日本史オンライン講義録

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149 日中戦争

先に総理大臣を紹介しておきます。広田弘毅内閣です。前回,岡田圭右内閣の時に二・二六事件っていうのが起きましたね。この事件は,もはや国は陸軍の意見なくしては動けないっていうことが明るみに出た事件でしたね。なので広田弘毅は陸軍の意見をすんなり受け入れていくっていう時代の内閣です。

 

広田弘毅内閣

二・二六事件を起こしたのも青年将校たちだったが,それを鎮圧したのも陸軍だでした。陸軍は首都そのものを制圧できるくらいの実力があるということを皆わかってしまったわけなのですね。なのでもう陸軍の動きは無視できないので軍の要求を受け入れていきます。軍の要求を受け入れるということで具体的にはどういうものかというと,軍部大臣現役武官制の復活です。あの西園寺公望内閣が倒れた原因となったのが軍部大臣現役武官制でしたね。陸軍大臣海軍大臣は,現役の軍から出さなければなりませんでしたので,「陸軍や海軍からはもう次の人は出しません!」ってなればすぐに内閣を倒すことが出来たので一時は廃止になったのですが,これが復活となると,軍がある程度内角をコントロールできるようになります。

 

こうして軍に押し切られる形で国策基準というものが決定されていきます。まず,日本の基本線として「大陸に進出する」っていうのは,すでに満州国も成立していたことですし,みんな共通理解としてあったわけですね。それに加えて,「南方(東南アジア)にも徐々に進出する」っていう新しい方針が出されました。例えば,南方(東南アジア)っていうのは,「イギリス領マレーシアや,フランス領ベトナムアメリカ領フィリピンあたりを狙っていきましょう」というふうに軍に押されて方針が決まっていくのです。つまり,イギリス・フランス・アメリカあたりを敵に回すっていう可能性のはらんだ方針を決定してしまったのですね。で,廣田弘毅内閣は,日独防共協定を結びます。日本やドイツは国が民衆をコントロールして強い国にして,海外に打って出ようという方針でしたね。しかし,ソ連はなどのように民衆が革命を起こして平等を達成しようという国がいるわけなので,そんな革命が広がらないように,ウチの国でも起きないようにとドイツと手を組んで,ソ連を一緒に警戒していきましょうという協定を結んだのでした。

 

そして,軍備拡大に対しての反対賛成が議論に巻き起こります。予算の問題などもあるので一概に軍備拡大路線に突っ走ることもできない,ただ軍備拡大路線の人もいる。その間をとって広田弘毅内閣は揺れに揺れて総辞職をしてしまうのです。ということで広田弘毅内閣は,軍の要求を少しずつ受け入れてしまった内閣ってことになりますね。

 

宇垣一成内閣)

はい!さて,その次の総理大臣はというと宇垣一成っていう人物です。この人は陸軍出身なのですが,その中でもどちらかというと穏健派で,戦争を避けよう,協調的な外交を取ろうといった意見を持っていた人なので陸軍内部から反対論がたくさん出てきてしまいます。そして,陸軍が陸軍大臣を推薦せず,内閣不成立となってしまったのでした。

 

林銑十郎内閣

さてその次ですけれども,やっぱりこの後は陸軍の言うことを聞く人ばかりが選ばれていきます。もう軍の意向は無視できないわけですので…。そこで選ばれたのが林銑十郎内閣です。もうこの内閣は陸軍のロボット内閣,操り人形という風に揶揄される内閣です。この内閣は,軍と財閥の調整をしようとした短命内閣でして,林銑十郎はロボットと言われて陸軍の意向のもとに動いていくんですけれども,この人自体があんまり政治家に向いていない優柔不断でまとめきれない能力資質に欠けている人物でして,「もう政治のプロに任せた方がいいんじゃないの?」って林銑十郎自身が言うくらいでした。本当に短命に終わります。ちなみ,林銑十郎のあだ名がですね,何も成し遂げていないので「何も銑十郎」とかいわれたりしています。

 

近衛文麿内閣

さて,林銑十郎が言っていた「政治のことはプロの政治家に任せるべきだ!」って言っていました,次の総理大臣は誰かというと,それが貴族院議員から貴族院の議長になっていった,そしてあの天皇家やあの藤原家からの名家で近衛家の人物で,気品がありお金持ちで,人柄もよく非常に人気のあった近衛文麿です。近衛文麿は全部で3回総理大臣になっているので,今回は第一次近衛文麿内閣をみていきましょう。

 

これまで日本は中国東北部満州国を作っていきましたが,この近衛文麿内閣のもと,いよいよ日本軍は中国内部へと進出していきます。そんな中国内部に入り込んで支配しようとした日中戦争が開戦します。まずは,開戦のきっかけとなったのが,盧溝橋事件です。中国の北京郊外に盧溝橋という美しい橋があるのですが,そのほとりで一発の銃声が聞こえたわけですね。これを日本は「中国の仕業だ!」と言い掛かりを付けて軍事行動を起こしたのでした。そこで思い出すのがあの満州事変柳条湖事件ですね。どっちも水関連の文字が多いのでミスを誘発しやすいので気をつけましょう。

 

日本がやってくるにあたって,中国国内では対立していた国民党共産党という非常に仲が悪かった2つの政党が協力して抗日民族統一戦線が成立しています。このように日本が満州国を足掛かりに,盧溝橋事件で中国に一気になだれこんだ日本軍は,なんと中華民国の首都であった南京までも瞬く間に征服するということになります。日本からすれば,敵の首都を占領したわけですので,日本もかなり調子が良かったわけですね。そしてこの南京で,日本軍が多数の非戦闘員を殺害,虐殺をした事件のことを南京事件といったり南京虐殺事件と言ったりします。被害の規模,その殺された人の規模っていうのはいろいろ説はありますが,やっぱり多数の非戦闘員が殺害されたという事実は否めないんじゃないかなというふうには思います。

 

そうすると中華民国は,首都を重慶に移して抵抗を続けます。近衛文麿自身も最初の方はこの軍事行動をあんまり拡大をしないようにしていたのですが,だんだん日本軍が進出していくうちに,これは今がチャンスだ!ということで戦線拡大する方針をとっていくことになりました。そこで近衛文麿内閣は中華民国政府に対して「我々は首都を獲ったのだから,そろそろ負けを認めたらどうだ?」「賠償金を払え!」っていうわけです 。それに対して中国は拒否します。むしろ「これから日本と戦っていくぞ!」っていう姿勢を見せるわけです。日本が「負けを認めろ!」って言ってもおいそれとね簡単に負けを認めるわけにはいきませんよね。そこで日本側は,「国民政府(中華民国政府)を対手(相手)とせず」といった第一次近衛声明をだします。日本の要求は中国に対して「負けを認めなさい!賠償金を払え!」と言ってるのに中国は「嫌だ!」って拒否するわけですね。そうすると「おっ?そうなの?じゃあもう降参するまでやるよ。あんたたちを潰すまでやるよ。泣き言をいうチャンスは与えないよ!」っていうことを言ってしまうわけですね。このように中国がこの先何と言っても日本は攻撃を止めないし,あんたらを叩き潰すまでやるからねっていうわけですが,これは日本は自ら和平の道を断ったっていうことと同じなのですね。

 

そして,第二次近衛声明をだします。この戦争はどういう目的でやってるかというと,「東亜新秩序を作ること」でした。東亜新秩序というのは,世界恐慌のあと経済的に混乱しているということで, 日本そして満州そして中国でブロックをつくって,協力してお互いの発展のために尽くしましょう!」という意義があることを国民に知らしめたのでした。そして国家総動員法ですね。要するに政府が政党や議会の承認なしに物資や労働力を動員できるって出来るというような法律が制定されます。そして,既に日独防共協定にイタリアを加えて,VS社会主義陣営ということで結束を固めていくということになります(日独伊三国防共協定)。

 

まとめ

このように近衛文麿内閣では,日中戦争が拡大し,まあ中国がこの先何を言っても攻撃を止めないよ!っていう脅しをかけ,そして東亜新秩序国家総動員法ということで,近衛文麿の時代に戦線を拡大する戦争を拡大していくっていうような時代でした,もともと近衛文麿自身は戦争推進派とは目されていなかったんですが,それぞれの政策を見ると,やはりこの近衛文麿内閣の時代に大きく戦争に向かって言ったっていうことは事実ですし,政府が陸軍の操り人形になり,そして近衛文麿内閣の時に大きく戦争に足を踏み入れたっていう時代のお話をしました。以上,今回はここまでです