日本史オンライン講義録

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055 南北朝時代

目次

 

さて、すでに鎌倉時代を終え、そしてちょこっと登場してきた建武の新政まで話を終えました。鎌倉とくれば次は室町時代になりますね。その室町時代の最初の60年間くらいをとくに南北朝時代といいます。この南北朝時代っていうのは、南の吉野というところに天皇がいて、北の京都にはまた別の天皇がたつという、北朝南朝という争いになって、これが60年間ほど戦乱が続いていたので、南北朝時代という戦乱時代になります。それでは、この南北朝時代を勉強していきましょう。

 

北朝

足利尊氏光明天皇)の時代

さて、まずは足利尊氏が、京都に光明天皇を即位させます。光明天皇は何統かというと、持明院統です。持明院統っていうのは、後醍醐天皇とは逆ですね。足利尊氏が京都から後醍醐天皇を追い払って、後醍醐天皇大覚寺統とは逆である持明院統光明天皇をたてるわけです。

当時、足利尊氏は、建武式目を発表します。これは尊氏の政治方針の発表です。で、政治方針の発表ですので、式目といったら普通は法令・法律のことなのですが、これはあくまでも政治の方針です。なので、法としては鎌倉時代から引き続き御成敗式目を使用していますよ。正誤問題などでは,建武の新政建武式目が出されたと書かれていたら絶対に誤りです。建武の新政後醍醐天皇の政治であり,建武式目足利尊氏の政治方針ですからひっかからないように!

さぁ、そしたら足利尊氏が、この光明天皇から位をもらいます。それは征夷大将軍という位に就任します。幕府の役所をのちに足利義満が京都の室町に置くことになり、のちの室町幕府となる政治体制を組織します。このように足利尊氏は、京都を根拠地に新しい政治を始めるんですけど、実は足利尊氏の足元でちょっとした仲間割れが起きています。この仲間割れのことを、観応の擾乱(かんおうのじょうらん)といいます。これは、北朝内部の仲間割れと思ってもらって結構です。

どういう仲間割れかというと、

足利直義(ただよし)・・・尊氏の弟

  VS

高師直(こうのもろなお)・・・尊氏の執事

 といった感じですね。この観応の擾乱があるので、北朝はチームワークが良いわけでは決してありません。

 

南朝

では、北朝をみていくことにしましょう。南朝は、後醍醐天皇が南に逃れて立てた王朝ですね。

後醍醐天皇の時代

後醍醐天皇が、吉野といって現在の奈良県の山中にこもり、皇位の正統を主張しました。どのように主張をしたのかというと、例えば、この後醍醐天皇が、三種の神器ってありましたよね?草薙(くさなぎ)の剣と勾玉(まがたま)と八咫(やた)の鏡なんですが、その剣と勾玉と鏡なのですが、吉野に退くときに一旦三種の神器は京都に渡した格好になるのですが、実はそれは偽物でホンモノの三種の神器はこっちであるぞ!というような皇位の正統を主張しました。

で、この後醍醐天皇には強い味方がいまして、後醍醐天皇に従った人物として楠木正成新田義貞がいたのですが、のちにこの2人は戦死してしまい、不利な状況へとなります。ただもう1人、後醍醐天皇に従った人物として北畠親房という人がいて、粘り強く抵抗を続けました。

 

南北朝の対立

この北朝南朝の対立のことを「南北朝の対立」といいます。 この北朝南朝の対立は約60年間続いたわけです。60年というと日本においてはかなり長期に渡る戦であったといえます。それにしても、なぜここまで戦が長引いたのでしょうか。

長引いた理由その1

この観応の擾乱が一つの要因でした。この戦乱では、圧倒的に北朝の方が兵隊もいて有利な状況である一方、南朝後醍醐天皇が細々とと抵抗している状況でした。であるにもかかわらず、北朝としては南朝の息の根を今ひとつ止められなかったのです。それはなぜなのかというと、北朝の中で仲間割れがあったからですね。

長引いた理由その2

もう1つの要因は、単独相続が一般的であったということです。血縁の中で敵・味方に分かれることを余儀なくされたからです。というのも、鎌倉時代では分割相続が一般的だったわけですね!そこから南北朝時代になっていくと、単独相続になっていきました。分割相続というのは、親と4人の子がいたとします。すると、親の土地を4人の兄弟で均等に分け合う相続スタイルでしたね。ところが、南北朝時代以降は単独相続となります。単独相続というのは、親の土地を、子すなわち長男が相続して、残りの兄弟は土地をとれないわけですね。しかし、これがなぜ戦争が長引く原因になったのかというと、鎌倉時代では、親が子どもに均等に分け与えれば問題はなかったですが、この南北朝時代以降は、単独相続で親が長男に全財産を渡してしまいますので、次男・三男・四男の仲が良ければ問題はないのですが、仲が悪ければ厄介ですよ。もし次男が長男を倒してしまえば「この土地はオレのものだ。」となるわけですね。

そういうことで、「あいつを倒せばこの土地はオレのものだ!」「あいつに勝てばあの土地はオレのものだ!」土地をもらえない次男・三男は、長男が北朝につけばオレは南朝、長男が南朝につけばオレは北朝といったように、血縁の仲で敵・味方になってしまうということが割りとよくあったのでした。なので全員南朝、全員北朝ではなくって、必ずこっちがある方を味方したら、逆の方に味方する人も現れてしまい、争いが長引く原因となってしまったよということになります。

 

今回は、北朝南朝にわけて、両者の対立が長引いた原因について探ってみました。今回はここまでです。