日本史オンライン講義録

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060 農業の発達・商工業の発達

目次

 

前回、惣村やそこに暮らす惣百姓についてお話をしましたね。領主にしばしば抵抗するといった動きも見られてきました。民衆の方に目線を向けた前回でしたが、今回はそんな民衆の暮らしぶりについて見ていきたいと思います。

農業の発達

三毛作

鎌倉時代では二毛作だったんですが、それに加えて室町時代では三毛作が開始されるようになりました。1つの田んぼで3種類の農作物を育てるようになり、農業技術が高まりました。そして、水田で育てる稲のことを水稲というのですが、水稲の品種改良が進展します。例えば、早稲(わせ)中稲(なかて)晩稲(おくて)っていうように、稲を植えてから実がついて刈り入れるまでの時期をうまくコントロールすることができるようになりました。それまでは、この時期のタイミングで稲を刈り取らなくちゃいけないのに、作業が遅れたり、あるいは台風がやってきて、まだ刈り取れていない稲を台無しにしてしまうなんてことがなくなりました。しかし、早稲・中稲・晩稲が登場したことによって、うまく労力を分散して効率よく収穫することができるようになりました。

生産性の向上

そして、生産性の向上もみられるようになります。例えば、鎌倉時代の技術で刈敷草木灰というものがありましたが、それらに加えて下肥(しもごえ)といって牛や人の糞尿なんかの利用がみられるようになりました。

商品作物の栽培

そして、室町時代はカネ社会ですので、ただ食べるための作物だけを育てるのではなくって、カネに変えることのできる作物(商品作物)も育てられるようになってきました。例えば、ですね。桑って何になるのかというと、カイコを育てて生糸をとるための原料になります。他にも、紙の原料にもなる楮(こうぞ)、お茶碗とかに塗る漆(うるし)藍染の原料となる青い色を出す染料の藍(あい)、そして飲料としての、などカネになる作物を育てるようになります。

手工業の発達

商品作物っていうのは手工業の原料という意味合いが強いのですが、商品作物がよく売買されるということは、つまり手工業が発達しているという風にもいえます。

特産品の生産

この土地では楮がよくとれる、あの土地はお茶がよく取れる、といったように地域別の特産品が出てくるわけですね。たとえば、加賀や丹後は絹織物美濃の美濃紙播磨の杉原紙美濃とか尾張ではいわゆる瀬戸物(陶器)ですね。きっと良質な土に恵まれたのでしょう。その他にも、備前では刀京都・河内・大和・摂津ではお酒がよく作られるようになりました。さらに、河内は鍋京都は高級絹織物、などが挙げられます。

製塩業

塩の作り方なんかがたまに教科書に書かれていたりもします。これが、揚浜(あげはま)式塩田ですね。砂浜に水をバーっとまいて、日光の力で水を蒸発させて、濃い塩水をつくるっていう技術をとっているのですが、そんな揚浜式塩田から古式の入浜式塩田へ発展していきます。それはなぜかというと、揚浜式塩田っていうのは水を汲み上げて砂浜にまくので結構な労力が必要です。それではずーっと継続してやっていくのは大変だということで潮の満ち引きを利用して潮が満ちてきたときに海を仕切って、そして太陽の熱で水を蒸発させて濃い塩を取るといった手法へ発展していきました。

商業

市場

農業、手工業ときて続いては商業の発達について見ていきましょう。鎌倉時代のときに三斎市といって月に3回開かれる市がありましたね。二日市だったら2日、12日、22日といったように、月3回開催される市がたちました。室町時代では、応仁の乱後に六斎市が一般化するようになります。

行商人

行商人のことを、連なって荷物を持っているからなのでしょうか、連雀(れんじゃく)商人というようになります。あるいは、振売(ふりうり)といって肩に天秤棒を担いでそれを振りながら売るような行商人が出てきます。

鎌倉時代では行商人という名称でしたが、女性の行商人のことを大原女(おおはらめ)といって炭や薪を売ってあるいていました。あるいは、桂女(かつらめ)といって鵜を利用して魚を捕る鵜飼い集団もみられるようになりました。

手工業者や商人のも増加していきます。座とはこうした天皇家や大寺社の保護を受けた組合のことですが、たとえばこの町に油を売る油座があったとします。そうすると、新しくその土地で商売をやろうとした商人に対して「誰に断ってここに店をだしているんだ!」ということで油座は新規参入者を市場から締め出して自分たちだけの利益を確保しようとするわけです。代表的な座としては、大山崎の油座ですね。これは京都の石清水八幡宮の保護をうけていました。ですので、この山崎という地で油を売ろうとする余所者の商人がやってきたら、「おい!ここは石清水八幡宮様が許可した油屋さんでないと売れないぞ!出て行け、出て行け!」といったように他の商人を締め出したのです。

貨幣の流通

室町時代の特徴の一つにカネ社会というのがあるわけですね。室町時代ではお金が経済の中心になってくるんです。農民が納入する年貢・公事・夫役を金銭でおさめることが一般化しました。まあ、労働力として身体で払われたり、あるいは特産物で納められたり、コメで払われたりするよりも、いろいろ使えるお金で払ってもらったほうがこっちとしても都合がいいから、お金で払ってよっていうことが一般化したのでした。

為替

たとえば、遠隔地取引には為替(かわせ)が利用されるようにもなりました。たとえば、AさんとBさんが遠く離れていたとしましょう。ある日 AさんがBさんに500円の品物を売って欲しいと言いました。するとBさんは「よし、わかった!いいよ500円で売ってあげる」と言って500円の品物をAさんに渡すのですが、Aさんはお金をBさんに払うにはちょっと距離遠いんですよね。そこで、「じゃあBさん、500円は貸しにしといてくれる?」と言って借金の借用書のような紙切れをBさんに渡します。今度はBさんがAさんに500円の品物を注文したときに、Bさんが「そういえばこの前Aさんに貸しにしておいた500円分の借用書の紙切れもらったよね?今回の500円の品物の代金はその借用書の紙切れで払うわ!」といって、Aさんに渡せばBさんは商品を手に入れることができます。今度は、AさんがBさんから1000円の品物を買うときに、この間Bさんから受け取った500円の借用書の紙切れと、さらに今回新たにまた貸しにしといてーと言って500円分の借用書の紙切れを新たに作って、合計2枚の借用書の紙切れをBさんに渡します。これを繰り返していくと、いつしか紙切れがいわゆる「お札」のように使えるようになっていくわけですね。このように、お金の代わりに借用書のようなものをお札として利用して商取引に使うようになりました。するとどんなメリットが産まるのかというと、重い銅銭をたくさん持ち運ぶことなく、貸しの証文を遠隔地の取引に使えることができるようになりました。これを為替といいます。

私鋳銭

さて、こうした銅銭はどこで鋳造していたのかというと、それは中国王朝の明から輸入をして国内に流通していきました。代表的な銅銭として、永楽通宝などの明銭を使っていました。そしたら、輸入してわざわざ使っているわけなんですよね、日本国内で必要なお金を作っているのではありません。ですので、カネ社会が浸透すればするほどお金が足りなくなることだって多々ありました。すると、悪いことを考えるヤツがでてくるんですよね。どんなことかというと、個人的にニセ銭(粗悪な私鋳銭)を作って、それをお金として使うヤツが現れるわけです。

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右側が粗悪な私鋳銭です。やっぱり質が悪いわけです。粗悪です。ですので、この私鋳銭が流通するようになると、お金を払うときに「じゃあ、はい100枚払うね。」といったときに、100枚のうちたいがい30枚位粗悪な私鋳銭が混じっているんですよね。そこで、「ちょ、ちょっと待って!100枚だけど何か変なお金が混じってるぞ・・・。」といって良いお金だけ選んで、粗悪なお金は突き返す、なんてことがよくあったのです。このように良質な貨幣だけを選ぶことを撰銭(えりぜに)といいまして、取引のときに質の良いお金だけが選ばれることが一般化しました。あまりに撰銭が行われたために、幕府や大名は撰銭令を出して、撰銭を禁止して悪いお金であろうがちゃんと使いなさいよってことでお金が円滑に流通するようにしました。だけどうまく行かなかったんです。だって、誰だってそんな質の悪いお金は使いたくないですもんね。そこで、質の悪いお金5枚あたり質の良いお金1枚で交換しましょうと交換比率(レート)を決めたりして、なんとか円滑な流通に力を注ぎました。

酒屋・土倉

室町時代はカネ社会ですので、お金が足りなくなってきます。そこで粗悪な私鋳銭でさえも回していかなければ仕方がないといった時代でした。そして、カネ社会が進めば進むほど、お金でお金を産みたいとなってくるわけですね。たとえば、酒屋土倉のように高利貸し業者が現れはじめました。

交通・運輸

問丸(といまる)

さて、今回のラスト交通・運輸です。問屋(といや)が置かれ、地方都市が発展し、商品の中継ぎをするわけですね。そして、鎌倉時代ではこれらのことを問(とい)とか問丸(といまる)なんて言われていましたが、室町時代では問屋(といや)と呼ばれるようになりました。

馬借・車借

そして、運送業者としては、馬や車を使って荷物を運ぶということから、馬借(ばしゃく)車借(しゃしゃく)といわれるものが現れるようになりました。

 

はい、今回は単純な暗記事項が中心となってしまいましたが、室町時代の農業・手工業・商業・貨幣経済が大きく発展していく様子をお話しました。今回は以上です。