日本史オンライン講義録

受験勉強はもちろん、日々の学習にも役立つ日本史のオンライン講義です。 

168 明治の文化②教育

今回は,明治の文化の中でも教育を取り上げたいと思います。まず,明治政府が最優先でやろうとしたことの一つが教育の充実です。ではなぜ教育を一生懸命やろうとしていたのでしょうね?

 

まず明治政府は,富国強兵のスローガンのもと近代化をはかっていきましたが,これはやっぱりアメリカやイギリス,フランスといった欧米諸国が非常に強いので, 浮ついていると日本も植民地になっちゃうかもしれないし,あるいは,あわよくばその欧米の強い国と肩を並べて強い国にしていきたい!っていう気持ちが富国強兵へと向かっていくのでした。

 

そのためには国のために一生懸命働いて税金納める労働者が必要だし,国のために戦う兵士が必要ですよね。ところが,江戸時代では,人々っていうのはせいぜい村の一民だっていう意識くらいしかないわけですよ。まぁ意識が広がったとしても藩くらいですかね。しかし,明治時代になると富国強兵をするためには,「私は日本の国民であり日本のために良い働き,税を納め,そして兵隊になります!」っていう強い意識を国民に植え付けなければならないわけですね。そのために必要なのがこの教育というものなのです。ですので,明治時代の日本の教育というのは富国強兵のために,まず軍隊や労働者そして,優秀な人をまとめる官僚になってくださいというような教育なんですね。明治に作られた教育のシステムというのは,軍隊と労働者と官僚を育てるための教育であるわけです。

 

ここは少し余談ではあるのですが,現在の日本の教育もこの明治の教育がベースにはなっているわけで,例えば上のいうことををきちんと理解して,そのために頑張るっていうように割と画一的な教育でして,優秀な労働者や官僚を育てるための教育を今の日本をやってるんじゃないかなと思うんですよね。そうすると今のようにグローバリゼーションが進んで,変化が非常に早い現代社会にはなかなか対応しづらい人材を育てているんじゃないかなとも個人的には思うんですよね。ですので,今の教育も労働者や官僚を育てるための画一的教育から,多様性を許容する(ダイバーシティ)ような教育に変わった方がいいんじゃないかなと思いますね。

 

ですが,明治政府は富国強兵をのためにも優秀な軍隊や労働者,官僚が必要!だから教育制度を整備して,「私は日本国民の一員だ!みんなで日本を強くしよう!」っていうモチベーションを上げさせるための教育制度の整備だったわけです。教育制度については年表の形で出されることが多い部分です

 

1872年 学制(フランス式の学区制を取り入れた)

学区制とは当時8大学区ありまして,1大学区あたりにつき32中学区がおかれ,さらに210小学区がおかれ,全国でいえば53760小学校区がおかれました。しかし,これがなかなかうまくいかなかったんですね。あまりにも画一的制度すぎるために,就学率は向上しませんでした。というのも,中には貧しい地域もあれば豊かな地域もあるし,小学校を立てただけではダメで,そこで教える先生も必要になってくる。お給料も当時は各地方自治体で払わなければならなかったので,うまく運営できる地域とそうでない地域がでたわけです。

 

②1879年 教育令(アメリカの制度を参考に,地域の自主性を大きく認める)

そこで,アメリカの制度を参考に,地域の自主性を大きく認めました。今もそうなのですが,基本的に町村を小学校の設置単位としました。そして,ここでは教育課程も町村で自由に編成できました。となると,じゃあ別に設置しなくてもいいのか?っていうことにもなり,自由にし過ぎてもなかなか就学率が向上しません。

 

1880年 改正教育令(教育課程は文部省規定の方針,小学校への政府監督を強化)

そしてようやく落ち着いたスタイルになったのが1886年です。

 

1886年 学校令(文部大臣 森有礼

ここで小学校,中学校,先生を養成する師範学校,そして帝国大学からなる学校体系が整備されて,ようやく学校制度が安定してきます。そして,この学校令に即した形で東京大学東京帝国大学と改称します。やはり明治の日本の教育というのは兵隊・労働者官僚を育てるためですので,帝国大学とはとくにお役人さん,官吏を養成することを目標とします。それで,小学校が尋常小学校と高等小学校に分かれます。そのうち尋常小学校の方は4年の義務教育を明示して,これで義務教育がスタートしました。

 

⑤1890年 教育に関する勅語教育勅語

 

天皇の言葉をかりて,日本の教育の目的は何であるかを児童生徒に示されました。この中で示されたのは,やっぱり何といっても忠君愛国思想ですね。国のために頑張らなきゃいけないよ,国のために優秀な兵隊になりなさいよ,優秀な労働者になりなさいよってことですね。ところが,この翌年1891年に内村鑑三不敬事件が起こります。キリスト教徒の内村鑑三という人が,教育勅語への拝礼を拒否したために教壇を追われた事件ですね。教育勅語というのは,天皇がみなさんに与えるものですよっていう性格のものですので,天皇の署名と御璽の書かれた紙があるわけですが,その紙を代読する人に対して拝礼をしなければならないところ,キリスト以外の神を神と崇めてはならないっていう趣旨から偶像崇拝を禁止しているキリスト教徒の内村鑑三は,拝礼しなかったためにこれが不敬とされ処罰されます。ここで思想の統制みたいなものが教育の中にも入り込んでいくわけですね。

 

1903年 国定教科書制度

やがて,小学校の教科書を文部省の著作に限定もされていきます。思想の統制感が徐々に色濃くなってきているのがみてとれますね。

 

⑦1907年 義務教育の年限を6年に延長

これは尋常小学校を6年制にするということです。

 

帝国大学

いままで小学校中心にみてきましたが,高等教育機関についてもみていくことにしましょう。まずは,帝国大学についてです。東京帝国大学に次いで,京都帝国大学を創設します。そして,その次に東北帝国大学九州帝国大学北海道帝国大学京城帝国大学(朝鮮),台北帝国大学(台湾),大阪帝国大学名古屋帝国大学が増設されていきます。ですので,これらを「9帝大」と総称しています。おそらく,この講義をご覧になられている受験生の中にも旧帝国大学あたりを志望校としている人も多いのではないでしょうか。

 

私立大学

テストで狙われるのはむしろこちらですね。福沢諭吉慶應義塾新島襄同志社あたりは抑えておきましょう。あと,大隈重信東京専門学校(今の早稲田大学)あたりもお願いします。そして,女子大学でいえば岩倉使節団の一員でもあった津田梅子の女子英学塾ですね。のちに津田塾大学へと改称されます。

 

以上,教育について紹介してきました。