150 第二次世界大戦
この後,日本は太平洋戦争に突入していきます。一方,世界に目を向けると,このタイミングであのヒトラーが軍事行動をどんどん起こしていき,ヨーロッパ戦線が始まります。つまり,日本は太平洋戦争でイギリスやアメリカと戦っていきますし,ドイツはヒトラーが戦争を広げていき同じくイギリスやアメリカと戦っていきます。ということで,ドイツと日本が同盟国になって共に第二次世界大戦へ突入していきます。
前回,第一次近衛文麿内閣のお話をしましたので今回はその次の内閣のお話をしたいと思います。まず「岡も広いし林も近い,沼もあったよ,こことこいする」の平沼騏一郎内閣,阿部信行,そして米内光政内閣という短命の内閣が続いていきます。近衛文麿内閣のときに「あんたを叩き潰すまでこちらはやりますよ」ってことで,自ら平和への道を断ち切って日中戦争が長期化しました。その要因として1つは,アメリカ イギリスが密かに軍事物資や食料などをどんどん送って「これで日本と戦いなさい!」と後方支援をしていました。このことを援蒋ルートと言います。中国は援助を受けながら日本と戦っているわけですので,まあ長期化するのも当然であるということが言えると思います。この日中戦争がずーっと戦われていく裏側で日本はどのような状態であったのかを見ていきます。
平沼騏一郎内閣
「岡も広いし林も近い,沼もあったよ,こことこいする」の平沼騏一郎内閣のときに,ソ連との軍事衝突事件が起きました。中国の東北部に満州国,北側にはソ連があるわけですよね。そうすると,ソ連の主張する国境と満州国との国境が微妙にかぶるところがありまして,そこで軍事衝突が起きてしまいます。ソ連の持つ戦車と日本の持つ戦車が当たる戦車戦でして,これをノモンハン事件といいます。前回,日本はドイツと日独防共協定という軍事同盟を結びましたよね。そこにイタリアを加えて三国防共協定を組んだわけですが,その仮想敵国がソ連だったわけですね。ソ連を仮想的に協力関係にあったドイツが突如ソ連と不可侵条約を結び,手を組み始めたわけです。しかもこのノモンハン事件が怒っている時にだ。平沼騏一郎も「日本がソ連と戦っているときに急に手のひらを返すドイツのことが,ちょっともうわからない…。」ってなりますよね。平沼騏一郎は,「欧州の天地は複雑怪奇なり」と言って総辞職してしまいます。そんな平沼騏一郎内閣で押さえておくことがもう1つあります。それは,国民徴用令といって国民を軍需工場などに動員できる法令でした。それにしても謎なのは,なぜ同盟を結んでいたドイツが急にソ連と手を組み出したのか?ってことですよね。
阿部信行内閣
実は,非常に強かった時代をもつポーランドという国があるのですが,場所がドイツとソ連の間にあって,ポーランド歴史上何回か姿を消しているんですが,やっぱりこの時もヒトラーとソ連のスターリンが「まず手始めに,もし戦争始まったらポーランドを半分に分けあってから戦争に突入しましょうね」っていう,まぁお決まりのパターンがありました。「手始めにポーランド分割をしましょう」といった独ソ不可侵条約もが結ばれていたことを「岡も広いし林も近い,沼もあったよ,こことこいする」の阿部信行内閣も把握できていなかったようでして,こうしてドイツとソ連がポーランド侵攻し,ポーランドは地図から消滅したことによって第二次世界大戦が始まっていくということになります。
阿部信行内閣はこの第二次世界対戦で不介入の方針を見せています。陸軍は,ドイツやイタリアと日独防共協定,三国防共協定っていう同盟関係をもっと深めて軍事同盟を結びなさいっていう方針を持っていました。そうすると,日本はドイツに軍隊で協力していくということになりますので,第二次世界大戦に介入していくってことになりますよね。ここで,阿部信行内閣は不介入,軍は介入といったように,方針がすれ違っていくことになりますので,阿部信行内閣は総辞職してしまうということになります。
あと阿部信行内閣のとしては,他にも価格等統制令を制定しました。というのも,これから物価が高くなることが予想されます。それはなぜか?当然,戦費をまかなうためにお金をたくさん印刷するからですね。お金を世の中にバラまけば,お金の価値は下がる一方で,モノの価値っていうのは上がっていきますからインフレ傾向になります。なので「これから戦争のためにお金をたくさん印刷はするが,これはあくまでも戦争のために使うわけだからね,物価が上がらないようにしなさいよ」っ いうことで価格のコントロールを図っていったのでした。これが阿部信行内閣の戦時体制づくりということになります。
米内光政内閣
次は「岡も広いし林も近い,沼もあったよ,こことこいする」の米内光政内閣ですね。米内光政は陸軍の出身でありながら,第二次世界大戦にはなんと不介入の方針を見せます。ドイツ・イタリアと軍事同盟を組むっていうことをあえて踏み込まないようにしようと考えたのです。そして,中国に汪兆銘政権を作らせるわけですね。日中戦争の時に武漢というところで抵抗を続ける蒋介石政権ではなく,はやばやと陥落した南京の方に汪兆銘政府というのを作らせるわけですね。つまり日本は,溥儀のもと満州国を,汪兆銘のもと中国を作らせたってことになります。このように日本は汪兆銘政府を操ることで「中国の本当の政府はこちらだよ!」ってことで,第二の満州国を中国に作ったのでした。さて,この米内光政さんも阿部信行さんと同じように戦争に不介入の方針を見せたわけですね。まぁ石油であるとか鉄資源であるだとかをアメリカに依存しながら飛行機作ったりしていましたので,現実派の阿部さんも米内さんも「ここでアメリカと戦争したら,あまりよろしくないのではないか?」考えるわけです。しかし,陸軍はドイツと軍事同盟を結んで第二次世界大戦に介入していこうとする方針を見せていますので,このあと陸軍はあの伝家の宝刀を出すわけです。もうお分かりですよね?そう!陸軍大臣を辞任して,「陸軍からはもう次の陸軍大臣は出しませんよ!」作戦で,米内光政内閣を総辞職に追い込んだのでした。
第二次近衛文麿内閣
さあその後,「岡も広いし林も近い,沼もあったよ,こことこいする」の第2次・第3次近衛文麿内閣です。まずは近衛文麿内閣の時の第二次大戦での様子を見ていきます。第二次大戦当初,ドイツは瞬く間に進撃していく電撃戦と言われる作戦によって,陸軍そして空軍を同時に繰り出すことによって短期に勝利を決めるという作戦をとったのでした。そのことによってフランスとオランダが消滅してしまいます。フランスはわずか1ヶ月で,オランダはその上をドイツが瞬く間に通過してしまいオランダが消滅してしまいます。そうすると,どうなるのでしょうか?はい,フランス領であったベトナムや,オランダ領であったインドネシアの持ち主がいなくなります。日本はまだまだ日中戦争が長期化する中で,「ベトナムやインドネシアの持ち主がいなくなった!これはチャンスだー!!」ということで第二次近衛文麿内閣は,北部フランス領インドシナつまりベトナムの北部に進駐します。
また,新体制運動をとります。これはナチスをモデルにしたもので,国に協力する政党を1つにまとめて1党による支配体制をとるために,政党を解散し大政翼賛会を発足させます。これによって議会政治は死んでしまったと言われたりもしました。
そして,第二次近衛文麿内閣では,前の阿部内閣と米内内閣は軍事同盟を組まなかったから陸軍の支持を失った反省をふまえて日独伊三国軍事同盟を結成します。それもそのはず,日本とドイツの間にソ連があるわけでして,もしかしたら独ソ不可侵条約のソ連とも同盟を組んで四カ国同盟にだってできるのではないか?と考えたり,これから東南アジアに攻める時に,あるいは中国に攻める時に,後ろからソ連に攻められるとひとたまりもないので,それを避けるためにも日本もソ連と協力関係は結んでおきたいと考えて,このあと日ソ中立条約というのを結びます。ただしドイツとソ連はこの後,不可侵条約を破りケンカをしてしまうので4カ国同盟ってことにはならないんですが,日本は背後を固めるためにソ連と中立条約を結んだということを押さえておいてください。
他にも第二次近衛文麿内閣では,戦時体制づくりの一環として,罪を犯してなくても,国家に不満を唱える反乱分子は予防的に逮捕することができる治安維持法を改正したりもします。
さて,日本はベトナム南部に兵を進めていくわけ。中国に対して満州国をつくって,あるいは汪兆銘政府を作っていきました。その後を北フランス領インドシナ,南部フランス領にどんどん軍を進めていくんですが,本当の思惑としては日中戦争が始まった時に中国を早めにやっつけおいて中国を降伏させておいて,それから東南アジアへと進出をしたいと思っていたにちがいありません。しかしその中国がなかなか降伏しないわけですねよね。中国からは根強い抵抗を受けている状況でありながら,ベトナムがポッカリと空くっていうチャンスが生まれたので,日中戦争をやりながらベトナムに軍を進めていくわけですね。そうすると東南アジアの先には何が待ち受けているかと言うと,イギリス領のマレーシア,そしてアメリカ領のフィリピン,そしてオランダ領のインドネシアのように,どんどん深みにはまっていくと日本はイギリス・アメリカ・オランダを刺激し,いよいよ戦争に突入していくのでした。日本の思惑としては,中国さえ降伏してくれれば,あとは順番に東南アジアを南下していくだけでよかったのに,まだ日中戦争をクリアしてないのに東南アジアに兵を進めていので,日本としては兵力を分散していかざるをえなくなりますよね。兵力を分散していかざるを得ないところにイギリスやアメリカを刺激してしまったもんだから,南部フランス領インドシナ進駐のあと,アメリカから石油輸出全面禁止されてしまいます。
さて,日本は難しい舵取りを迫られますよね。日本はアメリカから今まで通り輸入しつつもアメリカとの戦いを回避してアメリカから石油を得ていきながら,中国ステージをクリアして,インドシナステージをクリアしていかなければなりませんので,ここでアメリカ直接対決を引き延ばそうとするために日米交渉が開始されます。
このように基本的にアメリカとの戦争を極力回避しながらいくつかのステージをクリアしていって,然るのちにアメリカと戦っていく目論見でした。しかし,やはり日米交渉がうまくいかない場合は,「もうアメリカ・イギリス・オランダと戦争していこうじゃないか!」ということで,近衛文麿内閣はアメリカとの戦争避けながら1面ずつステージクリアをしていきたいところだったのですが,アメリカとしたら「そんなに虫のいい 交渉なんて受け入れられる訳がないじゃないか!」ってことになりますよね。アメリカは「日本が悪さをするんだったら今すぐでも戦争するぞ!」っていう姿勢で臨み,このを日米交渉を拒否され,責任をとって第二次近衛文麿内閣は総辞職します。
東条英機内閣
そして,このあと登場するのが東条英機内閣となります。当時の東条英機さんとしては「いつかはアメリカやイギリスと戦わなければいけなくなるときは絶対来るわけで ,日本はもともと資源に乏しいのがネックなんだから,石油の備蓄も10年も20年も持つわけない。であれば早々とアメリカと戦っていくしか日本の道はないじゃないか」って考えるわけですね。早期開戦を主張していったのが東条英機を中心とする陸軍だったわけですね。日米交渉の不調によってアメリカとの対決が避けられなくなり,日米開戦を早期から主張していた東条英機が首相となって,いよいよ太平洋戦争に突入していくということになります 今回はここまでです。