日本史オンライン講義録

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059 惣村の形成と土一揆

目次

 

室町時代は、流れ的には応仁の乱で終わりということになります。ですので、応仁の乱が終わったあとの話はいよいよお待ちかねの戦国時代へと入ってきます。しかし、大学入試では、室町時代の抑えるべきポイントはまだまだたくさんあるので、続けてやっていきましょう。

 

今まで、◯◯の一揆や△△の一揆っていう話をしてきましたね。室町時代というのは、一揆が多発した時代です。このことから何が言えるかというと、民衆あるいは国人あるいは浄土真宗の信者らといった下位階層の人々が上に対して一言物申したい、要求を通していこうとする時代です。室町時代は、民衆が「一言オレも言わせてくれ」「私も一言言わせてよ」といったように民衆の意識が高まった時代とも言えるのです。で、今回はこの民衆についてお話をしていくことにしましょう。民衆の中でもとくに村々の人々、そんな惣村の形成と土一揆について話したいと思います。

惣村(惣)の形成

というのは、ムラという意味です。とくに南北朝時代から室町時代にかけて、自然発生的に人が集まって形成された村のことをいいます。それで、南北朝の動乱のときにいろんな所でこの惣村ができるようになり、自治・自立的な村を形成する、こういう自然発生的に産まれた村は、権力者から「ああせい!」「こうせい!」と言われるのを嫌がる、自治的であり自立的であって決して権力に屈しないといった態度をとることが多かったわけです。

惣百姓

そうすると、惣村でくらす人々のことを何と呼ぶかというと惣百姓といいました。これは惣村を構成する百姓のことで、惣百姓たちが惣村を形成しました。さて、この人たちはどのような方法で結束を深めていったのかというと、農村の共同作業つまり田植えですね。みんなでやらないと追っつかない稲刈りや屋根の葺きかえといったところで団結をしていきました。この惣村についてもう少し説明をしていきたいと思います。

寄合

この農村グループである惣は、みんなで集まって重要事項を決めていくわけですね。この会議のことを寄合といいます。

乙名・沙汰人

そして、この惣村の指導者は、乙に名前と書いて、乙名(おとな)といいます。そう、おとなっていえばあの大人ですよね。リーダーは乙名です。それに加えて沙汰人(さたにん)も指導者の一人でした。

惣掟

そして、この惣の中のみんなのルールである惣掟(そうおきて)を定めて、互いに守ります。

地下検断

村民自身が秩序維持のため、警察権や裁判権を行使するのは地下検断(じげけんだん)といいます。

地下請

また、領主へ治める年貢を惣村がひとまとめにして請け負うのは地下請(じげうけ)です。この地下っていうのは百姓とか下々の者という意味なのですが、惣村というのは自主的・自立的で支配には抵抗的なわけですよね。たとえば領主が「この村を支配するぞ!いうことを聞け!」なんて言われたひにゃ、「嫌だ!私達は支配されたくない!」というのが惣村の決まり文句なわけですね。支配されたくない代わりに、「私たちは私たちなりに秩序を守るから、どうか力で我々を抑えないでください。年貢もちゃんとまとめて私たちが差し出すので、どうか力で我々を抑えないでください。自分たちのことは自分たちでやるから、支配者はガミガミ言うな!」という態度をとるのが惣村です、そんなイメージを持って下さい。

とくに年貢は、取り立てる人がその土地の支配者っぽく振る舞えたわけでしたね。たとえば、鎌倉時代でいうと地頭請室町時代では守護請でした。これまでは、そのように取り立てる人がその土地の支配者っぽく振る舞えたわけですが、今回のように私達が私達で年貢は取りまとめてきちんと地下請が出すから、ガミガミ言わないでくれっていうような意味合いがあるわけです。

入会地

そしてもう一つ、用語の説明をしておきます。惣において共同利用の土地のことを入会地(いりあいち)といいます。共同利用の土地ってどんな土地かって言うと、例えば燃料を確保するための薪を取りに行く林であるとか、水を確保するためのため池や井戸といったものですね。

土一揆

さぁ、このように自分たちで秩序も守るし、年貢も出すから支配者はガミガミいうなっていう惣なわけですが、それでも支配者がうるさく言って圧力をかけようものなら実力行使もやっちゃうよ!それが、土一揆(つちいっき)です。たとえば、ひどい取り立てをしたり、ひどい行いをしたりするような領主への抵抗であったり、あとは天災に見舞われたときに自分たちが生きるために年貢の減免などを求める抵抗のことを土一揆といいます。

強訴(ごうそ)

実力行使の一つとして、強訴(ごうそ)があります。文字通り、強く訴えていくという意味です。かんたんに言うとデモですね。大挙して押しかけることです。

逃散(ちょうさん)

全員が耕作を放棄して逃げることを逃散(ちょうさん)といいます。今で言うストライキですね。年貢を取り立てようにも、ストライキをされちゃうと、もうその土地から税を取れないわけですよね。困るのは領主の方です。

地侍の出現

このような流れの中で、農民の武士化=地侍(じざむらい)が出現しはじめます。まぁ、農民の中にもお金が多少あって、武器を買って刀を買って侍のように振る舞う地侍が出現します。そうすると、惣村の中にも用心棒が現れるわけですので、領主にとってはますます支配が困難になってきます。こうした強訴や逃散、そして地侍の出現など抵抗手段をたくさん持ったことによって何かあったときには一揆が多発します。

正長の徳政一揆

近江坂本の運送業者である馬借(ばしゃく)が徳政を要求して借金の帳消しを要求して蜂起しました。これに、惣百姓であるとか地侍が乗っかって、大規模な一揆へと発展します。京都の高利貸し業者である土倉・酒屋などを襲うのです。襲ってどうするのか?それは、金貸し業者の中に入って借金の証文をビリビリに破って引き裂いたり燃やしたりするわけですね。そうすると、誰に貸し付けたのか分からなくなるので、取り立てが出来なくなりますよね。このように、実力で借金を踏み倒すことを私徳政といいます。借金の借用書がなくなれば取り立てようがないだろ?ということです。

播磨の土一揆

播磨国の守護だった赤松氏の家臣の国外追放を民衆たちが要求した出来事、それが播磨の土一揆です。きっとこの家臣は民衆に対してひどいことをしたんでしょうね?その復讐にあい、民衆から「出てけ!出て行け!!」という風に民衆が実力行使に立ち上がりました。

嘉吉の徳政一揆

6代将軍・義教が暗殺されてしまい、その後の7代将軍・就任の際に、代替わりの徳政を要求 民衆の方から借金帳消しの徳政を要求するようになってしまったということです。

まとめ

今回は、惣という村ができて、その村は支配に抵抗する自立的・自治的な村であったというお話でした。「支配されたくない代わりに、秩序は自分たちでしっかり守るし、年貢もしっかり納めるから、領主はあんまりガミガミ言わないでくれ。それでもガミガミいってくる領主、ひどい領主、圧力をかけてくる領主がもしいるなら、実力行使もやるよ!」といったイメージで、時折、一揆のような大きい事件を起こすほどの力を民衆は持ち始めた、というお話でした。今回は以上です。