日本史オンライン講義録

受験勉強はもちろん、日々の学習にも役立つ日本史のオンライン講義です。 

142 金融恐慌

はじめに

時代がすすんで19世紀後半から20世紀になると「石炭は石油に」「蒸気は電力に」置き換わり,」物を生産するのみならず,「ものを作る機械を機械でつくる」という第二次産業革命という生産様式の変化が見られました。以前は「100枚のTシャツを製造する機械」をつくっていたのが,「100枚のTシャルを製造できる機械を100台つくれる機械」をつくるようになったのです。やったぜ!第二次産業革命バンザイ!!今まで100枚しか作れなかったのに,1万枚つくれるようになった,これは良いことだぜ!・・・ん?本当に良いことか??たしかに,生産力が増えたことはうれしいけど,機会を使ってTシャツをつくるTシャツ会社の社長さんは頭を抱えることになります。なぜなら,今まで100個うればよかったのに,今度は1万枚も売らなければならなくなったからです。全部売り切れれば儲けは100倍ですが,材料や設備投資にお金がかかっているので,売れなければ一発で倒産してしまいますよね。銀行や株主たちも,Tシャツ会社の社長に貸したお金の利子でもうけているので,貸したお金が回収できなければこれまた一発で倒産してしまうようになります。このように,第二次産業革命以降の産業構造は「ハイリスク・ハイリターン」にならざるを得ないのです。そこで,Tシャツ会社の社長や銀行や株主たちは政府に要請をし,軍隊を各地に派遣させて植民地を獲得してもらい,商品の売付け先(市場)と原料の供給先を求めていこうとする動きがみられるようになってきます。植民地が広げられなければ国内の企業は倒産し,ライバルの国に先を越されてしまい,ひいては社会不安や革命につながってしますのです。だから,海外に植民地をひろげ,商品を売りつけるだけではなく原料も生産できるところであればなおさら良く,こうした植民地をもとめアジア・アフリカに植民地を求める欧米諸国が殺到し,様々な民族を支配する帝国主義につながったのです。ということは頭の片隅に置いておいて,一旦は忘れてもらってけっこうです。

 

これまでの日本の経済状況

では,ここからは昭和の時代へと入っていくのですが,その前にこれまでの日本の経済はどんなだったかというと,まず大正入ってすぐに大戦景気がありました。

 

 

この第一次世界大戦に関わった内閣は覚えているでしょうか?たとえば「カヤオテハタカ」の第2次大隈重信内閣,寺内正毅内閣,原敬内閣の時代ですね。まぁ簡単に言えば,ヨーロッパが戦争でもう手一杯なんですよね。だから,MADE in JAPANの製品が世界でワンサカ売れまくるんです。たとえば,アジアには綿織物が,アメリカには生糸が,世界中にが売れまくる。売れまくるということ運びまくるということなので海運業は絶好調でした。日本は,お金を借りている国(債務国)から,お金を貸す国(債権国)へとかわります。また,第一次世界大戦では世界的に船舶の不足も生じたため,国内では造船業や海運業が空前の好況をむかえるなど,このような大戦景気を利用して船を売りまくって綿織物も売りまくって,莫大な財産を成し遂げた人たちを船成金と呼んだりもしました。

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成金が,お札に火をつけて明かり替わりに足元を照らしている風刺画です。

 

では,大戦景気の次の時代,戦後恐慌をみていきましょう。

 

金融恐慌

 戦後恐慌(1920)

 震災恐慌(1923)

  関東大震災(1923)

   第二次山本内閣(蔵相:井上準之助

   支払猶予令・震災手形割引損失補填令

  震災手形(震災で支払えなくなった手形)の発生→決裁進まず

 

内閣でいうと「カヤオテハタカ」の高橋是清内閣や加藤友三郎内閣あたりの時代です。日本にとっての大戦景気はヨーロッパが戦争でそれどころじゃないっていう裏でうまく稼いだのであり,いざヨーロッパの戦争が終了すると,ヨーロッパも再び戦後復興で生産も回復していきます。ってことは,この後日本の経済はどうなるか?もうお分かりですよね?うまく稼げていた時代は終わりを告げ,この後は戦後恐慌(1920)が待ち受けています。日本もそのことは当然予想はできていました。しかし,そこに意外な問題が待ち受けているのでした。

 

それが何かというと,関東大震災が起こります。震災恐慌(1923)です。「ヤキカワタハワイさ」の山本権兵衛内閣清浦奎吾内閣加藤高明内閣の時代では,震災のダメージがあまりにも大きすぎて,企業は銀行に借金を返せなくなる状態にまで陥ってしまいます。企業というのは銀行から借金をして,実力以上のものを売り出しているわけですよね。なのにここで震災がおこって企業の工場も破壊されたとなれば,生産が止まり,営業ができなくなり,売上もないので銀行に借金を返すことができなくなり,企業倒産の危機が発展すると,銀行も倒産に追い込まれることになってしまいました。そこで,日本の中央銀行である日本銀行が,企業の借用書(震災手形)を買い取って,その買い取った金額分を倒産しかけの銀行に流してって何とか急場をしのいだのでした。しかし,これは何も企業の借金がチャラになったってことではなく,企業は日銀に2年という期限を設定され,その2年の間に工場を立て直して,きちんと日銀に借金を返しなさいよ!っていうものです。とはいうものの,日銀はなかなか震災手形の処理がうまく進まないってことで頭を抱えていたのでした。 

 

第1次若槻礼次郎内閣の時代

さぁ,長くなりましたがここから昭和の時代へ入っていきましょう。

 

憲政の常道(政党内閣時代の外観)

若槻内閣①【憲政会】金融恐慌 (片岡直温)協調外交 /幣原外交

田中内閣 【立憲政友会支払猶予令高橋是清強硬外交 /山東出兵・張作霖爆殺事件

浜口内閣 【立憲民政党金解禁  (井上準之助協調外交ロンドン海軍軍縮会議

若槻内閣②【立憲民政党昭和恐慌井上準之助崩壊 /満州事変

犬養内閣  【立憲政友会金輸出再開高橋是清)   /満州国成立

 

 

昭和一発目の内閣は,第1次若槻礼次郎内閣ですが,いきなり金融恐慌が起こります。というのも,日銀が震災手形を引き取って,それを処理していく上で,企業から少しずつ借金を回収しようとしてもなかなか借金が回収できないってことを行っているうちに,大蔵大臣片岡直温が失言問題をおこしてしまうんですね。

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どんな失言かというと,国会の予算委員会の場面で「震災手形の処理がうまく進んでいるのか?不良債権になってないか?」って野党から厳しく質問されたときに,片岡大臣はなんと「実は,東京渡辺銀行はこのままでは支払停止に陥いります。」って言っちゃうんですね。これはどういうことかというと,預金者が銀行からお金を引き出せなくなる,東京渡辺銀行が抱えている借金を支払えなくなる,つまりは東京渡辺銀行は潰れてしまうってことですね。大蔵大臣といえば,今の財務大臣にあたります。そんな人が特定な銀行を名指しして「潰れるかも?」って言っちゃったら,本来潰れない銀行でも潰れてしまいますよね。だから,危ない銀行でも名指しで言っちゃだめなんですよ。もし潰れそうな銀行があっても大蔵大臣の公的発言で言っちゃダメなことを言っちゃったわけですから,個人で銀行に預金していた人が一斉に預金をおろそうする取り付け騒ぎ(恐慌発生)が発生したのでした。

 

そうした中で,また2つ目の危機が訪れます。この騒ぎの中で,台湾銀行が多額のお金を貸し付けていた鈴木商店が倒産してしまいます。鈴木商店は以前から経営の悪化がかさんでいて,銀行からお金を借りまくっていて,なんとか自転車操業で生き延びていたような会社でした。さて,そんな非常事態に対して,混乱を立て直すための緊急勅令が発動されます。勅令ってのは天皇による命令のことです。まあ,狙いとしてはモラトリアムを実施したいわけですね。銀行の支払いを一時停止して銀行の機能を一時ストップして,その間にお金銀行に回して銀行の危機を救おうとしました。そのためには強い力が必要ですので,天皇による緊急勅令の発動を求めたんですが,そこで天皇の相談役である枢密院天皇の諮問機関)が拒否をしてしまうわけですね。というのも,枢密院の議長と若槻礼次郎はとっても仲が悪かったという個人的な理由もありますし,若槻の所属する憲政会はどちらかというと協調外交で,割と弱気な外交を展開していたので,枢密院からすれば「こんな若槻なんかに協力してやる必要はない!」ってことで拒否をされてしまいました。これがきっかけで,若槻礼次郎内閣は責任をとって退陣に追い込まれます。

 

まとめ

今回は,大正時代から昭和の初め(若槻礼次郎内閣)までの経済の流れを追っていきました。戦後恐慌までは予測できたんですが,関東大震災というアクシデントによって意外なところから経済が落ち込んでしまって,震災手形の処理を進めているうち大蔵大臣が失言をしたことから,取り付け騒ぎが起こり,連鎖倒産が起こりそうになったので緊急勅令を出してくださいって言ったところまではよかったものの,結局は枢密院に拒否されれてしまうという流れがあったのでした。以上です。