日本史オンライン講義録

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132 重工業の形成と財閥の成長

前回は軽工業について主に見ていきましたが,今回は重工業について見ていきたいと思います。最近,明治日本の産業化遺産群にも登録されたアレやらコレやらを紹介していくことにもなります。重工業っていうのは,例えば鉱業とか製鉄業とか機械業あたりの産業のことをいいます。それでは重工業の発展についていくつか見ていきたいとおもいます。

 

官営事業の払い下げ

今まで国が持っていた官営事業がどんどん民間の会社に払い下げられます。例えば,三井であれば三池炭鉱ですね。福岡県南部の大牟田熊本県の北部あたりの炭鉱でして,世界遺産に最近登録されたものがたくさんあります。あるいは富岡製糸場ですね。

 

次に三菱ですが,三菱の代表的な炭鉱は高島炭鉱ですね。この高島炭鉱の近くに端島端島炭鉱があるのですが,これがいわゆる軍艦島のことでして,三菱に払い下げられました。私はかつて軍艦島の近くまで見に行ったことがあるのですが,タバコを一本吸い終わる頃には島を一周できるほどの小さい島でして,そんな狭い島に東京の9倍ちかくの人口密度で当時の人達は炭鉱に夢をみてせっせと労働をされていたとのことです。すでに端島炭鉱は閉山していて誰も住んでいない無人島なのですが,当時の鉄筋コンクリートの集合住宅跡地が廃墟となって独特な雰囲気を醸し出していました。そして,これから三菱の得意分野になる長崎造船所ですね。今の長崎造船所のルーツに当たる場所です。

 

そして,古河ですが,ここには院内銀山が国から払い下げられました。もう一つ,民間から購入したのちに鉱毒事件で有名になる栃木県の足尾銅山も購入しています。ではここで,ついでに足尾銅山鉱毒事件について少し触れておきましょう。足尾銅山鉱毒事件は1891年,財閥の古河市兵衛が経営する栃木県の足尾銅山から銅を産出するときに,鉱業廃棄物が出るのですが,鉱毒が地域の農村を汚染して多数の死者が出てしまいました。そして,これを見かねた国会議員の田中正造が,議会で操業停止を迫ります。しかし,銅というのは中国向けの輸出品として外貨獲得産業として結構重要だったのです。しかも,国内の40%のシェアを占めていたのが足尾銅山だったのです。ですので,田中の訴えはねられてしまいます。すると,田中はなんと天皇陛下に直訴するという暴挙にでるんですね。直訴状では「陛下に直訴します。足尾銅山から流れる鉱毒が近隣の渡良瀬川に流されて住民が難儀しています。なんとか停止させてください。」と訴えるのです。しかし,残念ながら操業は停止されませんでしたが,谷中村を潰して遊水地として溜め池をつくって鉱毒を溜め込んで流れないようにしたのです。

 

筑豊炭田の開発

もう一つのトピックといえば,筑豊炭田ですね。今の福岡県北九州地方の代表的な炭田でして,国内最大の産炭地でもありました。

 

官営事業

新しい官営事業として,八幡製鉄所です。製鉄に必要となってくる鉄鉱石は,中国の大治鉄山から,石炭は筑豊炭田の石炭を使いました。のちに日本が大陸を支配するようになると中国の撫順炭田の石炭を使うようになっていきます。この八幡製鐵所は,どこの国の技術を用いたかというと,ドイツの技術が用いられました。

 

民営事業

鉄っていうのはやはり大規模な工場で,石炭と鉄鉱石を溶かして混ぜる大規模な設備が必要です。そういった大規模な工場を作ったのが八幡製鉄所なのですが,民間では日本製鋼所が最初といわれており,北海道の室蘭に設置されました。池貝鉄工所も民間の製鉄会社でして,旋盤の国産化に成功しました。旋盤っていうのは機械をつくる機械ですね。その機会がまたたくさんの製品を生み出しますので,また生産力がアップします。

 

財閥

このように,産業化が盛んになると今度は,その産業をつかって設ける人達が現れるのですが,これらを財閥と呼びます。とくに成長した財閥のことを四大財閥といいます。彼らは国の事業を安く譲り受けて,炭鉱であるだとか鉄山であるだとか工場であるだとかを譲り受けて,富岡製糸場や長崎造船所などを操業していくのですが,たとえば三井・三菱・安田・住友が四大財閥です。他にも古河・浅野・川崎なども挙げられます。こうした財閥は,金融・運輸・鉱山業を中心とする多角的経営に乗り出します。今の殆どの会社っていうのは,銀行から借金をして,その借金を元手にして儲けを得て,あとで借金を返済するっていうのが王道スタイルです。そうしたら,ある一つの財閥が銀行を設立し,貿易会社・運輸会社・鉱山会社・自動車製造会社などを傘下にいれて借金をさせ,儲けが出たら銀行に返済させるということを同じグループでやってしまうと非常に効率がいいんですよね。そして,この会社たちの株(経営権)を握るために,株をもつための会社を持株会社といいます。コンツェルンというある会社の下にたくさんの会社を置く形態をこの持株会社でつくているということです。持株会社のスタイルを持つ代表的な会社が,三井合名会社・三菱合資会社などです。

 

なお,明治期に工業生産額が農業生産額を上回ったという文章がでてきますが,これは明治期ではなく第一次世界大戦をきっかけに起こった大戦景気においてですので要注意!

 

今回は重工業の発展から財閥が形成されたというお話をしました。財閥が形成されると,残りのグループ会社の経営権を握って産業まるごと支配していく構造ができました。