137 第一次世界大戦の戦後処理
大正時代に入ってすぐ第一次世界大戦がありましたね。今回は第一次世界大戦の戦後処理についてお話をしようと思います。
基本的な知識として,ちょっと知っておいてほしいのが,1919年に第一次世界対戦が終わって,1939年から始まる第二次世界対戦の間の20年間にうち最初の10年間は世界は平和に向かいます。平和条約が盛んに結ばれ,軍備を縮小し,国際連盟も作られるわけですのでこの10年間は世界が平和に向かう10年間でした。しかし,1929年を境に世界は戦争に向かう10年にになります。世界がバラバラになり,お互いのことを考えられなくなり,世界の国々に思いやりがなくなっていくわけですね なんで世界の国々に思いやりがなくなっていくかというと,金の切れ目が縁の切れ目って言葉がありますよね。真ん中にあたる1929年には世界恐慌が起こりました。だから1919年にあれだけ酷い戦争を終えて,もう二度と悲劇を繰り返さないようにしようということで世界は10年間平和に向かったのですが,世界恐慌を境にその先10年は世界は急速に戦争に向かっていくようになります。
世界の動き
ヴェルサイユ条約
まず第一次世界大戦の戦後処理の一つ目として挙げられるのが,戦後処理のための会議パリ講和会議で結ばれた最も主要な条約で,ヴェルサイユ条約ですね。ドイツ目線でみればこの条約によって,ドイツは植民地を全部失うわけで,植民地の創出と軍備の制限が行われます。そして,敗戦国ドイツには厳しい賠償金がかけられます。天文学的数字と言われるような賠償金でして,この賠償金を完済したのはなんと2010年10月 4日なんですよ。ということは,「うまく行く行く(1919)ヴェルサイユ」で決まった賠償金を91年も払い続けたということになりますね。それでやっと払い切るぐらいの賠償金です。 しかもこの賠償金っていうのは結局ドイツが払うことがなかなか難しいので,連合国は「よしわかった」ってことで段階を踏んで1/10ぐらい減らしてもらって,その払い終わりが2010年ですから,厳しい賠償金が科せられたといえるでしょう,
国際連盟
そして,もう一つはパリ講和会議からアメリカのウィルソン大統領から「国際平和のための機関をつくるべきだ」という提言がされ,国際連盟が成立します。ただし,この国際連盟という組織なんですが,戦争を止めきれたのはたかだか20年ということですね。一方で,第二次世界大戦後の国際連合はというと,小さい紛争はあったとはいえ70年近くに渡り世界大戦は防止していることから考えると,国際連盟はちょっと力不足のところがあります。なぜならアメリカが「平和組織を作ろう!」って言っておきながら,そのアメリカが参加をしなかったんですよ。そして,社会主義国のソ連と敗戦国のドイツは最初は国際連盟に加入を認められませんでした。こんなビッグネームの国々が不参加だったので,国際平和機関としては非力でした。非力なだけでなく,なぜ国際連盟が第2次世界大戦を食い止められなかったかというと,全会一致主義っていうのをとっていたわけですね。何か決め事を決めるときは全員それに同意したら,決めたことにしましょうとしました。なので良からぬことをしている国があったとしたら,「この国をやっつけていいですか?」と議案を出したところで,40数カ国の意見が一致しないといけなかったのです。さらに,私たちは国際平和機関なんだから軍隊は持ちませんよってスタイルなので,「あなたの国は警告,イエローカードですよ!」ぐらいにしか言えないわけですね。ですので,ドイツのヒトラーの暴走っていうのを国際連盟は実際止め切れなかったということになります。現在の国際連合は,決め事は5カ国が拒否権を持っていて常任理事国がOKを出したら基本的に何でも決まるというような姿勢を取っています。
アジアの動き
では,世界の動きに対してアジアはどんな動きをしていたのでしょうか。
日本
まず,さきほどのパリ講和会議に対しては,日本も戦勝国側としてヴェルサイユ条約に調印しています。日本全権は総理大臣も経験したあの西園寺公望です。ヴェルサイユ条約はドイツに関する条約ですので,ドイツ関係のことを日本はどのようにベルサイユ条約の中に盛り込んだのかってのがポイントになってきます。
中国に持っていたドイツ権益(山東半島・青島など)の継承
ドイツが中国や太平洋に持っていたものを日本が引き受けるってことですね。委任統治権っていうのは,日本に統治を国際的に任せるっていう意味です。このドイツに持っていた権益を継承っていうのは何かというと,中国の袁世凱政府に対して突きつけた二十一か条の要求はそのまま承認されるってことになります。
もう一つ国際連盟に関していえば,日本は常任理事国の仲間入りをするということですね 。こうしてみるとやはり第一次世界大戦に関しては日本は勝ち組だということが言えます。
中国・朝鮮
さあそれでは,この講和会議や国際連盟の成立に対して,中国や朝鮮の反応なんですけれども,このヴェルサイユ条約には薄い期待をかけてたんですね。それはこの二十一か条の要求なんかが「それはちょっと日本欲張りすぎじゃないの?」って思っていて,国際社会が日本の進出をちょっとセーブしてくれるかもしれないと淡い期待があったんですが,しかし国際会議においてすれば,このヴェルサイユ条約あるいはパリ講和会議で,中国における日本の利権あるいは二十一か条の要求がそのまま承認されてしまう格好になってしまったので,中国としてはヴェルサイユ条約に対する期待が裏切られて,日本の進出を抑えてくれない国際社会を見限って,「それであれば我々の手で運動を起こそうじゃないか!!」ってことで運動を起こします。これが五・四運動です。二十一か条要求の取り消しを求めるデモ,そして朝鮮においても独立を求める大規模なデモ(三・一独立運動)に発展をすることになります。
世界平和にむけた動き
なにはともあれ,ヴェルサイユ条約が結ばれパリ講和会議が終える世界はしばらくの間平和に向かう10年間を過ごしていくのですが,この動きの主要なものとしてまず手始めにワシントンで世界平和と軍縮のための会議(ワシントン会議)が開かれました。日本の全権は加藤友三郎ですねなのですが,この会議の中でいろいろ話し合われた結果,まず四カ国条約が結ばれます。この四カ国とは英・米・仏・日なのですが,確認されたのは太平洋の現状維持を決定するということでした。つまり,紛争のタネにしないためにも今の太平洋のままでいきましょうということですね。このタイミングで日英同盟も破棄されます。
次に九カ国条約が結ばれます。中国に利権を持つ9カ国はが話し合って中国の主権尊重,つまり中国というものを完全に植民地化してしまわないようにしよう,あるいは門戸開放ですね。門戸開放というのは領土的な奪い合いではなく,経済的な競争を中国においてやりましょう,中国と重要な取引によって競争しましょうというような取り決めが決められました。この流れの中で日本はアメリカとの結んでいた石井・ランシング協定破棄が決まりました。「アメリカも中国の競争に加わってもいいですよね?」というのに対して,日本も「いいですよ。逆に日本も中国にいろんな権利を持つことはいいですよね?」ってお互いに中国の進出を認め合った協定が破棄されることになります。
もう一つ,結ばれた条約が海軍軍縮条約です。一応に制限削減が加えられたんじゃなくて,主力艦の保有比率を,米:英:日:仏:伊=5:5:3:1.67.1.67に制限されました。日本からみればアメリカの6割くらいになるように調整をしていかなくてはならないということですね。とくに日本の中ではいやいや3.5は欲しいっていう反発も出たんですが,それは国際社会で力関係がやはりありますので日本はアメリカの6割くらいに削減しなさいということになるわけです。
こうしてみると世界平和を掲げつつ,日本を牽制しているってことが分かりますね。次なる火種になるのは中国だね,そして世界大戦では日本はほとんどダメージをうけてないよね,だからこれからは世界平和の建前のもと日本をしっかりコントロールしていきましょうって流れになっていくのです。