日本史オンライン講義録

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173 大正・昭和の文化①市民生活・大衆文化

いよいよ終わりが見えてきましたね。今回からは大正時代に加えて昭和初期の文化について紹介をしていきたいと思います。大正時代は1910年代,昭和時代は昭和が始まってから満州事変までの1920年代に区切ってみていきます。

 

市民生活

まずこの時代の特徴はというと,まずは明治時代に西欧の文化が急速に入って来て,人々はそれを受け入れたり,反発をしたりしてきたのですが,その西洋の生活様式というのが日本にかなり入ってきている状態でした。そして,大正といえば大正デモクラシーですよね。人々は参政権の拡大を要求し,日露戦争から満州事変にかけてはある程度平和な時代でもありましたし,ある程度は自由な発言が許容された時代でもありました。ですので,人々が自由に意見をし,そして政治に参入する機会がどんどん増えていくると,この大衆というのが世の中の中心になって文化を形作っていくことにもなりました。なので,大正時代や昭和初期の特徴である市民生活と大衆文化についてちょっと今回はまとめていきたいと思います。

 

さて,それではこの大正時代から昭和初期にかけては都市化が進んだ時代でもあります。それもそのはず,俸給生活者が生み出されたからです。給料をもらって生活する人,つまりサラリーマンや職業婦人と言われた人たちが登場するわけです。そうすると,人口が都市へと集中していき,会社に雇われることで生活する人々が増加をしていくことになります。

 

住宅の発達

江戸時代や明治時代を考える,お金を稼ぐといったらそれは自営業を意味するわけですね。たとえ小規模でも店を出して売れるモノを売っていこう,作れるものを作っていこうという時代でした。例えば自営業の中でも,農村から大店に出稼ぎにやってきて奉公をして食わせてもらうっていうのが雇われて生活をするということでした。これが大正時代に入っていくと,基本的に会社に労働力を提供して給料をもらう人っていうのが中心になっていくわけですね。会社はどこにありますか?そうですね,都市にありますよね。その会社に働きに行くために街が開発される,どんどんどんどん都市化が進んでいくということになります。そうすると,郊外には都市に働きに行くサラリーマンのために和洋折衷な住宅があらわれてきます。たとえば文化住宅といったちょっと小ぶりな住宅があらわれると,やがては同潤会アパートといわれるような4〜6階建ての住宅が東京や横浜に建設されていきます。

 

やがて,これらの住宅に電灯が点きます。電気はわりと電線一本で簡単に引き込めるのですが,ガスや水道というのがこの時代はまだ難しかったのです。なぜなら水道管やガス管といったものを地中に埋設していかなければならないからですね。しかし,そんなガス・水道なども徐々に都市を中心に供給が本格化していきます。

 

交通の発達

このような都市化の中で,会社に通勤するためには電車やバスが必要になっていきますよね。さらに,密集したビル群をかいくぐる地下鉄なんかも発達していきます。さらに円タクといっていわゆるタクシーなども営業しはじめました。個々の店が何軒も軒を連ねるのではなく,一箇所に集まってここにいけば何でも揃うよっていうふれこみで,都市には私鉄によるターミナルデパートなどの百貨店が発達します。都市に働きにいくサラリーマンが増えていくと,私鉄が郊外に路線を引っ張って,その郊外に住宅街を開発し,その住宅街に路線バスを巡らせて駅までの動線を確保しました。例えば,梅田で働くサラリーマンが,会社帰りに阪神百貨店で買い物をして,阪神電鉄に乗って最寄り駅まで帰り,そこから阪神バスで家に到着っていうようなイメージです。要するに,私鉄っていうのは住宅街を開発し,土地や住宅を販売して,バスの売上,電車の売上,デパートの売上と有機的に結合させることに成功したのがちょうど大正時代が始まったことなんですね。

 

大衆文化

一般大衆(サラリーマン・労働者)が文化の担い手になっていきます。文化の担い手になるっていうのは,金を稼ぎはじめる多くがサラリーマンであり,だからサラリーマンが経済の中心になり,参政権を獲得していくわけだから政治・経済・文化の中心が一般大衆へと移り変わっていくわけです。

 

教育

義務教育が完成したのが1907年です。この年に小学校の就学率が97%にまでのぼりました。そして,高等学校令が出され,原敬内閣のときに大学令が出されます。今まで,東京専門学校や慶應義塾とかのような私立大学も,帝国大学と同じように大学として指定されました。あるいは公立大学の設置も認められたするなどの命令が出されます。

 

出版

新聞はというと,「大阪朝日新聞」「大阪毎日新聞」が100万部を超えます。総合雑誌では「中央公論」や「改造」が出版されました。女性雑誌では「主婦の友」,そして児童文芸雑誌では,鈴木三重吉によって創刊された「赤い鳥」あたりを抑えておきましょう。また,大衆娯楽雑誌キング」も有名ですね。今ではこれらの雑誌はたくさんありますが,当時は娯楽がなかったですので,皆が貪るように読みまくりベストセラーとなっていきました。さて,ここで円本についても少し触れておきますと,まさに1円という低価格で大量出版の先駆けとなりました。「現代日本文学全集」などが円本の代表です。今では,同じ内容でもハードカバーがソフトカバーになり文庫本となり安くなっていくのが今の出版業界ですが,当時は低価格でも大量出版できる本というものがヒットしました。

 

放送

このタイミングで,東京・大阪・名古屋ではラジオ放送が開始されます。で,これが大正時代の第一次世界大戦です。正誤問題では,第一次大戦前とか,テレビ放送開始の第二次世界大戦後とかで混乱させてくることがありますので注意しておきましょう。ラジオ放送が始まった年が,あの1925年でして,つまり普通選挙法・治安維持法制定と同じ年です。そして,翌年にNHK日本放送協会)が設立されます。

 

映画

大正時代では,最初は無声映画ですね。音がでないので,となりにそのシーンを解説する弁士がいました。これが,のちに声付きのトラックを乗っけた有声映画(トーキー)へと移り変わっていきます。日活や松竹などが国産映画の制作にも乗り出しました。