日本史オンライン講義録

受験勉強はもちろん、日々の学習にも役立つ日本史のオンライン講義です。 

153 連合軍による日本占領

今回は,日本が太平洋戦争に向かっていって,そして太平洋戦争で敗戦を迎え,連合国に占領され,そして独立を回復するという一連の流れを見ていきます。前回までは太平洋戦争の間のお話をしていましたが,今回からは戦後の方も話を中心にしたいと思います。

 

大西洋会談

今回の話の主役は連合国です。連合国は作戦のために,あるいは戦後処理のためにしばしば会議を開いていました。最初の会議が,1941年の大西洋会談です。アメリカのルーズヴェルトと,イギリスのチャーチルが話し合ったんですが,なんと最初の会談で既に「戦いが終わったらこうしようね!」っていう戦後の国際秩序の構想を話し合っています。もう戦い終わったところまで見据えている国に日本は戦いを挑んだってことになりますから,日本に勝ち目はなかったともいえるでしょう。

 

カイロ会談

大西洋会談は,連合国と日本が戦う前から話し合われていましたが,このカイロ会談は太平洋戦争が始まったあと,日本に対してどのようにしていこうかということが話し合われたのでした。ですので,「戦後,満州を中国に返しなさい!」あるいは「朝鮮を独立させましょう!」「もう日本が無条件降伏するまで戦争はやめないでおききましょう」といったことを決めた会談でした。1943年11月,大東亜会議をやっている同じタイミングです。顔ぶれは,アメリカのローズヴェルトイギリスのチャーチル,そして中国の蒋介石です。テストではどこの国がカイロ会談に参加したのか正誤問題で問うてきますで要注意!

 

ダンバートンオークス会談

国際連合憲章の草案を作成したという会談です。先述した大西洋会談でチャーチルルーズベルトが話し合って戦後このようなあねえ国際秩序を作りましょう,ということでこのダンバートンオークス会談っていうのは大西洋会談をうけて「戦後の国際秩序はこうあるべきなので,国際連合作りましょう!」といった規約を練っていった会談でそた。

 

ヤルタ会談

アメリカのローズヴェルトイギリスのチャーチル,そしてソ連スターリンです。なかなか日本が降伏に応じないので,「スターリンさん,北方から入ってきてくれ!そうしたら日本も参ったというでしょう。」ってことを考えました。スターリンも「わかった!別に行ったってもええけど,中立条約を保護にしていくわけやから批判は免れないやろ?その代償として日本の持っている南樺太北方領土はこの戦争が終わったらもらうで!」といった感じで,ソ連日ソ中立条約を犯し,連合国の勝利に大きく導いたヤルタ協定でもありました。戦争も終わってないのに戦争後の領土について決められていたってのも日本からするとなめられたものですよね。

 

ポツダム会談

いままでルーズヴェルトチャーチルというのは定番メンバーだったわけですが,ここでメンバーがまた替わります。アメリカはトルーマンイギリスはチャーチルのちにアトリー,そしてソ連スターリンです。日本はポツダム宣言を受けて戦争を終えるわけですので,戦いの当事者である中国も加えまして,米・英・中の名で日本の無条件降伏を要求しました。このように戦中から会談を重ねることで,戦後の構想だとか,対戦相手であるドイツや日本の処遇をどうするかを決めていったのでした。

対日処理会談

①カイロ会談

米:ローズベルト 英:チャーチル 中:蒋介石

ヤルタ会談

米:ローズベルト 英:チャーチル ソ:スターリン

ポツダム会談

米:トルーマン  英:チャーチル ソ:スターリン

※イギリスのチャーチルを除き,一人ずつ名前が変わっている。

 

 

国際連合の発足

この流れの結果,発足したものが国際連合の発足です。国際連合はUnited Nations(UN)と書くのですが,これは日本語に訳すと国際連合ですが,直訳すれば連合国ですよね。つまり,話し合いの結果できたのが国際連合っていうより,第二次世界大戦での連合国のことを,日本人があとから国際連合って訳しただけって感じだと思ってください。この国際連合が,サンフランシスコ会で取り決められます。

国際秩序の流れ

大西洋会談

ダンバートンオークス会議

サンフランシスコ会

 サンフランシスコ会議では,国際連合憲章が採択され,国際連合が発足するということになります。本部はニューヨークでして,国際連合には,安全保障理事会の中でも常任理事国(米・ソ・英・仏・中)拒否権が与えられていました。それは第一次世界大戦後の国際連盟は全会一致主義をとっていましたので,ヒトラーの独裁や日本の満州事変のあとのリットン調査団などのときも,なかなか動けなかった反省があったからなのですね。日本は,このとき敗戦国なので非常任理事国でして,常任理事国入りはしていません。

 

連合国による日本占領

さて,それではこれまで連合国側の動きをみてきましたが,実際に連合国側が日本へ乗り込んできて占領統治をする局面へと入っていきましょう。まず,日本の占領のために3つの組織が作られました。

占領機構

極東委員会

連合軍最高司令官総司令部(GHQ)

対日理事会

 

この3つの機構にはどんな役割があるのでしょうか。まず,日本を占領しているのはアメリカですよね。このアメリカに設置されたのが極東委員会です。これが占領政策決定の最高機関であり,ワシントンに設置されました。そして,日本で占領政策の現場のトップを司るのがGHQです。つまり,占領政策の実行機関ということになります。そして,このGHQは最高司令官の司令部なわけですから,ここには司令官がいるわけでして,それがマッカーサーです。そして,このGHQとともに日本を占領していくのが,対日理事会です。マッカーサーを助け,助言を与え,占領政策を実行していく諮問機関でして,これが東京に設置されます。

 

占領政策

では,占領政策について具体的に見ていくことにしましょう。さきほどのGHQが,日本の政府に対して司令勧告を出し,日本政府はそれを受けて政治を行う間接統治のスタイルをとります。あくまでもGHQは直接統治をしません。特筆すべきは,プレス=コードがかかっているわけです。それは,占領軍に対して批判的な出版物や新聞があったら検閲に引っかかってしまいます。さて,そんな占領政策が始まった頃の内閣をみてみましょう。

 

東久邇宮成彦内閣

ひがしでよしだ,かたあしよしだ」の東久邇宮成彦内閣です。この宮がついている時点で,皇族です。総理大臣の中でも唯一の皇族首相なのですが,なぜこの人が首相に抜擢されたのでしょうか。それは,ポツダム宣言を受諾して,戦争が終わったってことを現に戦っている人みんなに行き渡らせなければならないわけですが,実際に敵を前にすると戦うために生まれてきたような陸軍なんかは「倒さねば,オレは納得できない!」って感じですぐに引き上げることがなかなかできなかったわけですね。そこで,東久邇宮成彦が「引き上げなさい。私が天皇陛下の代弁者としてのお願いをしているのです。」と言われれば,さすがに陸軍も引き上げざるを得ないですよね。ということで,武装解除,降伏文書調印などの降伏処理を行ったのでした。ただ,これがですね「一億総懺悔」「国体維持」を唱えたのでした。つまり,ごめんなさいって行っておきながらも,天皇制は守っていきたいってニュアンスがあるわけです。ところがGHQは,人権司令を出して,昔の政治犯の釈放が含まれていました。具体的には天皇制に異論を唱えたり,天王制に対して自由な議論をしていた人たちがかつては捕らえられていたのですが,そういった人達を釈放するってことです。しかし,そういった政治犯を釈放してしまえば,日本の天皇制が揺らぎかねないってことで反対を唱え東久邇宮稔彦王内閣は総辞職してしまいます。ちなみにこの東久邇宮さん,平成2年までご存命でして,最も長生きした皇族としても有名です。