日本史オンライン講義録

受験勉強はもちろん、日々の学習にも役立つ日本史のオンライン講義です。 

003 弥生文化の成立

縄文時代の人達はどのような生活をしていたのでしょうか?縄文時代は、すでに磨製石器を使っているのだけれども、あるいは新石器時代に入っているのだけれども、生活のスタイルは狩猟・採集をしていたのでしたね。世界的には磨製石器を使う頃になると、自分で種をまいて育てて農耕や牧畜をする生活スタイルになっているのですが、日本で磨製石器を使いだすようになっても狩猟・採集といった生活スタイルのままでした。

本来、磨製石器を使っていれば農耕や牧畜が始まっていてもおかしくないのですが、日本では狩猟・採集をしていたってことです。つまり、農耕や牧畜をしなくても、わりと豊かな食料が得られていたという証でもあります。そこらへんのモノを採って食えばいいんじゃないの?って時代ですね。

 

採取と栽培

じゃあ、どんな食料を採取していたの?っていう話なのですが、たとえばクリ・クルミ・トチ・ドングリなどの木の実、ヤマイモなどが挙げられます。クリやクルミっていうのは現代でも普通に食しますね。トチやドングリは食べたことありますか?その昔、私の小さい頃のお話なのですが、公園に落ちているドングリを洗ってかじったことがあるのですが、苦くてめちゃくちゃ不味かったことを記憶しています。こういうものは灰汁抜きをしなければならないのですが、こういう技術も獲得していたようです。

農耕とまではいかなくても、簡易的な栽培技術もありました。たとえば、豆類であったり、荏胡麻ヒョウタンなどですね。米も栽培された可能性があります。しかし、耕作を裏付ける遺跡というのはもう少し後、縄文の後期あたりになります。そして、この採取や栽培に使っていた道具としては、打製石器石鍬です。

 

そして、実際に食すときに使われた道具としては、磨製石器石皿・すり石などがあります。

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トチとかドングリといった木の実はすごくマズイわけですね。灰汁が渋かったり、苦かったりするので、まずは木の実を一旦すり潰して粉状にして、水に晒して、灰汁を抜いていかなければならないのですが、そこで石で作ったお皿の上にトチやドングリを置いて、丸い石でゴリゴリこすって粉にするんですね。そして、火の側でこれらの粉をやいたりすると、クッキーのようなものが出来上がるわけです。直接採取に使うわけではないが、木の実などを食べるために使われる道具が石皿すり石です。

狩猟

次に、狩猟のお話をしましょう。縄文時代に発明されたものとして代表的なのが弓矢でして、小型化した動物、すばしっこい動物を弓矢で捕らえました。また、スケールのデカイ落とし穴なんかも作られるようになり、追い込んだイノシシやシカを捕らえたりしていました。その他に狩猟に使った道具としては、切れ味を重視した打製石器石鏃(せきぞく)です。石鏃とは、弓矢の先っぽ、いわゆる矢じりのことですね。

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漁労

漁労というのは魚を釣ったり、カニをとったり、貝を拾ったりとかのことですね。まずは魚を釣るには動物の骨から作った釣り針や銛(もり)を使うわけですが、これらを骨角器をといいます。他に魚を獲る方法としては網がありますね。網にはいくつか種類があって、投網もあれば、地引網もあります。ただし、網にはおもりをつけておかないと浮いてしまいますね。ですので、網をうまく広げて展開させて使うために石錘(せきすい)あるいは土錘(どすい)というものを使用します。おもりをつければ、ピーンっと張れますし、遠くへ網を飛ばせたりもします。こうして、網を使用した漁法がスタートしました。

 

他にも、わりと遠い場所まで外洋航海を可能にさせたのが丸木舟の使用です。たとえば、バイクって2輪車ですのでなかなか不安定ですが、バイクのサイドの部分にもうひとり乗車できるサイドカー(アウトリガーっていいます)を装着すれば、非常に安定感が増しますよね。あれと同じです。

 

住居

更新世では、動物が移動すれば、人もそれを追いかけて移動するといった生活スタイルでした。しかし縄文時代に入ると、狩りをするにしても、食料を採取するにしても、少しずつ道具が発達するようになり、仕掛けを使って獲ったりとか、種を撒いて育ちを待ってから収穫するといったように、いわゆる道具と技術の発達が見られるようになり、食料確保も安定していきます。すると、あっちに行ったり、こっちに行ったりする必要性がだんだんなくなっていくわけなんですよね。すると、人々の生活スタイルが、移住式から定住式生活へと変化していきます。住まいも定住用に竪穴住居での営みへと変わっていきます。竪穴住居というのは、穴をちょいと掘って、その上に藁葺きの屋根をのっける住居のことで、住居内部の中央には炉を設置して炊事を行っていました。炉では火をくべて、その煙を屋根上部から逃してやるのですが、そうすると屋根の上からお肉とかを吊るしておけばスモーク調理ができて保存がききますし、害虫なんかが寄ってこなくなるので、伝染病の予防などにもつながりました。さて、そんな竪穴住居ですが、上空からみたら広場を囲んだ状態で、4〜6軒ほどの竪穴住居が環状に並ぶ環濠集落が次第に登場していきます。中には、その集落が大規模化していって非常に有名な遺跡が登場するのですが、代表的な遺跡として青森県三内丸山遺跡は入試や定期テストとかに出ますので抑えておいてください。

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貝塚

縄文時代の特徴を次々と紹介していますが、次にお話するのは貝塚の存在です。食べた貝のからなどが捨てられていて、それが積もり積もったゴミ捨て場の跡、それが貝塚です。この貝塚の代表として、東京都大森貝塚が有名です。発見した人は、アメリカ人のモースです。

 

交易

いきなりですが黒曜石って知っていますか?そうそう、あの打製石器の材料ですね。でも、この黒曜石ってなかなか出ないんですよ。我々がそんじょそこら掘ったとしても出るものではないんですね。成分はというとガラス質なのですが、火山の噴火なんかによって溶かされてそこにガラス室が固まって一つの石として形成されるため、なかなかレアな石なんですよね。なので、黒曜石がたくさん出る所っていうのは、かなり羨ましがられ、遠方の地域からも「その黒曜石と交換してよ!」といったように交易が行われました。そりゃ黒曜石が1つでもあったら、それを割っていろんな石器作りに活用できるので、黒曜石目的の交易も頻繁に行われていたんですね。で、代表的な産地として長野県の和田峠などが有名です。この和田峠の黒曜石ですが、どれくらいの交易分布があるかというと、青森県三内丸山遺跡でも同じ黒曜石が見つかっています。まぁ、長野県と青森県との間でダイレクトに交易があったのかは定かではありませんが、長野県から少しずつ少しずつ交易が繰り返されて、最終的に青森県までその黒曜石がたどり着いたものと予想されます。いずれにしても、長野県で産出された石が青森県で発掘されたっというところに歴史の面白さが感じられます。ほかにも、交易アイテムとしては、装飾品などの原料に用いられるひすいなども挙げられます。ひすいは新潟県姫川流域でよく産出されます。

 

宗教観

では、最後に縄文時代に宗教的風習や、呪術的風習についてお話をしたいと思います。縄文人に共通の宗教観の一つとして、「アニミズム」という考え方があります。アニミズムとは何かというと、あらゆる自然物や自然現象に霊魂が存在するという考え方です。

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アニミズムは英語表記でanimismです。animaっていうのは霊魂という意味があります。たとえば一枚の絵があったとして、この絵を連続してパラパラとめくっていくと、一枚の絵なのにまるで霊魂が宿ったかのように動いて見えることから、animation(アニメーション)という言葉に派生していくわけですね。画用紙に書かれたトトロを連続的に映し出すことによって、トトロに霊魂が宿ってまるで生き物のように動くといったものですね。たとえば雷鳴が鳴ったら、何か自然に潜む霊魂の怒りを人々は感じ、災いがあるのではないかと考え、その災いから逃れようとするために、あるいは自然の霊魂と調和をするために、さまざまな呪術的風習が生まれていきました。そんな呪術的おまじないのアイテムとして、たとえば女性を形どった土偶であったり、男性の生殖器を表現した石棒など、これらは男女が交わり一つの命が誕生することを願ったおまじないアイテムの一種となるわけですね。

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そして、この土偶なのですが意図的に壊されたりすることも多かったようです。女性にとって出産はとてつもない痛みと苦痛が生じます。そんな痛みや苦痛を土偶に身代わりになってもらうために、意図的に土偶を壊したりして、女性の出産リスクを軽減していたのでしょう。

その他には、これは呪術的風習かどうかはわからないのですが、成人になったら前歯を抜くわけですね。痛いと思うのでうが、この痛みに耐えてこそ初めて大人と言えるのだよ!といって抜歯をしたり、ほかにも叉状研歯といって前歯をフォーク状に削るといった歯に関する風習があります。

 

あと、埋葬の形態としては、屈葬(くっそう)といった方法で遺体を強く折り曲げて埋葬します。なぜ折り曲げて埋葬するのかというと、一説には死者の霊魂が外に出てこないようにするため、遺体を強く折り曲げて死者の霊魂を閉じ込めていたと言われています。

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しかし、閉じ込められた霊魂はたまったもんじゃありませんよね、そんな時に死者の霊魂が発する言葉があります。それは何かというと、「く、くっそぉー(屈葬)、オレを閉じ込めやがってぇ」

はい、今回はここまでです。