016 白鳳文化
今回は飛鳥時代の文化の中でも白鳳文化についてお話をします。中学時代には,飛鳥文化があって天平文化といった流れで習うと思うのですが,実はその間に白鳳文化という文化があるのですね。
白鳳文化っていうのは7〜8世紀,つまり天武♥持統天皇の時代における文化です。この文化の特色ですが,何と言っても「律令国家形成期の若々しい文化」ですね。若々しくてみずみずしくもあるフレッシュな日本の文化っていうのはどこの国の影響を受けますか?そうですね!もちろん中国の文化の影響を受けるのですが,その中国もまた若々しくてみずみずしくフレッシュな時代でして,そんな唐初期の影響をうけます。そしてこの時代,基調となるのはやはり仏教の文化です。例えば建物だったらお寺,彫刻だったら仏像を押さえればOKということになります。
建築
それでは建築をみていくことにしましょう。白鳳文化の代表的なお寺といえば,もうコレです!天武天皇によって創建された薬師寺です。この薬師寺なんですが,天武天皇が親子ほど年の離れたかわいい奥さんが病気になったわけですね。なんとかこの病気を直してください!っていうことで建てられたお寺です。だって「薬」っていう字が入っているでしょ?そりゃ,かわいい年下の奥さんが病で倒れたひにゃ,立派なお寺の1つも建てたくなりますよ。病気の奥さんのためにお寺を建てたいっていうそんな天武天皇の気持ち…まさに若々しく・みずみずしく・フレッシュじゃあないですか!はい,こういったストーリーなんかもどんどんイメージしてこの文化の特徴を組み立てていってください。
とくにこの薬師寺の中に重要な建物があります。それは,薬師寺の東側にある薬師寺東塔という建物です。
薬師寺で唯一創建当時、1300年前より現存している建物で、平成21年より解体修理を行っています。平成32年の春に修理が完了し、落慶法要が行われます。この建物なのですが,屋根が6つあって六重塔のように見えるのですが,実は三重塔でして,屋根と屋根の間にフリフリっとしたスカート,裳階(もこし)を備えています。そんな東塔,建物自体はどしーんと構えてじっと座っているのですが,屋根を見てみると「大きい→小さい→大きい→小さい→大きい→小さい」ってな感じで,このリズムミカルな構造をみてみると,まるで建物そのものが音楽を奏でているみたいだってことから,フェノロサっていうアメリカの美術家が「凍れる音楽」と名付けるほど,白鳳建築の傑作といわれるものです。そして,この東塔の向かい側には西塔があって,まさに左右対称の佇まいが非常に美しいんです。是非足を運んでみてください。ちなみに薬師寺で一日数回行われているお坊さんの講話は,かたーいお話というよりも,どこか世俗的なお話も織り交ぜながらとてもユニークな内容なのでメチャクチャ面白いですよ。さて,薬師寺の以外で白鳳文化の代表的なお寺に天武天皇が創建した大官大寺があります。
彫刻
つぎに彫刻を紹介しましょう。まずは薬師寺が代表的なお寺であるということは,代表的な彫刻も薬師寺に眠っています。薬師寺のメインとなる建物に金堂があって,重要な仏像が納められているのですが,それが①薬師寺金堂薬師三尊像です。天武天皇が持統天皇の病気を治してくださいってお願いした三尊像でして,だから薬壺をもった仏像がメインの建物には納められています。
②薬師寺東院堂聖観音像もあわせて押さえておきたいのですが,さきほどの薬師三尊像にも共通していえることがあります。それは,仏像が直立不動ではなく,体をくねらせたようなリズミカルでみずみずしい艶めかしい雰囲気が特徴的です。どちらも国宝です。ではあと2つだけみておきましょう。③法隆寺阿弥陀三尊像ですね。そして,④法隆寺夢違三尊像ですね。白鳳文化とくれば薬師寺でほぼ間違いないのですが,唯一③と④だけ飛鳥文化の法隆寺がここで例外的に登場してきます。正誤問題とかで狙われる可能性があるのでおさえておきましょう。
そして,インパクトがある仏像といえば何と言ってもこれです。興福寺仏頭。もと山田寺の本尊で,巨大な仏像であったのですが,残念ながらこの山田寺が1411年にお堂とともに被災してしまいます。幸い残った頭部が1415年に再興された現東金堂本尊台座に納められ、1937に偶然発見されました。
この山田というのは,あの乙巳の変で活躍した蘇我倉山田石川麻呂のことでして,のちに天智天皇に殺されてしまいました。その石川麻呂の霊を弔うために創建されたお寺ですね。ちなみにこの仏頭ですが高さ98.3センチもあります。海外で売られている日本の旅行ガイドブックにも「budda head」とわかりやすく掲載されているほどです。
絵画
大昔の古墳を発掘してみると,その石室に非常に色鮮やかに描かれた女官などが確認できるのですが,これが高松塚古墳です。この古墳は高句麗や中国の古墳などの壁画と類似しており,その影響がみられます。
あとは,法隆寺金堂壁画ですね。こちらはインドのアジャンター壁画の影響がみられる壁です。
これも先程の例外と同じように白鳳文化なのですが法隆寺ですので気をつけておいてください。法隆寺そのものは飛鳥文化なのですが,とくにこの法隆寺金堂壁画は白鳳文化であるので,正誤問題とかでも「この時代にあてはまらない作品を次の選択肢から選びなさい」と出題されることは結構あります。
文学
この時代,たくさんの漢詩が作られます。もちろん中国・唐の影響をうけているということでこの漢詩文が創作されます。漢詩文をうまくかけるということは,中国的教養の備えた人なのだなぁって評価されたのでした。
漢詩文だけではなく,和歌も作られました。額田王(ぬかたのおおきみ)といって,天智天皇と天武天皇が奪い合った艶めかしい女性の歌人がいるのですが,和歌の形式が整い始めたのもこの頃です。