013 飛鳥文化
今回は、飛鳥時代の文化をお話していきたいと思います。飛鳥時代といえば、蘇我馬子や厩戸王(聖徳太子)そして推古天皇たちの時代ですね。そんな時代の文化はどうなっているのか見ていきたいと思います。
飛鳥文化
さて、推古天皇よりも前の天皇で欽明天皇の時代に仏教が日本に入ってきました。そして、蘇我氏と物部氏が仏教を受け入れるかどうかで対立をし、仏教を受け入れることに成功した蘇我氏が次第に勢力を増していったのでしたね。そんな時代ですので、この飛鳥文化っていうのは、日本最古の仏教文化であるということが言えます。ということは、飛鳥時代の建築といえばお寺のことになりますし、彫刻は仏像ということになります。この飛鳥文化ですが、朝鮮半島の百済あるいは高句麗からの、また、中国は南北朝時代の文化の影響を受けています。
建築
これまでは柱は土の中に埋めるだけの掘立柱でしたが、飛鳥時代からは、礎石といって石の柱を立てる建築技法が用いられるようになりました。では主な寺を見ていくことにしましょう。
飛鳥寺
飛鳥時代のお寺ですので、その名も飛鳥寺ですね。これは蘇我氏が建てたお寺です。
百済大寺
四天王寺
法隆寺
そして飛鳥文化のところで無くてはならないお寺が、法隆寺ですね。THE世界遺産といわれるお寺で、世界最古の木造建築としても有名です。そんな法隆寺なんですが、実はというと現在みられる法隆寺は創建当時のものではないんですね。これはかなり確実な証拠があります。お寺の建物のレイアウト配置のことを伽藍(がらん)というのですが、法隆寺を発掘調査していくと、いまみられる法隆寺のさらに下の地層から別のお寺のものが発掘され、それはどうやら創建当時の法隆寺のものであるらしいってことがわかってきました。この下層にみられるお寺の建物のレイアウト配置のことを若草伽藍といって、この若草伽藍跡が歴史的な証拠として、少なくとも今見られる法隆寺は少なくとも西暦670年以降のものではないかと言われています。
この法隆寺の柱をみてみると、一部にはエンタシス(ふくらみ)が見られます。まぁ、現地現物を見たところで「これがエンタシスだよ!」って教えられても「う〜ん、まぁそういわれれば確かに膨らんでいるような、膨らんでいないような」って感じなのですが・・・。このエンタシスの技法はギリシャなどからシルクロードを通って伝わったとされています。
彫刻
彫刻といえば仏像になります。この仏像には大きく分けると2つの様式に分けられます。先程、南北朝の影響を受けているよっていうお話をしましたが、つまり北朝の影響をうけた様式と、南朝の影響を受けた様式があります。
北魏様式
中国の南北朝時代の「北」の影響を受けた様式を北魏様式といいます。
法隆寺金堂釈迦三尊像
作った人の名前を押さえておきましょう。法隆寺金堂釈迦三尊像の仏師はというと、鞍作鳥(くらつくりのとり)です。
法隆寺夢殿救世観音像
飛鳥寺釈迦如来像
仏教を作ったことで有名なお釈迦様の仏像ですね。これも鞍作鳥(くらつくりのとり)が作ったことで有名です。
この3つの仏像に共通していえることは、わりと左右対称なんですよね。基本的に着ている服の形なんかも左右対称を重視して作られています。この救世観音像なんかは、聖徳太子の姿を生き写しにした形であると言われています。そして、顔は笑ってはないのですが、口元が微妙に笑みを浮かべています。これをアルカイックスマイル(古典的微笑)というのですが、やや厳し目の顔つきをしているのが特徴ですね。
南朝様式(南梁様式)
中国の南北朝時代の「南」の影響を受けた様式を南朝様式といいます。さきほどの北魏様式はどちらかというと厳し目の顔でしたが、この南朝様式はやさしめの顔です。
法隆寺百済観音像
スラーっとしたスタイルで、小顔・長身・8頭身がトレードマークです。
広隆寺半跏思惟像 / 中宮寺半跏思惟像
両方のお寺の半跏思惟像ともに独特のポーズをしています。片足を膝に乗せて、顎に手をあてて何やら考えています。広隆寺の方は頭に広いお皿をのっけているのが特徴的です。中宮寺の方は、「宮」の中にある漢字「呂」を横倒しにして「◯ ◯」のようなお団子を2つのっけているのが中宮寺の方です。見分けられるようにしておいてくださいね。私も実際に中宮寺に行って半跏思惟像をみたことがあるのですが、確かに頭にお団子をのせていてどこかしらカワイらしい姿が印象的でした。
絵画
絵画では、法隆寺玉虫厨子(たまむしのずし)の須弥坐絵(しゅみざえ)あるいは扉絵が有名です。ちょっとその前に、玉虫厨子って何なのかをお話しておきましょう。
工芸
玉虫厨子
厨子っていうのは、仏像を収めるケースだと思ってください。大きさはだいたい2メートルほどで、その中にちょっと小さめの仏像が入っている仏像ケースなのですが、この仏像ケースにはタマムシの羽根が貼り巡らされているのが特徴的です。タマムシの羽根は光の当たる角度によってまさにタマムシ色に輝くのですが、この羽根の枚数が半端なくってその数なんと9083枚。言い換えれば4500匹ほどのタマムシを集めてきて、胴体から羽根を一枚ずつ剥いで、仏像ケースに貼り付けるっていうわけです。昆虫嫌いの人からすればたまったもんじゃじないですよねぇ。そんな仏像ケースの下の部分を須弥座といってそこに描かれた絵のことを須弥座絵といいます。
中宮寺天寿国繍帳
では、続いていきましょう。中宮寺天寿国繍帳の繍帳っていうのは今でいう刺繍のことですね。刺繍で絵を描いたものなのですが、どんな絵が描かれているのかというと、厩戸王(聖徳太子)の奥さんが、先立たれた旦那さんのことを思い起こして、聖徳太子の死後の世界を描いたものとされています。
法隆寺獅子狩文様錦
ライオンの狩りをしている刺繍があるのですが、これは遠くペルシャ(今のイラン)の影響を受けていると言われています。このように、仏教の影響からいろんな文物が日本にもたらされたということがいえますよね。
技術の伝来
では最後に技術の伝来についてお話をしましょう。 仏教の他に日本にもたらされたものとして、 暦が百済の僧で観勒(かんろく)によってもたらされました。また、紙・墨・絵の具をもたらしたのが高句麗の僧・曇徴(どんちょう)によってもたらされました。模試とかでは、この両者の僧の名前ともたらしたものの組み合わせなんかがよく問われますので注意が必要ですよ。とくに覚え方はないのですが、こんなのはどうでしょうか。
「くだら、かんろく、こよみです」
「こうくり、どんちょう、かみすみえ」
実際に声にだしてテンポよくリズミカルに音読しながら、フレーズとして覚えてみてください。
「くだら、かんろく、こよみです」
「こうくり、どんちょう、かみすみえ」
すべてを語呂合わせに頼るとキリがありませんので、読む・書くだけではなく、実際に声に出して音読することが記憶を定着させる一つのポイントです。
「くだら、かんろく、こよみです」
「こうくり、どんちょう、かみすみえ」
どうですか?覚えられるでしょう? では今回は以上です。