日本史オンライン講義録

受験勉強はもちろん、日々の学習にも役立つ日本史のオンライン講義です。 

170 明治の文化④ ジャーナリズムの発展(新聞・雑誌)

ジャーナリズムとは,主に新聞や雑誌において現在おこっている事柄について報道したり批評を加えたり意見を発信したりすることをいいます。

 

新聞

まず,日本最初の新聞といわれるのが「横浜毎日新聞」です。これまで新聞のようなものはあったのかもしれませんが,これが毎日発行されるというのは1870年が初めてとのことです。主に民権派新聞として親しまれました。

次に,「東京日日新聞」です。これは政府系の御用新聞でして,主に政府よりのあるいは立憲帝政党よりの人たちが意見を発信するために発刊された新聞です。

つづいて,「日清真事誌」といってイギリスのブラックが創刊しました。実はあの民撰議院設立建白書を掲載したんですよね。これで自由民権運動に火がついたのでした。

そして,「郵便報知新聞」ですね。これは大隈重信立憲改進党機関紙となりました。

ですので,これら初期の新聞は民権派だったり,政府系だったり,立憲改進党系だったり,いわゆる御用新聞といって特定の人たちが自分たちの意見を発信するという御用のために,自分たちで発行するのでした。

さて,新聞には娯楽にはしったものもありまして,「読売新聞」など小新聞といって見て楽しむ娯楽新聞の元祖といわれています。他にも「時事新報」といって福沢諭吉が創刊した独立系新聞です。これまでの御用新聞とは違って,広く中立的な立場でいろんな意見を掲載するといった新聞をつくりました。

続いて,「日本」ですが,これは陸羯南が創刊したもので国民主義を唱えます。これは,国権論を主張するわけですが,これから中国や朝鮮など海外に進出していくのは,日本が列強の植民地化からアジアを守るための進出だ!ってことで日本としての正当性を主張しました。

さらに「万朝報」においても,当初は主に日露戦争に対して非戦論を唱えていましたが,日露戦争を容認するようになっていきます。つまり開戦論を唱えていくわけです。そうすると,この万朝報の中で「オレたちは非戦論だからこの新聞に価値を見出しているんだ!開戦論を唱えるのならばこんな新聞社辞めてやる!」ってことで,飛び出したのが幸徳秋水ですね。そして,平民社をつくり「平民新聞」を堺利彦も合流して創刊していきます。

さて,そうしたらちょっと新聞がいくつかでていきましたので,ここらで一つまとめるとするならばこんな感じですかね。

【大新聞】横浜毎日新聞

【大新聞】東京日日新聞

【大新聞】日新真事誌

【大新聞】郵便報知新聞

小新聞】読売新聞

     時事新報

明治最初の方の新聞というのは大きくこういう2つの派にわかれていたのです。まず大新聞というのは,主に政治的主張な新聞でして「新聞の力で世の中を動かしていくんだ!それが新聞の役割なんだ!っていう内容が主なのに対して,小新聞は「今日はこんなことがあったんだよ」っていうようにかわら版の伝統を継承し,報道・娯楽を中心にした新聞です。

 

雑誌

それでは次に新聞に並んで雑誌を紹介していきます。まずは,明六雑誌ですね。明治六年に創刊されたから明六雑誌。新聞社の名前も明六社です。主に森有礼福沢諭吉中村正直などが中心メンバーでして,主に西洋近代思想の紹介をしています。

つづいて,「国民之友」徳富蘇峰民友社から創刊しました。主張するのは平民主義でして,これは民権論を唱えていく平民的欧化主義の姿勢を取ります。

それと真逆の立場をとるのが,「日本人」の政教社です。三宅雪嶺を中心として国粋保存主義の立場をとります。これはもう国権論の中の国権論であって,国粋を保存したい,非常に排外的です。

つぎに,「太陽」を創刊したのが高山樗牛でして,日本主義,国権論の立場をとります。これは日清戦争に勝ったのに,三国干渉によって遼東半島をとられたことをきっかけとして,もっと日本はこれからは帝国主義化して植民地化していくべきだという意見を持ったのでした。

さて,これらとは少し毛色のちがった雑誌が「中央公論」です。評論・学術・思想・文芸など総合的な雑誌です。今も文藝春秋などありますよね。