151 太平洋戦争
いよいよ太平洋戦争ということになります。これまでお話してきた第1次・第2次近衛文麿内閣は,外交によってできるだけアメリカとの直接対決を避けつつ,中国や東南アジアに勢力圏を作ってしまいたいと考えていたわけですね。それに対して東条英機は連合国の勢力範囲である東アジアに日本がどんどん進出をしていくと,いつかアメリカあるいはイギリス・オランダあたりの連合国とは衝突するだろう,特にアメリカと対決避けられないのだったら,早期にアメリカと対戦をしてそれに勝っていくことで活路を見いだそうじゃないか!という風に考えていたわけです。この考え方に押し切られる形で近衛文麿内閣は退陣し,東条英機内閣が成立するとともに日本は太平洋戦争突入することになります。今回この太平洋戦争中の東条英機内閣,あるいは小磯内閣,鈴木内閣のお話をしたいと思います。
東条英機内閣
元から対戦派の東条英機が総理大臣になったっていうことで,アメリカも「これはもう戦争は避けられないだろう!その前に最後通告をしておこう!」ということでアメリカ国務長官ハルが「この要求を飲みなさい。日本は東南アジア,中国から手を引きなさい。これが最後通告ですよ!」ということでハル・ノートを提示します。中国から手を引けっていうのは一体いつの時点まで戻ってこういっているのかというと,もうあの満州事変の前の政府状態に戻しなさいっていう風にハルさんは言うわけです。元からこれは日本としても飲めるわけありませんので,ここは拒否していっきに開戦へとむかっていくことになります。そして,太平洋戦争がはじまるということになるわけで,海軍は,ハワイの真珠湾を奇襲攻撃するわけですね。そして,陸軍も時を同じくしてイギリス領のマレー半島に進出していくことになります。やがて東条英機内閣は大東亜会議を開催します。やはり戦争には大義名分が必要で,この戦争にはどこに大義名分があるかというと,それは「大東亜共栄圏の構築にある」ということで欧米植民地になっていたアジア諸国を日本が解放していきます。そして,国内では太平洋戦争の初戦勝利で国民が沸き返る1942年に翼賛選挙が行われます。戦争への挙国一致体制をつくっていくわけですね。推薦した議員さんを当選させましょう!ってことで翼賛政治体制協議会がキャンペーンを張るのですが,国民たちも日本が勝ってどんどん進出していった背景もあることなので,ここは一つ投票して日本を応援していこうということで挙国一致体制が固められていくってことになるわけです。しかし,形式的には憲法や議会は戦争中も停止されることはなかった。
さて,戦争が始まった当初は各地で占領地域を広げて調子が良かったわけですが,ある戦いを境に敗戦に向かうことになります。いわゆる戦局の転換が,ミッドウェー海戦です。太平洋にミッドウェーという島があるのですが,そこを取りに行った日本の機動艦隊が暗号を破られて先回りされてミッドウェー海戦によって空母4隻が壊滅したのでした。ここから戦況は悪化していきます。このタイミングで,三国同盟の一角であったイタリアが早々と無条件降伏してしまいます。そして,日本においてもサイパン島が陥落します。そうすると,絶対国防圏が崩壊します。どういうことかというと,アメリカの爆撃機がサイパンから日本に出向いて,途中で給油せずに直接サイパンの基地に帰ってくることができるわけです。そんな拠点を失った日本は,次々と本土への空襲が激化していきます。そうなってくると,東条英機内閣は敗戦が濃厚になってきて退陣へと追い込まれてしまいます。
小磯国昭内閣
次の内閣は,陸軍出身で「こことこいする」の小磯国昭内閣ですね。連合国はヤルタ会談を開催し,アメリカ・イギリス・ソ連と会談を行います。会談の内容は,戦後の国際社会をどのようにやっていこうかってことで,その勢力圏であるだとか,国際秩序の作り方っていうのをこのヤルタ会談で話し合ったったんですが,ソ連の対日参戦の決定もあるわけです。ソ連もソ連でヨーロッパ情勢に対応するために,日本と中立条約を結んでいるわけですが,日本の負け色が濃くなると,ソ連も背後から日本を襲うってことを秘密裏にヤルタ会談で約束をしていたのです。ただ日本に話を戻すと,小磯国昭はなかなか総理大臣としての資質は低く,就任したときに「え?日本ってこんなに負けが濃くなっていたの?」なんて感じで戦況を把握する力にはそれほど長けてなかったようです。いよいよ日本の一部であった硫黄島や沖縄にも上陸を開始します。そして,悲惨な戦闘であった沖縄戦へと進んでいきます。小磯内閣が考えていたことは,敗色が濃くなっている中でもアメリカにどこかでギャフンと言わせて一矢報いてからから降伏するなら降伏しようと考えていたことが,戦争の傷口を広げてしまったのではないかと思います。やがてアメリカ軍の沖縄占領によって,小磯国昭内閣は退陣してしまいます。
鈴木貫太郎内閣
三国同盟のもう一つの国であったドイツもヒトラーが自殺してしまったことでドイツ無条件降伏をします。そうすると,鈴木内閣としてはあとは降伏のタイミングをいつにするか見計らうだけとなってしまい,ポツダム会談ではアメリカ・イギリス・ソ連のとの話し合いの中で,ポツダム宣言にて日本の無条件降伏を要求されます。ただ,タイミングを見計らっていた鈴木内閣も最初は返答しなかったのですが,これがいけなかった…。そうです,ついに世界初の核兵器・原子爆弾が8月6日に広島に投下され,そして8月9日には長崎にも投下されてしまいます。そして,広島と長崎の間には,ヤルタ会談の秘密条項によって日本の背後からソ連が対日参戦します。そして,8月15日にラジオから国民に発表されたのがポツダム宣言受諾についてでした。いわゆる終戦宣言ですね。降伏文書への署名は9月2日でして,この日に日本の無条件降伏が世界に受け入れられたのでした。