日本史オンライン講義録

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145 満州事変

今回はいよいよ日本が中国の大陸に進出していく満州事変をみていくことになります。

 

憲政の常道(政党内閣時代の外観)

若槻内閣①【憲政会】金融恐慌 (片岡直温)協調外交 /幣原外交

田中内閣 【立憲政友会支払猶予令高橋是清強硬外交 /山東出兵・張作霖爆殺事件

浜口内閣 【立憲民政党金解禁  (井上準之助協調外交ロンドン海軍軍縮会議

若槻内閣②【立憲民政党昭和恐慌井上準之助崩壊 /満州事変

犬養内閣  【立憲政友会金輸出再開高橋是清)   /満州国成立

 

 

 

第2次若槻礼次郎内閣

まず,この時の内閣はというと「ヤキカワタハイさ」の第二次若槻礼次郎内閣(立憲民政党)です。この立憲主義政党というのは,浜口雄幸内閣と同じ政党です。さて,この浜口雄幸内閣はなぜ倒れたかというと,浜口首相が狙撃事件にあって重傷を負ったことにより退陣しました。つまり,政権交代が起きたわけではないので,そのまま立憲民政党若槻礼次郎が継承することになります。

 

まず,この立憲民政党というのは特徴的な外交がみられましたね。そう!協調外交です。外務大臣は誰かというと幣原外交といわれる幣原喜重郎さんでした。このように外国と仲良くやっていく,戦争を避けるような姿勢は,軍から批判を受ける。というのも,「強調外交なんて言ってしまえばただの軟弱外交だ!」「日露戦争でせっかくあれだけの犠牲を払ってまで得た満州の権益をこのままでは取り返されてしまうのではないか?」「軍としては満州を完全に日本のものにしておきたい!」と考えたわけです。このように内閣の方向性とは異なり,軍は独走してしまうんですね。そして起きたのが満州事変です。

 

さて,それでは満州事変の経緯についてなのですが,起こした人は満州の日本軍つまり関東軍石原莞爾という人物です。その軍事行動のきっかけとなったのが,柳条湖事件(1931年)です。この事件は,「南満州鉄道の線路が何者かによって爆破されたらしい」と中国軍の仕業にして軍事行動を開始したのでした。つまり,自作自演ですね。それを「悪い中国人の仕業だ!」ってことにしといて「これは正当防衛だ!」と主張をして自衛権を発動し,満州を占領にかかるのでした。さぁ,こうして中国と交戦する満州事変(1931年)が起こることになります。中華民国側もこれは獲られてはいけないということで戦争になるんですよ。

 

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ここから日本はずっと戦争状態にあるので,このことを15年戦争満州事変から太平洋戦争まで)と言ったりします。それで第二次若槻礼次郎内閣は,軍が独走して始めたこの軍事行動に対し,「あかん!あかん!それ以上やるな!」と不拡大方針の態度を示します。なぜだか分かりますか?そう,若槻は立憲民政党だったので,いわゆる協調外交でしたね?ところが,関東軍は「若槻さん,何を寝ぼけたこというてるんですか。」と戦線は拡大するばかりで,この混乱を収拾できず第2次若槻礼次郎内閣はたまらず総辞職をしてしまいます。

 

この図をみてください。

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戦前の国家のしくみです。天皇が頂点にいて,天皇を政治の場面でお助けする輔弼機関が内閣です。法律をつくるのが議会,そして国を守るのが軍部ですね。軍部というのはいまでいう自衛隊のようなものだと仮定します。自衛隊の指揮権は誰が持っているかというと内閣総理大臣なのですが,この時代の軍部というのは内閣から独立していて,天皇直下に組織されています(統帥権の独立)。つまり,軍部の指揮権は天皇が持っているのです。今回は,軍部は何をしたかというと,満州で自作自演の爆破事件を起こしておいて,悪い中国人の仕業にして,一気に満州を占領したのです。内閣はそこで「ちょっと待て。本当に正当防衛化か?また張作霖爆殺事件のようなことじゃないのか?今は不拡大路線だぞ!協調外交だぞ!ワシントン体制に違反だぞ!」と止めに入るのですが,「若槻なめんな!ワシらの親分は内閣総理大臣ではない,天皇陛下なんだ。ガタガタいわれる筋合いはない!!日本の権益失ってもいいんか?」と暴走し,止められないんですね。じゃあ天皇陛下はGoサインを出したのかというと,天皇陛下はGoサインだしていないんです。天皇陛下も真相がわかりません。ある意味でいえば,関東軍天皇をも欺いたといっていいでしょう。天皇は「おいおい!どうなっとる?また張作霖爆殺か?」軍部「陛下,これは完全な正当防衛です。満州獲られてしまいますよ!それより陛下!関東軍の仲間が何人もやられています。天国にいった仲間に一言お願いします。」という言葉に対して,天皇も追認したわけではないのですが,引きずられる形で軍部を止められない事態へと発展していきました。

 

犬養毅内閣

さぁ,それでは次!満州事変が勃発し,今度は満州国を作っちゃうんです。そのときの内閣が犬養毅内閣です。

憲政の常道(政党内閣時代の外観)

若槻内閣①【憲政会】金融恐慌 (片岡直温)協調外交 /幣原外交

田中内閣 【立憲政友会支払猶予令高橋是清強硬外交 /山東出兵・張作霖爆殺事件

浜口内閣 【立憲民政党金解禁  (井上準之助協調外交ロンドン海軍軍縮会議

若槻内閣②【立憲民政党昭和恐慌井上準之助崩壊 /満州事変

犬養内閣  【立憲政友会金輸出再開高橋是清)   /満州国成立

 

 

母体としているのは立憲政友会です。立憲民政党の内閣が実際のところ総辞職に追い込まれたわけですので,ここで政権交代が起きて犬養毅内閣が総理大臣に就任します。さて立憲政友会は,元から拡大方針を示していたのであり,不拡大方針の若槻礼次郎から移っていったということになります。そうして,軍はまたたく間に満州をほぼ占領することになります。そして,満州国建国(1932年)を宣言します。そこで,満州国のリーダーとして誰かいい人いないか探したところ溥儀という人物がいたのです。これは今,清という国が滅び,新しく中華民国っていう国が中国に立っているわけですね。まあ,清にとっては中華民国に「我々の皇帝の座が奪われた!」っていうことになるわけなので,満州民族の出身である溥儀に「あなたを皇帝の座につかせてあげますよ」ってことで,国の東北部に満州国の成立を宣言します。これはもうどうみても,日本のあやつり人形国家(傀儡国家)でしかないわけですね。いいですか?溥儀は日本のあやつり人形です。この満州国の主張としては「満州民族玉座を追われている溥儀が満州民族の復活をかけて新しい国を建国しました!」っていうような 意味合いを持たせているわけですが,アメリカは不承認,国連も満州事変の原因となった柳条湖事件が本当に正当な軍事行為であったのかどうかを調査させるために,リットン調査団を派遣させます。このリットン調査団の派遣の結果は後ほど紹介するとして,その前に犬養内閣についてどんどんみていくことにしましょう。

 

 

この犬養毅内閣の大蔵大臣である高橋是清ですが,この高橋大臣が中心となって深刻な昭和恐慌からの脱出を図ります。何をやるかというと,例のヤツですよ。そう!お金を緊急にたくさん印刷して市場にばらまくという金融緩和をやるわけですね。金輸出の再禁止を断行します。そりゃ金がダダ漏れ状態だったわけなので,紙幣の実際の実力はかなり下がっているということになります。そこで,金保有量と紙幣の関係がイコールとする金本位制を断ち切って,沢山の紙幣を印刷してここに注入していくということをやるわけです。このようにして紙幣が市場に大量に出回ることによって恐慌の危機的状況から一時的に脱することに成功します。

 

五・一五事件

さぁ,それでは犬養毅の最後はどうしても五・一五事件に行きつきます。そのお話を紹介しましょう。まず,たとえば満州事変であるだとか,政友会の強硬外交,民政党は協調外交であるだとか,右翼や軍にとって政党内閣にイチイチ承認を得なければならないので,「面倒くせぇな」って思うわけなんですよね。ですので,この頃から右翼や軍は「財閥や政党などを打倒して,経済や政治の思惑を無視して国を動かしてやれ!」っていうことで,軍中心の内閣を作ろうとする考えが拡大します。代表的なのは,血盟団事件です。血盟団という団体が,前の大蔵大臣である井上準之助,あるいは三井理事長である団琢磨などを暗殺してしまいます。そして,なんと言っても有名なのが五・一五事件です。犬養毅の邸宅に暴漢たちがやってきて,土足で上がり込んでくるわけです。そしたら犬養毅が言うわけですね。「まぁまぁまぁ,靴でも脱いで座ったらどうだ。話を聞こうじゃないか。」と言うんですが,暴漢たちは「問答無用!」といいながら犬養毅を殺害します。彼らの思惑のとおり,これから先の総理大臣は軍出身者が国を動かしていくことになります。つまり,戦前の政党政治の最後の内閣が犬養毅内閣ということになります。