141 社会運動の勃興
大正時代もいよいよ最後です。そもそも大正時代は,なんと言っても大正デモクラシーの時代ですよね。国民の声が政治により反映されるようになった時代でした。そして,もう一つは第一次大戦が起きた時代でもありましたね。第一次大戦では,イギリスやフランスやドイツが戦ったわけですね。しかも,それが長く続いだ総力戦でした。男性はもちろんのこと,女性までも後方で大砲の弾に火薬を詰めるなどしていました。女性や労働者もこの戦争に協力して勝ったのだから「俺たちにも権利をよこせ!俺たちの暮らしをもっと良くしろ!」というような運動へと変わっていくわけですね。このような社会運動が世界中で広まっていくと,日本でも当然社会運動が起こります。そんな社会運動の高まりを今回は団体ごとにあげていきたいとと思います。
労働運動
まずは労働運動をみていきましょう。(鈴木文治が組織した)友愛会です。この友愛会が,大日本労働総同盟友愛会に名前を変えます。これが,労働者の権利拡大を訴える第1回メーデーにを主催します。そして,これがさらに日本労働総同盟に名前を変えていきます。どんな違いがあるかというと,友愛会は労使協調路線をとって「労働者を使う雇い主も労働者も一緒になって待遇の改善を考えていきましょう!」というような感じだったんですが,次第にこれが攻撃的に変貌してしまい,この日本労働総同盟は階級闘争路線をとって「やっぱり労働者を搾取している資本家を打ち倒せ!」といった感じになっていくわけです。
農民運動
次に農民運動です。農民運動は,小作料(土地を借りて耕すレンタル料)の引き下げを求めて小作争議が頻発していくことになります。こうした小作人の声を受けて結成されたのが,(杉山元治郎・賀川豊彦が組織した)日本農民組合です。
こうして,今現在苦しい状況に置かれている労働者や農民の中で運動が高まっていったんですが,学者や先生たちがこの動きをさらに教えて全国的な啓蒙運動となり,これがまた知識人に広がって行きます。そんな役割を担った人達を紹介したいと思います。まず,吉野作造が組織した黎明会っですね。この吉野さんに影響を受けた東大の学生さん達が,東大新人会を結成します。このように今まで社会的にも低い階層の人たちと,知識人層の人達が結びついて全国的な啓蒙運動が活発になっていったのでした。
社会主義運動
このように黎明会や東大新人会に影響を受けた層に,社会主義運動家も多くいます。この社会主義運動は,さきの幸徳秋水が処罰されてからは「冬の時代」を迎えていたのではあるのですが,その冬の時代からまたこの大正時代に少しずつ活動を再開していきます。まずは,日本社会主義同盟ですね。東京帝国大学の森戸辰男助教授が休職処分になります。森戸助教授は何を研究して処分されたかという,クロポトキンという人の研究をしていました。このクロポトキンとは無政府主義者を考えた人なのですが,社会主義 っていうのは平等ですよね?例えば,みんなが働いて,みんな給料が一緒で,みんなでお金や仕事を分け合えば,みんな平等になるじゃん!っていう考え方ですね。実現の一つの方法として,政府の力による平等があげられます。例えば,強い政府がいて,財力のある国民から財力を奪って,財力のない国民に分け与えることで平等にしよう,これには強い正義の力がいるんだ!っていう考え方ですね。それと,もう一つは「いやいや,政府なんてそもそも不要なんだ!政府のそういう権力こそなくせば平等に近づくんだ!」といった考えがあって,そんな無政府主義を主張していたクロポトキンさんの研究をやったっていうことで森戸助教授は「お前は政府主義者なのか!」っていうことで咎められて処罰を受けたのでした。
そしてもうひとつは,ロシア革命の流れを受けて日本共産党が結成されます。ソ連という国は,世界中にコミンテルンの支部をつくってソ連のような社会主義のような国を世界中に作ろうって考えていたわけですね?そのコミンテルンの日本支部として日本共産党が出来ました。現在の日本共産党の前身となるわけですね。
女性解放運動
今度は女性が自分たちの権利を求めていきます。まずは平塚らいてうが青踏社を結成します。何しろ参政権すら女性にはなかったので,青踏社などが声を上げることでまずは女性解放運動をしていったのでした。そして,その次の段階が,平塚らいてうや市川房枝の新婦人協会です。この新婦人協会の目的は女性参政権の要求であったのですが,治安警察法第5条(女性の政治活動の禁止)の撤廃もめざし成功を収めます。そして,婦人参政権獲得期成同盟会に発展していきます。これらの団体は,基本的に参政権を求める運動をしていくのですが,もっと突っ込んで社会主義をめざし,山川菊栄・伊藤野枝らによる女性の社会主義団体赤瀾会も登場します。
部落解放運動
これまでに作られてきたさまざま被差別部落を解放する運動として,西光万吉らによる全国水平社が結成されました。
今回は,このように社会運動のさまざまな団体を勉強しました。これは大正デモクラシーの雰囲気と,第一次世界運動の世界的な社会運動の雰囲気の流れをうけて,日本で大正時代には社会運動が高まっていったのでした。