日本史オンライン講義録

受験勉強はもちろん、日々の学習にも役立つ日本史のオンライン講義です。 

152 戦時統制と国民生活

さて,日中戦争の長期化が,いわゆる戦前の軍国主義的なトーンになっていくという戦時体制が強化されていくきっかけになったんです。日本は「軍事大国・経済弱国」というあだ名がついていたんです。確かに日本の軍部は強いんですが,経済的には資源のない国ですので経済的にはまだまだ弱い部分があったんですね。経済力が強ければいくらでもその日常品を作り,なおかつ軍事にお金をかけるという余裕があるわけですが,それがないものですから,日本の経済をすべて軍事の方へ傾けなければならないわけですね。すると当然ながら日常品とか普通の生活にお金を欠ける余裕がないんですよ。日常品が不足してくると当然不満が出てきますよね。だから,その不満を押し込むために国家はより一層思想を統制して押さえつけることをしました。みんな自由が言えなくなり言論が統制され,満州事変のとき以上にファシズムの進展がすすみ,さらに経済の統制も加わっていくということなんですね。やはり日露戦争の時は,非常に緊迫した一進一退の状況でした。だからこそ有利な条件でポーツマス条約を締結し,賠償金が得られないとしてもまずは好条件を得ていくという駆け引きもあり,一生懸命な感じだったんですが,今回は違います。駆け引きなしに結局は和平交渉に舵取りをして戦争が長期化してしまう,国民には結局苦しい思いをさせることになっていって総力戦体制を敷いていくようになっているわけですね。

 

経済統制の強化

そして,日中戦争が勃発すると経済の統制が必要なことから総力戦体制をしなければならないということで国民に「挙国一致・尽忠報国・兼任耐久」などのスローがを掲げて戦争協力を促すという思想運動「国民精神総動員運動」を1937年にはじめます。具体的が経済統制の強化が始まります。具体的には,臨時資金調整法といって,戦時経済統制の法律の一つなのですが,これは軍事産業に優先的に融資する直接統制法です。つまり,国家の財政をできるだけ軍事産業に傾けましょう!優先させますよ!っていういう法律なんですよね。さらに,輸出入品等臨時措置法です。見てお分かりのとおり,貿易面からの統制です。つまり「おいおいおい!軍事産業に関係ないもんは買ったらあかんぞー」っていう法律ですね。そして,企画院というのが設置されます。これは経済の参謀本部と言われるくらい戦時経済統制を考える機関なんですね。この企画院で,弱い経済力をなんとか戦争に傾けるような統制を考えたり,そういった法律を立案し,その立案の下で作られたのが国家総動員法です。1938年の第一次近衛文麿内閣のときといえば,戦争が勃発して一年も経たないうちに,人的資源・物的資源を統制し運用するための法令を議会の承認なしに勅令で制定できるとした法令なんです。で,この勅令で覚えてもらい項目はこの3つです。

国民徴用令(1939年・平沼騏一郎内閣)

・賃金等政令(1939年・平沼騏一郎内閣)

・価格等統制令(1939年・阿部内閣)

すでにこの時代の政治というのは政党内閣がなくなり,軍部大臣現役武官制により首根っこを押さえられている状態ですが,この国家総動員法というのは,戦争という非常事態の中で物的資源を統制運用するための法令なんですが,どういうことかと申しますと,一般的に法律というのはこの国会で審議をして賛成多数で可決されて初めて施行されますよね。それが今戦争状態で長期化してて非常事態だからということ,軍部や内閣の要求による法令が国会で審議されず天皇の勅令という形で国会の審議を通さずそのままズドンと国民に下ろされていくわけです。それをやってもOKですよ!っていうのが国家総動員法なんです。お分かりですか?本来国会というのは法律があまり良くない場合にそこで審議して国民の人権を守るためにあまりよくない法律を潰そうぜって言って始まったのが国会ですよね。ところが,国会で審議しないわけですよ。有無を言わさずズドンと来るわけなので,国会の機能や権限が形骸化していきます。しかし,国会自体はなくなっていないのでここは注意が必要です。しかし,国家総動員法ははどこで作られたかわかりますか?企画院だけではなく,そのあとのきちんと国会で承認されているんですよ。日中戦争の長期化する中で「仕方ないなぁ,戦争やし。戦争には負けたらあかんし」って空気の中で,反対こそあったもの賛成多数で可決されてしまったんです。ということは政局は軍部と内閣は軍部大臣現役武官制で首根っこを抑えつけられた状態になっており,さらに国会も軍部や内閣の意向をひらすら垂れ流すだけの装置になってしまったわけなんですよ。ここが戦争の怖いところなんですよね。だから,議員さんは別に軍国主義と思っていないんですよ。戦争が長期化する,負けたら国家の威信にもかかわる,長いものに巻かれるじゃないけど「戦争する側」に巻かれた方が,結果としては当然良いだろうとからここは協力するべきだろう!というような風潮が高まっていたんですね。

 

そしてこういった勅令の中には,国民徴用令や賃金統制令,格闘統制令がありますが国民徴用令が一番大切です。内容は,国民を強制的に軍事工場へ就労させるとという法令です。どういうことかと申しますと戦争が長期化します,武器弾薬が必要になります,兵隊さんもどんどん必要になります。一方で,軍事工場では人が足りていない。そこで,国家総動員法に基づいて制定された国民徴用令を用いて「おい,お前!いまから軍事産業へいけ!」っていうこんな法令が出されたのですね。たとえば,ある日突然政府から手紙がくるんです。そう!いわゆる赤紙として有名なのですが,他にも白紙(白紙徴用)っていうのがあるんですが,これは兵隊さんに参加するのではなく,軍事産業に出向かされます。これを無視することができません。当時,仕事をやっていた人も強制的に辞めさせられて,いかねばなりません。無視すると捕まってしまいますし,職業選択の自由なんてまったくないんですよね。やむなく軍事工場で武器弾薬を作らされたってことですね。

第四条 政府は戦争時には、国家総動員上必要な時は、勅令が定めることによって国民を徴用して、国家総動員業務に尽かせることができる。ただし、兵役法とかち合うときは兵役法が優先する。

これがさきほどの国家総動員法に基づいて制定された国民徴用令ということになります。

 

ちなみに賃金等統制令というのは業種ごとに初任給を公に定められます。普通初任給なんていうのは各企業で設定されるべきところなのですが,初任給が高いと,いっぱいモノを買ってしまうから,モノ不足に陥って,結局物価が高くなるっているインフレになるんですよね。インフレになると国民の不満は徐々に高まっていき,コントロールがきかなくなるから,じゃあ諸悪の根源となる賃金も価格も政府で決めてしまえ!っていう法令ですね。ここに経済弱国といわれる所以があるんですよね。

 

国民の耐久生活

このように経済統制が強くなる中で国民は耐久生活を強いられていくわけです。軍事優先であることから日常品の物資が欠乏していきますね。それを結局政府は統制していかなきゃいけないから,例えば1938年にはガソリン・綿糸配給が切符制にされましたし,1940年にはぜいたく品の製造販売を禁止する七・七禁令も出され,砂糖・マッチ・木炭なども切符制となりました。さらに太平洋戦争に入っていく前の1941年には米の配給制が導入されていきます。米というのは主食ですよね?これが1日茶碗5杯分くらいの配給になるんです。主食がですね配給っていうのは,好きな時に食べられないということですよ,しかも茶碗5杯なんです。現在はおかずが多いですしパン屋とかもたくさんありますが,ところが当時はおかずなんてあまりないんですよね。ごはんが主食なのにそれが遅配,欠配ということが起こっていきました。そして,1942年,東条英機内閣のころには医療も切符制に変わっていったりというような状況になっていきます。やがて「贅沢は敵だ」「欲しがりません,勝つまでは!」なんていう標語までも作られるんですよ。子どもたちによって。ズルいと思いませんか?子どもが我慢するって言ってるのに大人がわがまま言ってたら恥ずかしいですからね。子どもをダシにとって国民全体を黙らせる,ズルいですよね。