日本史オンライン講義録

受験勉強はもちろん、日々の学習にも役立つ日本史のオンライン講義です。 

139 第二次護憲運動と普通選挙法

大正時代もいいよラスト近くなってきました 。今回は,第二次護憲運動普通選挙法というお話をしたいと思います。まず,普通選挙運動とはどういうことでしょうか?今までは15円以上,10円以上,3円以上の税納めないと選挙にはいけなかったのですが,この選挙権をもう全員によこせ!これが普通選挙運動というものですね。もちろん普通選挙に向けた動きというのはこれまでもあったのですが,普通選挙導入を検討した加藤友三郎山本権兵衛っていうのは海軍出身でして根は軍人なのですが,海軍っていうのがどちらかというと国民の意見をよく聞いてやろうとか,海軍の軍備自体がイギリスやドイツやフランスなどヨーロッパからの技術をどんどんを導入している過程で,外国の選挙権拡大といった動きを知っていたので,海軍の出身の総理大臣のもと普通選挙の導入を検討していたんですよ。でも加藤さんは就任してすぐに死んでしまうし,山本権兵衛さんの時関東大震災が起きてしまって,うやむやになってしまっていたわけですね。そんな時に 山本権兵衛の後に総理大臣に就任したのが清浦奎吾という人物です。

 

清浦奎吾内閣

この清浦奎吾内閣の性格はというと,ベースとしているのが貴族院なんですよ。そし,て官僚の上にたってる超然内閣です。つまり,国民や政党の意見は聞きませんよっていう内閣なわけですね。この政党の背景には,国民の選挙があるわけですので,「国民の意見は聞ききません」 という内閣が成立したわけですね。これに対して,また国民が立ち上がるわけですね。大正始まってすぐの桂太郎内閣のときも国民は声を上げた,次に寺内正毅内閣の時も「やめろ!やめろ!」って声を上げた,そして今回の清浦奎吾内閣のときもやはり国民は行動を起こすということになります。これが第二次護憲運動と言われる運動です。そこで,政党側は超然内閣を潰さないとということで3つの政党が協力して護憲三派を結成します。

護憲三派

この3つの政党を護憲三派といいます。こうして3つの政党で組んでしまうと,選挙に圧勝してこの勢いに対してはさすがの清浦奎吾内閣も総辞職せざるを得なくなりますよね。またまた国民の声によって,その国民の行動による選挙によって内閣を潰すことができたわけですね。またまた, 国民が総理を引きずり下ろしたことになりますね。

 

加藤高明内閣

加藤高明内閣は,憲政会出身でして,この3つの政党による連立政権これを護憲三派内閣といいますが,もっとも重要なものは普通選挙法ですね。今までは税金を3円以上納める必要があったんですが,この普通選挙によって 25歳以上のすべての男子に選挙権が与えられました。今まで300万人程度だった有権者でしたが,この普通選挙法によって1200万人にまでその有権者が広がったわけですね。で,このように大きく権限を国民に渡したんですが,「だからといってこういうことはダメだよ!」っていうことを同時に言います。これは普通選挙法とセットで中学校でも勉強することになると思いますが,治安維持法の制定ですね。いくら選挙をやる人数が増えたとはいえ,数の論理で天皇制の仕組みにケチをつけるというような国のあり方を根本的に変えてしまおう(国体の変革)や,私有財産を否定する者(社会主義者)を弾圧します。ただ,この治安維持法を拡大解釈して,例えばある演説会で「政府は,」とかいう言葉をや,「法律は,みんな平等に与えられるものだよね」って言ったらもうその時点で踏みこんで弾圧を加えていったのでした。

 

そして,もう一つ外交に良い関して言えば,日ソ基本条約です。ソ連と国交を樹立します。今までシベリア出兵などでソ連つぶしを日本はやってきたので国と国との付き合いがなかったんですが,この加藤高明内閣の時に日ソ基本条約が結ばれて国交が樹立することになります。

 

このように,普通選挙法とその引き換えに政府批判をやる人達を容赦なく弾圧する治安維持法制定しました。権利は与えるけども,ちゃんと目を光らせで弾圧もするよっていうのがこの内容です。

 

憲政の常道

そうすると大正時代の中で出来た政党内閣っていうものは,こんなパターンも産みました。ここからは憲政の常道といわれる時代に突入します。前提として,ここから先はもう超然内閣は潰される,政党や国民の声を無視する人たちは潰されてしまう,いつでも国民がデモをやり,直接行動に乗り出し,国会を何重にも取り巻き「でてけ!やめろ!」って言ってたら潰されてしまうのがもう見えているわけですね。そして,普通選挙法も成立したわけです。なので,超然内閣が組織されたとしてもすぐに潰されちゃうので,もうここからは政党内閣が基本線になるわけですね。国民の選挙で一番票を獲得した人らで政党内閣を組織すると,そうすれば国民が文句言おうにも「だって俺たちを選んだのはお前達だろ?」って国民に対抗できますからね。まあそういう内閣をつくっていくのが憲政の常道の時代です。その中でも二大政党としては,立憲政友会憲政党(のちの立憲民政党)が交代して政権を担当した8年間を憲政の常道と言います。

立憲政友会:積極政策,中国進出

 

立憲民政党:緊縮財政と協調外交

立憲政友会とはどういう性格か?というと,結局はお金を使って軍備を整え中国に進出しようとする「攻め」の立憲政友会対して,立憲民政党はお金を節約して外交とは平和にいこうとする「守り」の立憲民政党です。民政党の協調外交のこと幣原喜重郎による幣原外交と言われます。

 

これで大正時代が終了です。