日本史オンライン講義録

受験勉強はもちろん、日々の学習にも役立つ日本史のオンライン講義です。 

156 冷戦構造の形成

前回までは,日本はアメリカの占領下にあったんですが,いよいよ主権を回復して国際社会に復帰するその前段階として国際社会は今どうなっているか世界の様子を見ていきたいと思います。さきほど日本は国際社会に復帰するよという前フリがありましたが, 国際社会に復帰するっていうのは,実は日本を占領しているアメリカの強い働きかけがあったからなのですね。ですので,まずはアメリカの対日政策の転換について見ていきたいと思います。

 

アメリカの対日政策の転換

アメリカは戦後すぐ,日本の非軍事化と日本社会の改造を目論んでいました。わかりやすくいえば,「日本を無力化したいぜ!」ってことですね。だから,日本が再び軍備を整えないように,そして日本を戦争しない国づくりにしたいと思っていたわけですね。ところが,アメリカとソ連が対立をするようになっていくのでした(冷戦構造)。アメリカは子分の国を引き連れて,ソ連も子分の国を引き連れてお互い対立するようになると,アメリカは日本もその子分の国の一員として自分の方に取り込もうじゃないかって考えるわけですよね。なぜなら日本はソ連に近いですし,すでに日本の中にもある一定数の社会主義者たちもいるので,下手をしちゃうとソ連の側に取り込まれてしまうからです。そこでアメリカは「日本の自立を助けてあげるよ!経済援助もするよ!だから日本は早く復興してくれよな!その代わりソ連じゃなくアメリカの方についてくるんだよ」っていうことで日本を取り込みたいと考えていたわけですね。

 

つまり,この冷戦っていうのはアメリカとソ連がそれぞれ子分を引き連れて,核兵器を持って,にらみ合う状態がつづきます。核兵器なんて一度使っちゃったら,人類が滅亡するほどの危険性がありますよね。そんな中でも数回,アメリカ側の国とソ連側の国が実際に戦う戦争も起こりました。その一つが朝鮮戦争ですね 。この冷戦っていうのも直接軍隊を交える熱い戦争になってしまうわけです。そうすると,アメリカの対日政策もこの自立を助けていこうっていうレベルから,もう一日も早く日本もアメリカと一緒に戦ってくれないと困るよっていうレベルにまで達します。

 

さて,ではその冷戦の説明を進めていきましょう。 冷戦っていうのは,米ソが核兵器を持って対立をするのですが,この核兵器ってやつは,1回使ってしまうと報復で打ち返すことになり,それはまたたく間に人類が破滅を招きますので,お互いにすごく強い兵器を持っていながらも,手が出せないという状態になりますよね?このように対立はしているんだけど,熱い戦争には発展しない状態のことを冷たい戦争といいます。それを省略して冷戦というようになるわけです。

 

戦後の対立

アメリカとその同盟国の国々のことを西側陣営といいます。どういう特徴があるかというと,資本主義国あるいは自由主義です。つまり,自由な競争により経済を発展させるというような考え方です。自由な競争をやるわけですから,貧富の差は広がってしまいますが,こういった経済思想をもった国々が資本主義国です。そんなアメリカはIMF国債通貨基金)などを通じて,西ヨーロッパ諸国の復興を助けます。アメリカは,第二次世界大戦のときに,その国土が戦争に巻き込まれませんでした。しかし,フランスはヒトラーによって,イギリスもヒトラーによってダメージを受けました。イタリアもそうですし,スペインは内戦でめちゃめちゃになりました。そういった国々に対してアメリカがIMFを通じて「へいへい,どうだい?お金を貸すぜ?」って感じでお金をばらまいて西ヨーロッパ諸国を助けたので,西ヨーロッパの国々はアメリカのドルによってピンチを救ってもらったので,アメリカへとなびいていくのでした。一方でソ連はというと,東側陣営と呼ばれ,社会主義国で構成されました。これらの国は逆に競争して発展するのではなく,平等をもたらすため国が生産手段を握り,貧富の差を産まない経済思想を持った国々でした。ソ連は,東ヨーロッパ諸国を社会主義化して,ソ連の衛星国としました。

 

まとめますと,イギリスやフランスや西ドイツはアメリカへとなびいた西側陣営,一方でポーランドチェコ,スロヴァキア,ハンガリーソ連へとなびいた東側陣営ということになります。そしてこの西側と東側の丁度まん中にあたるところをチャーチル鉄のカーテンと名付けました。戦後アメリカとソ連が対立をし,その対立は自由VS平等といったものでもあったのでした。

 

アメリカの動向

それでは,アメリカの動向についてみていくことにしましょう。まずアメリカの大統領であったトルーマン=ドクトリンは,ソ連「封じ込め」政策(トルーマン・ドクトリン)を発表しました。金の力で東西ヨーロッパ諸国すべてを取り込もうとしたのですね。それを具体化したのがアメリ国務長官によるヨーロッパ経済援助計画(マーシャル=プラン)です。戦争でめちゃくちゃになっていたヨーロッパ諸国に対してアメリカがお金を貸したので,西ヨーロッパ諸国はこれをもちろん受け入れました。東ヨーロッパ諸国にももちろんアメリカは声をかけるのですが,ソ連を裏切るわけにはいきません。そして,ソ連も背後でしっかり東ヨーロッパ諸国を監視していましたしね。また,NATO北大西洋条約機構を設置して,アメリカと西ヨーロッパ諸国の集団安全保障体制を構築しました。

 

ソ連の動向

これに対抗するように,ソ連はどうだったのでしょうか。ソ連は,コミンフォルムを形成し,各国共産党の結束を固めます。共産党っていうのは社会主義を推し進めていく政党なのですが,このソ連共産党が各国の共産党と連絡を密にとっていく情報局がコミンフォルムです。まぁ実際は「ソ連の子分としてちゃんとついてきてるか?」「アメリカが金を貸すからといって口車にのせられてはないか?」といったように監視を強化するための機関といってもいいでしょう。そして,朝鮮戦争後にはNATOと対抗するようにワルシャワ条約機構を設置して,ソ連と東ヨーロッパ7カ国の集団安全保障体制を構築しました。

 

このようにして両陣営の対立が深まっていくということを理解しておいてください。

 

戦後のアジア情勢

中国

中国で,国共内戦が再開します。中国には国民党という自由主義・民主主義寄りの政党と,共産党という社会主義寄りの政党がありまして,お互いに相容れなかったわけですね。で,ずっと戦っていたのですが,日中戦争に入ると国共合作をして日本と戦っていたのです。しかし,戦争に破れた日本がいなくなると再び国民党と共産党が争う状態へと戻っていきます。では,この戦いどっちが勝ったのかと言うと,第二次世界大戦前は国民党の方が圧倒的に強かったのですが,国共合作がはじまると共産党が勝利し,中華人民共和国を建国します。そして,この国のリーダーのことを主席といい,毛沢東が就任します。天安門広場ってところがあるのですが,そこに紫禁城という故宮があるのですが,そこにでっかいおじさんの顔写真が飾ってあるのをテレビとかでみたことありますかね?あのおじさんこそが毛沢東でして「建国の父」とされています。そして,この毛沢東を率いる中華人民共和国はもともと社会主義寄りであったので,共産党が勝利をしたソ連の方へとついていくことになります(中ソ友好同盟相互援助条約)。そうすると,この共産党中華人民共和国をつくるのならば,負けた国民党はどうなったのかというと,蒋介石いる国民党台湾の島国へと逃げていくことになります。そこで引き続き中華民国として存続していきます。だから,この国共内戦に敗れた国民党が逃げて台湾を支配するにいたり,「私こそが本当の中国だ!」って主張している一方で,共産党中華人民共和国も「いやいや,我々こそが真の中国だ!」と言い合いをしている状態なわけです。そもそも台湾って中国なの?中国じゃないの?そもそも国なの?地域なの?って混乱しがちなのですが,その理由はここにあったのですね。

 

朝鮮半島

朝鮮半島は日本と同じように,戦後占領状態におかれたのですが,ちょっと特殊でして,北緯38度線を境に,ソ連占領地域とアメリカ占領地域に分かれます。日本のように戦争が終わってすぐに独立できたのではなく,ソ連アメリカが分けて占領しているっていう状態だったわけですね。ソ連占領地域)は朝鮮民主主義人民共和国となり金日成が首相に就任し,次にその子どもが金正日,そして今のトップがその子どもである金正恩です。アメリカ占領地域)は大韓民国となり,初代大統領が李承晩といいます。のちにこの両国が戦争になるのですが,これを朝鮮戦争といいます。

 

東南アジア

日本占領地域だったインドネシアベトナム独立宣言をします。今まで,インドネシアはオランダ領で,ベトナムはフランス領でしたが,ここで戦争のときに日本がやってきて,支配をしましたね。そして,今日本が戦争に負けていなくなっちゃったので「今がチャンス!」ということで独立宣言をしたのですが,「そうはさせるか!」とオランダがフランスが出兵をするわけです。ただ,インドネシアスカルノさん,ベトナムホーチミンさんを中心に粘り強く戦い,のちに独立を勝ち取ります。いま,スカルノさんって出ましたが,インドネシア独立の英雄であるスカルノさんの奥さんが,テレビでよく登場するデヴィ夫人なんですよ。デヴィ夫人すごいですよね。出川哲朗と共演している単なる芸能人ではないんですよ。