入高を上回ります。それが1897年なのです。金本位制が導入された年ですね。まさに欧米と肩を並べた金融システムがはじまった年に,産業革命の肝でもあった紡績業界が機械化に成功したってことになりますね。なんと言っても輸出先として日清戦争による中国市場の確保,朝鮮市場の確保が大きかったのではないでしょうか。まさに帝国主義ですね。

綿糸の生産高が,輸入高を上回ったのが1890年

綿糸の輸出高が,輸入高を上回ったのが1897年

それからもう一点。綿織物業つまり綿糸つくって何をつくるかっていうと綿織物業ですね。だいたい紡績工場が綿織物工場も兼任するのですが,豊田佐吉が国産力織機を開発して,農村の小工場に普及していきます。そして,綿布輸出高が輸入高を上回るのが1909年です。さて何を隠そう,自動織物機を応用してつくったのが,自動車,つまりいまのトヨタ自動車へと発展していくのです。

 

製糸業

では製糸業みていきましょう。大きな外観は説明しましたので,外貨獲得ナンバーワンの製糸業について最終チェックをしておきましょう。とくに養蚕がさかんな北関東の長野・群馬・山梨で発展しました。官営模範工場の富岡製糸場1872年に群馬で操業され,もともと江戸時代では農村で座繰製糸が一般的でしたが,それが器械製糸へと転換していきます。やがて器械製糸の生産量が座繰製糸の生産量を1894年に上回ります

生糸の器械製糸の生産量が,座繰製糸を上回ったのが1894年

まぁ紡績業に比べると製糸業は規模は小さいですが,これも一つ産業革命の起点となりました。1894年は奇しくも日清戦争の年でした。やがて生糸は輸出国第一位に輝きます。当時やはり生糸ナンバーワンは中国だったのですが,その中国を抜きます。そして,輸出先は主にアメリカでした。アメリカのおばちゃんの靴下なんかに使われていったのでした。併せて,日本国内の農村での桑(蚕の餌)の栽培もさかんになっていたのでした。